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作者: 柊 雪夜

気が付けば、そこは森の中だった。


足元には名も分からない草花が茂っている。見上げれば、空を覆い隠すように腕を広げる木々。薄暗くひんやりとした空気に、木漏れ日が温かく踊る。

見覚えのない風景。

なぜここにいるのかは分からない。ただ、頬を撫でていく風の香りに、夏を感じた。


――りぃん――


どこからか、鈴の音が聞こえた。

いや、それよりもっと、鋭い。でもなぜか、優しい。誰かの音。

求めるように、自然と足が動いた。道のない中を、思いつくがままに歩いていく。右、左、また右へ。


「何処へ行く」


不意に聞こえた声に、足を止めた。

いつの間にか、傍には男が立っていた。闇色の着物に、白い帯。昼間だというのに、手に提げている提灯。それだけでも異様であるが、男の両目に幾重にも巻かれた包帯が目を引いた。

一言で言ってしまえば、不気味であった。と同時に、何の疑いもなく、彼は心霊やいわゆるアヤカシの類なのだと思った。

「何処へ行く」

先ほどと変わらぬ声音で、尋ねられる。そこからは何の感情も読み取れなかった。自分の領域を侵され癇に障ったのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。そもそも、こういう類のものに感情という概念は備わっているのだろうか。甚だ疑問である。

「どこかは分からないけど、音がした方へ。」

ひとまず嘘を言う理由もないので、素直に答えてみた。

すると男は、それには何も言わずにどこかへ歩き出した。こちらへの興味を失ったのだろうか。なかなか勝手な奴だ。

しかし、それならそれで良いか。気にせず再び歩き出そうとしたところ、男が急に振り返った。

「来い」

そう言ってまた、黙々と歩いていく。

どうやら案内をしてくれるらしい。信用できるかは分からないが、他に当てがあるわけでもない。ここは大人しく付いていくことにした。


どれほど歩いたのか、覚えていない。会話はなく、ただひたすらに男の背を追っていた。

辿り着いたのは、赤い鳥居。小さな神社のようだった。

「跪き、そこで待て」

鳥居をくぐったところで、石畳を指し示される。言われるがままにすると、男は音もなく消えてしまった。

もしかすると、彼はこの神社における神使か何かだったのだろうか。……まさか。あんな気味の悪い神使がいていいわけがない。そもそもどうして自分はここへ連れてこられたのだろうか。それ以前に、何があってこんな森にいるのだろうか。冷静になってみれば、なんとも奇怪な状況である。頭を垂れながら、つらつらとそんなことを考えた。


――りぃ、ん――


また、初めに聞いたのと同じ、鈴のような音がした。

反射的に顔を上げれば、いつからいたのか、社の前には誰かが立っていた。

「おや。なかなか良い“目”をしているようだ。」

そう呟き微笑む姿は、さっき会った男とはまるで違う雰囲気を持っていた。

身に纏う白い着物。そこからなんとなく、その人が神と呼ばれるような存在だろうということを察した。顔の右半分は狐の面で隠され、その下からは中性的な顔立ちが覗く。声からも、性別は判断できなかった。もしくは、神に性別という分類はないのかもしれない。

「見たところ、私の力が必要とは思えぬ。なぜ此処へ来た」

狐神は緩慢な足取りで近づいてくると、そう問うた。

それは、むしろこちらが一番聞きたい質問だ。何とも答えようがなく、狐の面をじっと見つめ返す。それだけでも、神にとっては充分な答えとなったようだった。

「なるほど。足りぬのか」

よく分からないが、納得したらしい。一人頷くと、何やら思案を始めた。こちらはといえば、完全に置いて行かれた感覚を抱きながら、ただ狐神の立ち姿を見上げる。

その視線に気づいたのか否か。神は今一度頷くと、徐に、向き合う形で膝をついた。間近で見ると、澄んだ瞳がまるで琥珀のようだった。

「良いか。お前は既に鍵を持っている。ただ、扱う術を知らぬだけだ。だから存分に迷うがいい。それが定めというものだ」

何を言われているのか、欠片も理解ができなかった。

その思いが顔に出ていたのか、神はふ、と吐息で微笑む。

「まぁ、良い。案ずるな。時が満ちれば開くだろう」

言いながら、その優しい両手に頬を包まれた。そのまま顔が近づき、額が触れあう。動いた拍子か、着物からは何かの花のような甘い芳香が漂っていた。意図せず瞼を閉じれば、やがて意識が、ぼんやりと霞んでいく。

かわりに滲んだのは、安堵と、郷愁。

耳の奥で、狐神の声が、響いていた。

「“見える”時がきっと来る。……大丈夫。お前なら――」



気が付けば、そこはベッドの中だった。

カーテンの隙間から漏れる光が、朝を告げている。夢を見ていた気がするが、何も思い出せなかった。よくあることだ。だがどうしてか、それは大切な話であったように思えた。

起きあがってみれば、以前よりも心なしか体が軽くなっていた。夢で何があったかは分からないが、不思議とその何かのおかげのように思う。昨日まで褪せていた世界が、鮮麗として見える気がした。

心を満たす、何かが生まれている。それは未来への可能性、あるいは希望か。ありきたりな綺麗ごとのようで嫌いだった言葉が、今は少しだけ素直に受け取れる。

変われるかもしれない。……それなら。


『もう少し、頑張って生きてみよう』、と。


清々とした感情を胸に、ベッドを降りる。


そして静かに、病室の窓を開けた。


――どこからか、クチナシの花の香りがした。

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