前編
「フィロメナ、貴女体調はよろしくて?」
学園内の王侯貴族のみが使用できるサロン。現在王族の方々はいないため侯爵令嬢である私が良く利用しており、大抵仲の良い令嬢たちと情報交換をしている。そこで私は良くサロンに来てくれる伯爵令嬢であるフィロメナに尋ねていた。
彼女は数ヶ月ほど前から様子がおかしく、仲間内で心配の声が上がっていた。
「そうよ、フィロ。貴女、最近以前とは違って……少々個性的な服装よね? 自分で選んでいるのかしら?」
フィロメナと仲の良い伯爵令嬢が声をかけた。フィロメナは非常にセンスが良く、彼女の装飾品など参考にさせてもらっていた。それも入学時と比べて、見る事はなくなっている。
そう言えば、彼女の婚約が結ばれてから、彼女は変わったように思う。フィロメナの婚約者は確か侯爵令息だったかしら……と首を捻っていると、フィロメナは拳を握りしめて私を見つめた。
「シルフィア様、お話を聞いていただけますか?」
彼女の目には、先程なかった涙が溜まっていた。芯の強い彼女には、珍しい事だと思った。その姿を見て、彼女が相当追い詰められている事に気がついた私は、周囲に視線を走らせる。
フィロメナ以外の者たちは、首を縦に振る。やはり彼女の様子がおかしいと判断したのだろう。
私は優しく背を撫でながら声をかけた。
「ここでは無礼講です。それに貴女はここの仲間。フィロメナの力になれる事であれば、私たちも協力しますわ」
フィロメナは私の声に顔を上げた後、周囲を見回した。彼女と目が合って頷いている者もいれば、拳を突き上げている者もいる。そんな彼女たちをフィロメナは頼もしく思ったのか……最初は呆然としていたが、全員の顔を見る頃には、目に決意が宿っていた。
「ありがとうございます、皆様」
彼女はそう告げて、ポツポツと話し始めた。
学園が終わり、私は帰宅の途についていた。勿論私の婚約者様と共に。
「シルフィア様、ファビアン様、ごきげんよう」
「ごきげんよう、皆様」
「またね、可愛らしいお嬢さんたち」
その言葉に挨拶してくれた令嬢たちから黄色い悲鳴が上がる。
「やっぱりファビアン様は王子様みたいで、素敵ね!」
「ええ、シルフィア様もお美しいから、二人並ぶとまるで絵画のようね!」
「ああ、私……ファビアン様に挨拶されただけで、いつも顔を赤らめてしまうの……」
「分かりますわ。あの方、お美しすぎて……」
爽やかな王子様。それが私の婚約者様の評価。
愛想は振り撒くが、婚約者である私をきちんと特別に扱い、それ以外の全ての者たちには等しく接する彼は、理想の婚約者像だと令嬢たちからは羨望の的……なのだが。
それは彼の外の顔なのである。
「ねぇ〜、シルフィア。今日の僕、どうだった? 格好良かった?」
馬車の中。爽やか王子の顔は鳴りをひそめ、現れたのは……。
「ええ、素敵だったわ」
「良かった〜ボクの事、好き?」
「ええ、大好きよ」
「うん、嬉しいなぁー! ボクもシルフィアの事だぁいすき」
私の首へと抱きつきながら、ニコニコと微笑んでいるファビアン。けれども、その笑みは外で見せていたあの王子然とした笑みではなく、どこかねっとりとしたもの。
二重人格なのかしら? と思うほどの変わりように最初は驚いたけれど、もう慣れた。これも私がお願いしている事なので。
「ああ、そうだ。言われた事を調べてきたよ〜!」
まるで褒めて褒めてと言わんばかりに私にくっ付いてくる彼に、私は「ありがとう」と告げて調査結果を確認した。今日の昼休みに依頼して、数時間しか経っていないにもかかわらず、すでに調査を終えているファビアンに私は感嘆の声を上げた。
彼にはフィロメナの婚約者であるマテイセン侯爵令息について調査を依頼したのだ。
マテイセン侯爵令息。彼はファビアンと同い年で、侯爵家と伯爵家の事業提携のために結ばれたという。マテイセン侯爵令息は長男。次期侯爵として勉学、武芸に関しても頭角を現しているそうだ。
「まあボクからしたら、『その実力で?』とは思うけど」
鼻で笑うファビアン。
「そうね、ファビアンは才能だけでなく、努力も素晴らしいものね」
「そうだよ! ボクはシルフィアに相応しい男になるんだから! そのための努力は惜しまないよ! そこは誰にも負けない自信がある!」
拳を握りしめて力説するファビアン。
今でこそ、表の顔を使いこなしているが……ファビアンは昔から私に対して距離が近すぎたのだ。
彼と出会ったのは、高位貴族が集まる茶会だ。その時私に一目惚れしたらしいのだが……正直私はあまり記憶がない。彼のお母様曰く、「貴女と婚約しなければ、家を出てやる!」と言い放ったらしい。
先方から婚約の話が来た時、両親も「良い話だ」と思ったそうだ。私も婚約は家と家の契約だと教えられていたため、二つ返事で了承した事を覚えている。実際、公爵家と侯爵家、爵位の釣り合いも取れていたし、我が家にとって最良の話なのだから。
そして無事にファビアンとの婚約が結ばれたのだが……彼は所構わずくっつく癖があった。
婚約者とは言え他人の目も気にする事なく張り付いてくる彼の様子を見て、公爵夫妻は頭を抱えていたし、私の両親も「それだけ娘を愛してくれているのだろう」「もう少し成長すれば落ち着くだろう」と自身を納得させていたようだった。
だが、それは学園に入学する数年前まで続き、流石に問題だと感じ始めた私が何度も言い聞かせたのだ。
「私は仕事もきちんとこなせる方が好きです。私もファビアンの役に立てるよう頑張るので、一緒に頑張りましょう?」
「外では適切な態度でいましょう? その代わり他者がいない場所では今まで通りで良いですから」
そう言い続けた結果、私の希望を聞けば、もっと好かれる! と考えたらしい彼は私の言葉をきちんと聞くことにしたらしい。公爵夫妻も私的な空間ではともかく、公的な空間で節度を持った態度で私に接しているファビアンを見て、泣いて喜んでいた事もある。
そんな彼だから大好きだし、私自身も彼の隣に立つための努力は惜しまないのだ。微笑みながら彼を見つめていると、ファビアンは「そうだ」と何か思い出したようだった。
「ただちょっと気になるところがあってね。彼はどうも自尊心が高いようだ」
ファビアンはペラペラと報告の書かれている紙をめくる。
「伝統ある侯爵家の嫡男という立場、そこそこの努力である程度できるようになる能力……そして伯爵家の中でも伝統だけでなく、勢いもあるフィロメナ嬢との婚約。しかもフィロメナ嬢は婚約者候補として人気だったからね。増長したのかもしれないね……だからと言って、ボクの可愛い、可愛い婚約者であるシルフィアのサロンに参加せず、俺の元に来いなんて……話を聞いて何様だって思ったよ。だって、シルフィアのサロンは週二回、好きな時にくれば良いという形をとっているじゃないか。週一度くらい参加させても良いと思うんだよね」
今では譲歩してくれているが、実は彼も最初の頃は渋々であった。丁寧に、丁寧に、話し合った結果、週二回のサロン開催となったのだ。
「令嬢の情報共有の場でもあるシルフィアのサロンは、有用だ。シルフィアの話で僕だって気づかされた事は何度もあったからね。女性の情報網を侮らない方が良い。……何よりあの男が、次期公爵夫人であるシルフィアのサロンに参加するな、と言うなんて……あの男にどんな権限があるのかな……?」
その話はフィロメナからも聞いていた。そこまで言うようになったのは、最近らしいが……。
ちなみに婚約時マテイセン令息は、ふたつの事を彼女に課したのだそうだ。
ひとつ目は、学園の休憩中は自分の元に来る事。
ふたつ目は、自分の贈った物を身につける事。
彼女が言うには『これがフィロメナのためだ』と告げたらしい。フィロメナも最初は訝しげに思ったようだが、婚約者になる相手である。良好な関係を築きたいと思い、このふたつの件を了承したらしい。
だが、時間を経るにつれ……最初は問題なかった要求が激化していったのだとか。今では『休憩中は毎回顔を出せ』と言われたり、両親からの贈り物を身に纏っていた時に『それは派手すぎるから着けるな』と言われたり……その後華やかなフィロメナに似合わない服を贈られ、それだけを着るように強制されたり。それ以外にもどんどん理不尽な要求を突きつけられているとのことだった。
現在は週一回、サロンへと参加しているが、最近はその事で詰められる事が多くなってきたのだとか。
「しかもフィロメナ嬢にそうさせている事を、彼が声高に言っているたみたいだ。『素晴らしい侯爵夫人になるため、彼女を導くのが自分からの愛だ』と言う言葉も添えてね。周囲の令息からは、婚約者への愛に溢れる男として持ち上げられているけど……僕にはフィロメナ嬢を支配しようとしているようにしか見えないな」
ファビアンは眉間に皺を寄せる。
「本当に……ボクとあの男を同列にしないでほしいな。あの男は愛に満ち溢れているのではなく、婚約者候補として人気だったフィロメナ嬢を自分の思う通りに動かせる事に快感を覚えているだけだろう? 本当に愛が重い男は、ボクのように相手に尽くす男だと思っているからね」
自信満々に告げるファビアンに、私は微笑む。確かにファビアンの愛は重い。
彼も私へ贈り物を頻繁に贈ってくれるのだが……。
特に驚いたのは「茶会に参加する」という話をファビアンに伝えなかったにもかかわらず、その茶会の前日にシルフィア宛に三着ものドレスがファビアンから届いた事である。どれもシルフィアに合うドレスで、ファビアン曰く「好きなドレスを選んでほしい」からそうしたのだと言う。
それ以降も複数のドレスが届いていた。着ていないドレスでクローゼットが埋まってしまう、と考えたシルフィアが、ファビアンに「一番似合うと思うドレスを選んで贈ってください。選んでいただいた物を着るのが楽しみなので」と伝えてからは、一着だけになったのだが。
そもそもどこから茶会の予定を知ったのか……それが不思議で堪らない。ちなみに今もそれは続いており、ドレスを贈ってくれるので私から予定を言うようにもなった。公的の場に出る際は全てファビアンの贈ってくれたドレスを着ている。
それ以外にも色々あるけれど、そんな彼が愛おしいのは変わりない。
彼の憤慨する表情を見ながら私はファビアンの話を聞いて、考える。
ファビアンの言葉は一理あると思う。けれども、もしかしたら本当にフィロメナの事が好きなのかもしれない。まずは前者なのか、後者なのか判断すべきだ。