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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

憐れみをもって世界を憎む

作者: 鬼桜天夜

 世界が憎い。それ以外に、俺の心を満たすものはなかった。

 この四肢に絡みつく鎖の感触も、目の前を白く照らすライトも、忌々しいだけだ。何よりも俺の精神を蝕むのは、右半身を浸食する病。この病が無くなるだけで、いくらか楽観的になれるだろうか。

 そう考えたところで、我に返る。白衣を着た名前も知らない男が、俺の腕を無造作に持ち上げた。嫌悪感を示しても、こいつの手は止まらない。そんなことは、何年も前から分かっていたことだ。


「ぐぅっ、が、ああああ!!」

 男に注射をされた途端、体が沸騰したように熱くなる。痛みにもがいても、拘束具がそれを許してはくれなかった。生理的な涙が落ちる。誰も、その涙を拭うことはせず、ただ冷徹な目で俺を見るだけだ。

 あぁ、憎い。全部、全部が憎い。思考が鈍くなるにつれ、目の前がだんだんぼやけてくる。そんな時ですら、俺の心にはあの言葉しか残っていない。そんな自分が、ただ哀れだと思う。意識が途切れそうな中、俺は思う。この復讐心を晴らせるのなら、俺はどんな犠牲だって払おう。神だろうが悪魔だろうが、喜んで全てを投げ出そう。

 だから、だからどうか。こんな世界、一回滅んじまえ…







「っは、はっ、はぁ」

 息も整わないまま、無理やり体を起こす。あの血が沸騰するのと似たような感覚に身震いした。目を瞑り、呼吸を整え言い聞かせる。

 俺には果たすべき責務がある。解放は、まだ先だ。

 無意識に顔を覆っていた右手を下ろす。自分の意思とは関係なく震える手に、苛立ちが募る。


「ちっ…くだらねぇ」

 数回瞬きして、体を起こす。日は昇り始めているが、まだ空には群青色が残っている。体にかけていた上着を取り、愛用の剣を持って立ち上がった。

誰もいない、物音ひとつしない民家を出る。管理者という概念も無ければ、家賃という概念も無い。それもそうだ。こんな終わりかけた世界で、賃貸なんてやってる奴がいれば、それはよっぽど愚かな奴か、過去のあの日々を忘れられない人だけだ。

 人類はある病によって滅びた。それも、たったの数十年で。その病はいたってシンプルなものだ。

 人の理性を取っ払い、ただ病を蔓延させるための怪物にする、というもの。

 病に侵された人に嚙まれれば、子供が成人ぐらいの年になる前には、全身を腐らせ怪物になる。そうなった奴を生者と呼ぶか死者と呼ぶか。それはきっと、俺が判断していいものではないのだろう。


「また患者か。ここら辺はやたら数が多いな」

 末期症状になった人は、正式には患者と呼ばれる。朝だろうと夜だろうと、患者は関係なく感染しきっていない、生きている人間を捜し歩く。

 それはここ、日本でも変わらない。過去の地理で言えば、今は日本の長野に当たる場所だ。あの民家をしばらく歩いたこの山間の道路にも、長野と書かれた看板を見つけた。

 だが、少し妙だ。患者に知性はない。だから群れる、という事もない、はずだ。なのにあの患者たちは、同じ方向に向かって一緒になって移動している。疑問は尽きないが、どちらにしろ患者はこの世から一人残らず消す。それが、俺の旅の目的だからな。

 患者の裏をかくように、塀を飛び越えて森の中に入る。道路にも木が侵入してきていたが、こっちは正真正銘手付かずの森だ。人の歩いた痕跡もほとんど無く、あるのは不規則な患者の足跡。そして、もう一つ小学生ほどの小さな足跡が、患者の足跡に踏まれている。どこのどいつかは知らないが、間違いなく狙われてるな。

 痕跡を目で追いながら歩く。患者の足音と特有のうめき声は聞こえるが、木深い森のせいで視界が悪い。


「だれか…」

 掠れた、嵐の中だったら確実に聞こえないような声が、確かに俺の耳に届いた。


「今のは…」

 あたりを見回しても、葉っぱと枝と、曇天。患者たちはいよいよ俺の存在を認識したのか、はたまた先程の声の主に気づいたのか、どんどん近づいてきた。

ズボンの裾を掴まれ下を見ると、今にも泣きだしそうな少女がうずくまっていた。驚いている間にもどんどん患者は近づいてくる。ざっと見数は五人。守りながらでも問題はないし、何より、この少女を安全な場所に避難させている時間に逃げられても面倒だ。


「どいてろ」


「え、え?」

 縮こまる少女を視認してから、庇うように剣を抜く。なんの変哲もない一振りの剣でも、患者を殺すには十分な鋭さを持つ。一呼吸おいて、剣を構える。なんてことはない、いつもと違うのは、精々後ろに守るものがあるかないかの差だ。

 数メートル先で木々の間から顔を出したのは、腐食によって顔の原形もとどめていないような患者たちだった。顔の輪郭は未だ保ってはいるものの、パーツの区別はつかない。あの少女の事も、目ではなく別の何かで察知したのだろう。

 俺の考察はさておき、患者たちもいよいよ異変に気付いたのか、若干足を止める。しかしそれも数秒だった。前に居るのが少女ではないにしろ、人間だと分かるや否や駆け出した。息を止め、横一閃に振り払う。腐った首はすんなりと落ち、離れた首を追いかけて胴体も倒れる。

 そこからは速い。病に侵され患者になろうとも、大量出血すれば動かなくなるし、首が飛べば死ぬ。普通の人間と違って痛みで動きが鈍ることは無いが、慣れればどうってことはない。

 最後の一人の懐に潜り込んで、腹を突き刺す。ダメ押しで更に深く刺すと、小さく唸ってこと切れた。幸い、返り血も顔に少しかかっただけで、怪我も無い。息を一度大きく吐いて、かがんだまま動かない少女の方に近寄る。


「おいガキ、怪我は?」

 まだ不安なのか、きょろきょろして目も合わない。まあ、このぐらいの年で、あんな怪物を見て正気を保っていられるだけ上出来か。


「大丈夫、です」

 振り絞った声は、今にも涙になってしまいそうだが、驚いたことに少女は泣かなかった。怯えすぎて思考が上手く働いていないと考え、屈んで顔色を窺おうとした。

 そして納得した。なぜ、普通のガキなら泣くこの状況下で平気だったのか。少女の顔は、目元に病の初期症状が出ており、目が見えていないのだろう。思わず少女の頭に手を触れようとして、止まる。俺がこの憐憫の情を抱くのは、お門違いというものだ。


「そうか」

 そう一言放ち、立ち去ろうとする。


「ま、まって!えっと、ください!」

今までのビビりは演技だったのかと疑うほど、大きな声で少女は主張した。頬は少し赤くなり、よっぽど緊張しているように見える。


「なんだよ」


「その、助けてくれて」


「礼ならいい。じゃあな」

 俺がいよいよ面倒になると、数歩歩きだした所で少女が服の裾を引っ張った。振り払ってもいいが、どうしたものか。


「お礼!させてくだしゃいっ!」

 噛んだことへの恥じらいからか、最後に少し咳ばらいをしてこちらを見直した、ように見える。


「逆に聞くが、お前が俺に差し出せるものはなんだ?」


 そう聞くと、待ってましたと言わんばかりの表情でこちらを見る。目は口程に物を言う、と言うが、こいつの場合、表情の動きで全部わかる。


「私たちが暮らしてる村に連れて行ってあげます!」


「いらねぇ」

 一刀両断。あげます、とかなんでガキが上から目縁でものを言うんだ。呆れて裾を掴んでいる手を叩き落とすと、少女は頬を膨らませて突進してきた。


「だめです!」


「おいっ、抱き着くんじゃねぇ!離しやがれっ」

 さっきと同じように腕を叩き落としても、離した瞬間、さっきよりもっと強い力でしがみついてくる。ここまで諦めの悪い奴はそうそういないな。手を止め一瞬だけ悩み、縁だと言い訳して流れに身を任せることにした。諦めたら後は早い。少女の頭を小突いてやめろ、とサインを出してみる。


「行くって言うまでぎゅーして、離れません!」


「ちっ…おい離れろ」

 作戦は失敗に終わったらしく、そもそも聞く耳持たずの姿勢を貫きたいようだ。


「絶対離しません!」


「お前らの村に案内しろ」


「え?」

 ポカーンとアホ面を晒しているうちに、俺は言葉を続けた。


「行くって言ってんだよ、さっさとしろ」

 少女は途端に顔を綻ばせ、数回ぴょんぴょん跳ね上がった。どうやらこの少女は表情だけでばく、態度でも分かりやすい。


「はい!」

 そう言って指で指し示した方角には、確かに目を凝らして見ると、塀で囲まれた場所があるようだった。かなりの距離があるように見えるが、今からだと日暮れごろに着くだろう。

縁に任せるとは言ったが、これからどうなるか。道行きを照らす日差しは雲で遮られ、目の前には目の見えない少女。物語の序盤にしてはお先真っ暗だ、そう自嘲して少女の後をまたゆっくりと歩き出した。









 夏も終わって秋になるというのに、どうにも日が長い。ちらほら葉を紅に染めている木もあるが、まだ緑色も目にする。こんな風に暇をつぶす為に景色を眺める事など、何年ぶりだろうか。俺の埋まり切った心を、心地よい風が包み込むみたいな。そんな詩的な表現が浮かび上がるほど、俺の心は落ち着いていた。

 すると、少女が「あっ」と言い、後ろを振り向く。後ろをただついて歩いていた俺は当然驚くわけで。険しい顔つきで黙っていると、正反対の表情で喋り出す。


「そうだ!確か、はじめて会う人には、じこしょうかいを」


「必要ねぇ」

 途中で言葉を遮って、俺は足を止めた。後ろ向きのまま歩いていたガキも同じく足を止め、俺の言葉の続きを待っているのか、沈黙したままだった。

 何かと思い黙って聞いていれば、自己紹介とは。確かに、初めて出会い、名前も知らない中で会話を進めるのは確かに不便だ。しかし、それは通常であればの話だ。俺にその普通は当てはまらない。


「俺は自己紹介する気も無いし、お前の名前にも興味は無い。所詮、すぐ会わなくなる他人だ」


「そう、なんですか」


「そうだ。だから、俺の事も好きに呼べ。俺も勝手に呼ぶ」

 事実、俺はこいつをガキと呼んでいて、これからもきっとそうなるだろう。別に名前を知らないというのは不謹慎ではない。ただ、一線を明確に引くための適切な処置だ。


「…うん」

 だが、理解と納得は違う。この少女だって同じだ。理解さえしていればそれでいい、俺もそれ以上を求めるほど酷じゃない。

 しばらく山道を登り、村の前に着いたのは想定通り夜になった。ここの道は長く使われてるからか、人間専用の道が出来上がっている。足跡も人間のものしか無さそうだし、どれも一定の規則に沿ったもの。獣も患者も、ここを使った形跡は未だ無い。


「ここが私たちが住んでいる村です!外を見てる人に説明してくるので、ちょっとだけ待っててください!」

 遠くで見た時よりは大きいと思うが、それでも、この程度の塀と山奥での過酷な状況でよくも今まで暮らせてきたものだ。よほど統率の取れた集落なのだと想像するのは容易い。


「分かった」

 そう言い近くの木に寄りかかる。コンクリートの塀に、その上には鉄格子。見張り台も、ここから見える範囲で三つある。人数もそこそこで守りも堅い。立地的に見ても、ここまで登ってきて人間を探しに来る患者も少ないだろう。ガキも飢えに困っている素振りは無かったし、まともな場所ではあるようだ。

 そんな値踏みを心の内でしていると、見上げるほどの大扉の横にある、大人一人がぎりぎり出入りできる程の扉から少女が出てきた。するともう一人、外見年齢が俺と一緒位の青年が一人出てきたが、俺を見つけた途端、恐怖と疑念が混じった眼で見てきた。


「確かに、患者では無さそうだが…」

 青年の服装や髪型はカジュアルで、資源難に陥っている様子はない。顔色もいいし、俺への恐怖はあれども、悲壮感は全くなく、むしろ俺のような者に対して拳銃を向けないだけ精神状態も良好と言える。

 このまま疑惑の目を向けられたままでは、話し合いもスムーズにはいかないだろう。そう考え、一応、歩み寄る精神を見せる。俺としては門前払いされて旅を続けた方が効率が良いが、縁に手繰り寄せられては仕方がない。


「この患者がうろつく世界で、生きてる人間が居るなんてあり得ない、か?」

 俺の意見はズバリ的中して、面食らったいい顔をしてくれた。


「至極真っ当な意見だ。俺も、俺以外の放浪者を見つけたら自分の目を疑うな」

 乾いた笑いを溢しながら言う。


「お前が、あのゾンビ共と一緒じゃないって、どう説明する?」

 発言に若干のイラつきはあるが、気に障るほどではない。しかしなるほど、かなり俺を疑ってるな。それに、怯えている。どうやら今まで、俺と似たようにここを訪問した奴はいないようだ。完全な独立自治。どこもそうならざるを得ない事は承知しているが、それ故に危うさもある。


「このガキを襲わず、ここまで一緒に着いてきた。これが一番じゃないか?」


「おじさん、この人を信じてあげて?」


「…俺はまだ三十になったばっかりだ」

 そう言って、見張りの男は少女の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「申し訳ないが、ここで少し待っててくれ。今から村長に相談してくるから」


「私もいきます!」

 沈黙を守ってきた少女が前に出て言った。


「うん、君も来てくれると、村長の説得が早く終わりそうだ」

 ここで待っていてくれ、改めて俺に告げると、二人はもう一度扉の奥に消えていった。改めて今置かれている状況を冷静に分析する。振り返ってみても、こんな旅はなかったな。こうして誰かといると、全身がむずがゆくてしょうがない。


「まさか俺が、どこかに留まるなんてな」

 少ない明かりに照らされた夜空を見上げる。常に湧き出す復讐の熱を感じながら見あげる夜空が、今日は少しだけいつもより明るく見える気がした。

そう時間が経たず、五分ほどで少女が扉から顔を出した。


「おにいさん!おじいちゃんが、おにいさんに会いたいって」

 どうやら少女のおじいちゃんがここでの長らしい。特に驚きもせず、俺は応じた。


「分かった。そこまで案内しろ」


「こっちです」

 終始ルンルン気分のこいつに騙されそうになったが、扉をくぐった瞬間、だよな、と思う。中は家に田んぼに、村が一つ収まっていて、最近では争いの形跡も見当たらない。いや、そもそも襲われたことも無いのか?そう感じるほど、塀の中は落ち着いていた。

だが、その安寧を崩す可能性のある俺が来たのは、あまり歓迎されていないようだ。村の連中は老若男女問わず居るようで、その睨みつける視線が無ければ、素直に褒めていただろうよ。

 しばらく歩いていると、他の家となんも変わらない一軒家でガキは立ち止まった。俺が周りを見ている間に、ガキは一軒家にノックもせず上がり込んでいった。


「おじいちゃん、ただいま!この人が、私を助けてくれたおにいさんだよ」


「邪魔する」

 中に入るのだろうと踏んで先に挨拶をする。家の中から出てきたのは、一人の老人だった。白髪で、もう八十は迎えているのではないだろうか。タートルネックの長袖に長ズボン。そこまで寒くも無いのに長袖を着ている理由として最も簡単な推測は、病に侵され腐食した部分を見せたくなかったりだ。

 あの少女みたいに親からの遺伝ではなく、大半が患者にやられ病に侵される。そして、噛まれた箇所は特に目も当てられない酷い状態になるから、それを見たくなくて隠す人は多くいた。中には感染している事自体を隠す奴もいた。恥ずかしい、殺されてしまう、即効性じゃないから大丈夫だろう、こういった具合に。おそらく、この村長も同じなのだろう。

 さて、どうやら俺の想像とは違い、この爺は外で俺をもてなすつもりらしい。それ自体に不満はないが、イラつかせたのは変わらない。


「君が、孫を救ってくれた人だね。この子の両親に代わって、心から礼を言わせてくれ」


「別に。見殺しにたら寝覚めが悪くなる、そう思っただけだ。無駄話をする気はない。単刀直入に聞くぞ、俺は何日ここに居ればいい」

 表情一つ変えず答える。実際、こいつがどれほどここの奴らにとって偉大でも、俺にはどうでもいい。ただ一つ言えるのは、語気が少し強くなったのはミスでもなんでもないという事だ。


「そう怖い顔をしないで下され。他の人もいるのですから、無用な誤解は、貴方も避けた方がいいのではないでしょうか」


「はっ、笑わせんな。こっちは招待に応じてやってる側だ、それに、お前らの事は赤の他人だ。今ここで俺の実力を示してやっても、一向にかまわないが」


「おじいちゃん、おにいさんとケンカしてるの?」

 更に眉間にしわを寄せ、威嚇するように言葉を放つ。


「ガキを出そうが他の奴を出そうが、俺の態度は変わらねぇぞ。俺は、招かれている側、だろ?」


「…その通りです。君はわたくしが招いた客です。私が君をここに縫い付ける権利はない。ただ、どうか孫の気持ちを、察してはくれないでしょうか」


 あくまでガキが最優先のスタンスを崩すつもりはないらしい。ますますイラつく野郎だ。


「気持ちを汲んでなきゃここに来てねぇよ…一週間だ。一週間でここを離れる。俺の目的は、安住の地を探す事じゃないからな」

 無駄な寄り道ではあるが、ガキにあそこまで心配かけた時点で俺の負けだ。


「十分です。いつまでも滞在してくださいね。さあ、私の愛しの孫よ。彼を家へ案内してやってくれ」

「うん!」


 さっきまでの心配そうな態度はどこへやら。笑顔で俺の手を取り、ぐいぐいと引っ張る。もう抵抗してどうにかなる奴じゃないことは、これまでの道中で嫌というほど分からせられた。


「こっちだよ!おにいさん」

 無言で連れられる中、辺りの目はやはり冷たい。変化こそ、残った人類種にとって忌避すべきものだ。安定の中でもう一度生態系の頂点に返り咲く、それこそが人類全体の目標なのだ。まあそんなの関係なく、ここにいる個人(村の人)は生きたいという本能で生活しているだろうが。

 そんな事を考えながら歩いていたからか、あっという間に着いた。目の前においてあるボロ屋を改めてなめまわすように見る。このあてがわれた家を見ていると、数日前に野宿で使った大木の方が安心感が強かったと思ってしまう。

 どうぞ、という顔で促すガキに、ため息一つ吐いて前に出る。

 ギイィ、と嫌な音をしながら開いた扉は、その役目を必死に果たそうと家にしがみついているようだった。


「中は軽く掃除したみたいだが、とてもじゃないが住みやすそうとは言えねぇな」

 なんて悪態をついても、やったのはこいつじゃないし、やった奴も俺と同じように悪態をついていたのだろう。心の中では、そいつに礼を言っておくか。


「あのね、おにいさん」


「あ?」

 呆れ半分で見て回っていたが、ガキの方に向き直る。


「おじいちゃんはね、悪い人じゃないよ。ただ、さっきはケンカになっちゃっただけで。ほんとは優しくて、みんなと仲がいい、すごいおじいちゃんなんだよ!」

 微笑み、それが真実だと、欠片も疑わない言葉。

 …その純真さが、憎い。それでいて、眩しく見える。


「そうだな。優しそうで、いかにも善人なおじいさまだ」


「なんか、嫌そう」


「お前にはそう見えるか?」


「わかんない。でも、ご機嫌ななめに聞こえた」


「…さあな」

 ガキにすぐ言葉を返せなかったのが、きっと全てだ。人に分かりやすい、なんて説教垂れてる場合じゃなかったようだ。


「もう夜も更ける。お前はさっさと家に帰れ」


「うん、おやすみ。おにいさん」

 俺の言葉を素直に受け取り、少女は帰った。その小さな背中を見送る。完全に音が遠ざかるのを確認してから、俺はもう一度扉を開けた。見張りも置いていないし、少女が戻ってきてる気配もない。銃火器特有の硝煙の臭いも感じられない。あれだけ俺を縛り付けようとした癖に、夜逃げは良いと来た。戸惑いつつも、俺は森の方へと走っていく。

 外を巡回している人間はいないらしく、俺の行動は想定よりも早く済んだ。

確かに、患者から逃げ込む場所として、この山奥は良い環境と言える。だというのに、患者は確認しただけでも二十人以上見つけられた。村の連中に見つかっても面倒だし、一週間経ってから行けばいいと考え、位置と人数だけ把握して帰ってきていた。他に見つけたものと言えば、ところどころで見つけた死体くらいだ。

 さらに別の日の事、今日また新たに患者の集団を見つけ観察しているが、これでもう五つ目の集団になる。明らかに数の多い患者。この異常が、ただの偶然であればそれで終わりだ。


「何かの前触れじゃなけりゃいいが」

 そう呟いて、また夜闇の中に潜り込んでいった。

 それからというもの、俺は特に何もせず過ごした。昼には村をぶらつき、夜になれば調査に向かう。最初は村の奴らにも話を聞こうとしたら「近づかないで」とか「信用できない」なんて言われていた。

 四日目にもなると、村の連中も異物を見る目から好奇心に移り変わる。道では「今までどうやって外で生き延びてきたのか」とか「外はどんな感じか、自分たちのような集落はあるか」とか、すれ違うたんびに聞かれるようになった。

 そして今日もまた、特にやることのない時間が来る。元々時間は腐るほどある身だ、それが一週間増えた程度何にもならん。

 物思いに耽りながら歩いていると、ここ数日会わなかったガキが、俺の家の前をウロウロしていた。どうせ厄介ごとを持ち込んできただけだ、早々に立ち去るのが吉、そう思った時には遅かった。

 何で気づいたのかは分からないが、顔を輝かせながらこちらに駆け寄ってきた。逃げ道、はなさそうだ。


「ここには慣れましたか?」

 そう言い、ご丁寧にわざわざこっちを見上げてくるガキに、俺は少々敬意を払って答える。


「四日も過ごせば見慣れもするだろ」


「見慣れたかじゃなくて、なじめたかを聞いてるんですっ」

 ガキは頬を膨らませ、次の俺の言葉を待っている。会話の所々に感じる幼さが、俺の気分を下げるとも知らずに。


「こんな少人数の集団、嫌でも顔見知りになる」


「いやでもってなんですか、いやでもってー」

 他愛のない会話には、長期的に見れば過去を振り返った時に財産になるかもしれないが、俺は振り返らない。つまり、必要が無い。


「で?最近会って無かったが、なんか用かガキ」

 この言葉を待っていたはずだが、当の本人はそれを聞いた途端口ごもってしまった。


「あの、そのぅ」

 口は動いているが、言葉にするのが恥ずかしい、もしくは嫌なのか。どちらにしても、それを俺が引き出してやる義理はない。興醒めになった俺は、くるりと方向転換をした。


「俺は寝るぞ」


「待ってください!」


「用はないんだろ」


「あります!その、一緒に、お花を摘みに行ってくれませんか」


「俺寝るわ」

 「まってまってまって!」と手を力いっぱい引き戻そうとしてきた。慌ててよろけそうになるのを堪えて、きっ、と睨み返す。


「おねがいします!あそこ崖がいっぱいだから一日じゃ行けないし、こんな体じゃ、だれも一緒に来てくれなくて…」


「それで?」

 あくまで丁寧に聞き返してやる。ここまで聞いた以上、やらないのも気持ち悪い。


「おにいさんなら強いし、それに」


「過保護じゃないから、か?」

 思いついた言葉を口に出す。ガキの表情を見るに、当たっていたらしい。


「わかるんですか?」


「見りゃわかる。お前の性格上、気を遣われすぎるのも嫌なんだろ」


「…へへっ」


「なんだよ」

 分かったような口調にイラついたが、今に始まったわけでもないし目を瞑った。ガキにムキになる方がよっぽど神経を使いそうだ。


「なんでもないです。もう荷物の用意はしてあるので、いきましょう!」


「準備早ぇな」

 承諾もしないうちに、ガキは後ろに背負っていたバックを見せつけてきた。渋めの色に大きさと、何もかもが釣り合っておらず、なんともちぐはぐな組み合わせだと思った。

 だがまあ、暇であることは確かだ。それに外の調査も終わりつつある。

 喜んでいく理由もないが、断る理由もなかった。俺は一つ返事をして、二人で外へと向かった。









「お前、あの時とは靴、違うんだな」

 歩き出して約一時間後、流石に退屈でガキをじっと見ていたら、靴が前会った時とは違っていたのに気が付いた。あの村には潤沢な物資はない。だから、子ども用の靴なんて、それこそ一足あれば十分だと思っていた。今は前履いていた黒の靴ではなく、年相応のビビットカラーの靴を履いている。


「そうなんですよ!おじいちゃんから貰ったくつで外に出たんですけど、靴が大きすぎちゃって…恥ずかしい」


「…それ、言ったのか?」


「いわないです!おじいちゃん、悲しんじゃうから。それに、最近のおじいちゃん、夜に村の人とどっか行って、忙しそうだし」


「そうか」

 気になりはしたが、野暮だと気を遣ってやり、それ以上の言及はしなかった。こいつの顔を見ていたらその気も失せた、というのが正しい。

 そして、昼頃に村を出たが、ガキ曰く次の日の太陽が沈む前には帰れるらしい。過去に同じ場所まで行った奴がいて、そいつがそのぐらいに帰ってきたという。

 だが、それは成人だった場合の話だ。いくらこいつが動き慣れてるとはいえ、所詮ガキはガキだ、限界がある。そう懸念していたが、驚いたことに自分の限界をしっかり把握していた。ましてや自分から休みたい、そう進言してきたのだ。これには俺も驚きを隠せなかった。今どきのガキは、俺が思う以上に賢いらしい。

 その日の夜、携帯食を食って眠りにつこうとしたら、ガキが外の話を聞かせろとせがんできた。どうしても、と言ったのもあるが、呼吸はほとんど睡眠時と変わらなかったから、適当に話している間に寝るだろうと踏んだ。

 なんてことはない、普通の会話だ。

 俺は、顔は無事なものの、右半身を病に侵されていて、だから右手だけ手袋をつけていたり、拳銃ではなく剣を使って殺すのは、患者へのせめてもの手向けだと語ったり、どれもくだらない話だ。

 最後に、患者は生きているか、死んでいるかの話になった。俺の答えは決まりきっていたので、さっさと話してしまおう。そう思いガキの方を見たら、もう夢の中に入っていた。

 そして夜が明け、山を登りきり、気づけばオレンジ色に輝く夕日が遠い彼方に見えていた。ガキの言う花は崖の丁度真ん中に生えていて、ガキが行けば間違いなく落ちたら死ぬ高さにあり、ガキを押さえつけて俺が取りに行った。


「もしかして、取れましたか?」

 ガキいわく、普通の花よりも香りが強く、嗅げば直ぐ分かるのだそうだ。


「俺はいい香りだと判断したが、目当てのものかは分からない。自分で確かめろ」

 崖を飛び降りてガキの前に着地すると、俺はすぐに花を渡した。

 割れ物に触れるみたいに手に取ると、ゆっくりと顔に近づけた。すっ、と嗅ぐと、肩の力を抜いて、静かに微笑んだ。


「これです。私が探してた匂いです」

 清涼感のある優しい花の香りが、花を触った俺の手からも香ってきた。


「このお花、お父さんが最後にくれた贈り物だったんです。すごくうれしかったから、おじいちゃんにあげたくて」


「確かに、いい香りだな」


「ふふっ、ですよね」

 それから、そっと花を抱きしめた。

 朗らかな空間、癒される花の香り。だが、それで気を緩めるほど、俺は生易しくない。


「誰だ!」


「おにいさん?」


「黙ってろ」

 少し開けたこの場所では、俺の声は良く通った。それは相手も同じこと。隠れる必要が無いと判断したのか、木の陰からすぐに顔を出した。


「おやおや、よっぽどその可愛らしい少女が大事に見える」


「何しに来た」


「酷いなー。久しぶりに会った家族にそんな態度はないだろう?我が血肉を分けた兄弟よ」


「…お前を家族だと思った事は一度もない」


「あはは、だろうね」

 そう言い、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

 目の前の男を、俺は知っている。こいつの目が見えないのが幸いした。見えていたら、説明にさぞ苦労しただろう。俺と全く同じ顔、背丈、そして声。

 違いがあるとすれば、信条と、病に侵されていない体ぐらいだ。


「おにいさん、だれ?おにいさんのきょうだい?」

 少女は俺の服の裾を掴んで離そうとしない。こうなった以上、何かあったらガキを抱えて逃げる他無さそうだ。


「おおっ、僕にも物怖じしないその胆力!いいね、そういう愚かさ大好きだよ!そうだねぇ、色んな呼ばれ方をしたけど…アインズと、そう呼んでくれ」


「アインズ、さん」


「おにいさんが名前を明かさない以上、おにいさんが二人居ては、君も困るだろう?ああ言っておくけど、僕にも自己紹介は不要だ。いちいち覚えてられないからね」

 邪悪の一言に尽きる。こいつは人類の事など、本当に何とも思っていないのだろう。もうすぐ滅びる、一個の種としか見ていない。

 自業自得で滅びる、憐れな種だと。


「行くぞ、長居をする理由もない」


「君はまだこんなくだらない事を続けるのかい」

 ガキの手を引き村に戻ろうとすれ違ったところで、アインズが問いかける。俺はガキの手を放し、剣に手をかけ答える。


「なんだと」

 アインズはニタニタと愉快そうに俺の周りをぐるぐる回り出した。その顔はある意味、無邪気ともとれる顔だった。


「もう人類の数年後など分かり切っている。勝手に滅びるだけの種に、どうしてそこまで慈悲をかけるんだ。僕にはてんでわからない」


「お前の理解など、この世で一番要らないものだな」


「その剣だって、要は無駄なプライドだろう。皆と同じように、コレを使えばいい」

 そう言って服の中から一丁のリボルバーを取り出した。カチャっ、という軽い音と共に、流れるように安全装置を外し、そして俺の額に突き付けた。


「二人ともケンカはダメだよっ」


「ガキは引っ込んでろ」

 俺がそう言うと、肩を縮こまらせ、静かになった。申し訳なさ、なんてものは数十年前に捨てさせられた。


「引き金を引くだけで簡単に殺せる。その剣を手放して、ただ己の為に」


「黙れ」

 言葉を遮ると同時に、剣をアインズの首に持っていく。勢い余って、首から血が垂れたが、気づいてすらいないようだ。


「無駄なプライドじゃなくて、責任と信念の象徴だ。そのどちらも手放したお前には、分からない」


「僕からの忠告は、お気に召さなかったかな」


「当然だ。そのコミュニケーションの下手さには驚いたぜ」


「それを君が言うか」


「おにいさんたち、えっと」


「いや、もう心配はいらないよ。僕はそろそろ退場しよう。時間なら、それこそ無限にある」

 そう言って銃を下ろすと、最初から何もなかったように歩き出した。まさかこいつ、これだけの為にここまで来たんじゃ。


「兄弟なら薄々感じていただろうけど、この付近、随分あの怪物どもが多いだろう」


「お前まだ」


「ストップ。原因はどうであれ、あそこには多くの患者がうろついてる。患者どもの嗅覚を、知らない君じゃないだろう?」

 思考が加速する。点と点が、線になっていく感覚がする。


「まさか」


「おにいさん?どうしたの、どういう意味?」


「行くぞ。舌を噛むから喋るなよ」


「え?うわあ!」

 ほぼ無意識に俺は地面を蹴り出していた。俺の身体能力だったら、一時間もすれば着くだろう。間に合ったとしても、何人生き残りがいるか。そう考えながら、俺は夢中で走った。

 アインズは空を見上げ、そして花の咲いていた崖を見る。この思い出は、彼にとって何分の一なのだろう。


「なんにも関係ない癖に、君は優しすぎるんだよ。だから憎いんだ」

 僕のようになってしまえば楽なのに、とはアインズは言えなかった。











「これは…酷いな。間に合うか?」

 村に着いた時には、ほぼ手遅れだった。


「火の臭い…それと、血だ」

 俺は固まったガキを降ろして、剣を引き抜く。


「お前はここで待ってろ」

 ガキには見向きもせず、俺は崖を飛び降りた。村の壁まで来ると、それをひとっ跳びし、辺りを見回したが、想像よりだいぶ酷かった。銃の乱射の跡に、患者が貪り尽くした死体。火の海だけならまだしも、患者もいるとなると地獄のようだ。


「助けろお!助けてくれ!!なんでもっ、ひいいい!」

 近くで聞こえたのは、あの村長の声だった。様子を見に行くと、数人の患者に襲われ身動きが取れない状態にあった。

 本来なら助けるべきなのだろうが、生憎、それほどの善行をこいつはしていない。


「そのなんでもは、散々使われたやつだろ。中古はお断りだ」

 断末魔には耳を傾けず、踵を返す。そこには前見た時の倍は居る患者たち。だが、みな等しく生命という点では平等だ。


「お前らの死因は俺だ。死んでも世界を恨むんじゃねぇぞ」

 そう言って、俺は患者たちに飛び込んだ。










 後のことは、言わずもがなだ。息を整えて、上を見上げる。煤が空を舞い、朝日が昇り始めていた。俺は息もそのままに、崖の方へと歩いた。


「すまん。間に合わなかった」

 すべてが終わり、崖の方へ戻ってくると、体育座りで村を見つめるガキが居た。俺はその隣に座って、もう一度語った。


「生存者はゼロ、患者も一人残らず死んだ。残ったのは灰になった家と森と、それから、俺とお前だけだ」

 沈黙が続く。灰が喉を抉るような痛みで突き刺してくるが、彼らの痛みに比べれば、軽いものだ。


「いいよ」

 ガキはよろけながらも、自分で立ち上がりもう一度村があった方角を見た。


「大丈夫だよ、おにいさん」

 どこか決意の宿った声だった。数秒後、俺も同じように立ち上がり同じ方向を見つめる。


「俺はここを発つ。ガキ、お前はどうする。ここにいたいなら止めないが」

 そう言ってガキを見る。まだ村の方を見ていた。

 灰の含んだ空気をめいいっぱい吸い込むと、俺を見上げて言った。


「着いて行ってもいい?」

 あくまで楽しげに。これだけ聞いたら、世界の終わりとは到底思えない。


「勝手にしろ」

 俺はふっと微笑むと、朝日を背に歩き出した。




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