イルロス・ヒューマ
番外編へ続く
王都2番街、広場にて。
夕陽は既に半分以上沈み、少し振り返ってみれば空は暗く色付いている。それがまるで、自分達の、王都の辿る運命のように見えて、【シーバ】は乾いた声で弱々しく笑う。
「あの落ちこぼれが...ねぇ...。」
そんなシーバは、先程のアムネスを脳内で想起する。何らかの魔法によって水面反射法則が強制的に解除され、シーバは炎の被害をモロに受けてしまった。
その被害が、右手の欠損と顔を抉られただけで済んだのは奇跡とも言えるのだが。
右手は手首から先が失われ、顔は右頬の半分以上が削れている。また、抉られた右頬を中心にして延焼が広がり、右目は機能しなくなっている。
勿論、それ以外が無傷という訳ではなく、全身が焼かれ、身体の所々は焼け焦げていたり内臓の一部が破裂していたりと、これで死んでいない方がおかしいという状況である。
「....しかも、回復不能まで付けやがって...」
後1回、シーバには不死・回永を使えるほどの魔力は残っていた。いざという時に、と取っておいた切り札だが、最早それは意味を成していない。
「もう、勝てねぇでしょ....あんな化け物」
シーバは、大きくため息を吐き、呆然と空を眺める。シーバの意識が戻ってから、何となくそこら中を歩き回っているが、勿論避難者の残りなどは見つからない。
シーバには、戦意などとうに消え失せていた。
元々、戦意など無いに等しかったのかもしれない。かつての落ちこぼれが復讐をしに突然王都を襲い、突然今まで出していなかった本気を出した。
そんな笑い話があるだろうか。
「本気出せんなら、最初っから出しとけよ...」
アムネスが出会った時から本気を出していれば、きっと追放なんて考えにはならなかったはずだ。それなのに、アムネスは────
ふと、シーバの脳に違和感が過ぎった。
それは、記憶の中から"何か"が抜け落ちたような気持ち悪い感覚で、妙な焦燥感がシーバを襲った。
しかし、それは、
「.........ぁ」
足元に無造作に放られた腕を見て、違和感など瞬時に消え去った。
恐らく、誰かの欠損した腕だろう。そして、その誰かは既に分かりきった人物だった。
肉体から切り離された腕から流れる血液は、赤く黒く、点々と道の奥に続いていた。
その血液が織り成す道の先を見れば、きっとシーバは後戻りの出来ない選択を自分自身に強いるだろう。
「ぁぁ......」
見たくはなかった。だって見れば、自分は死ぬことになると分かっているのだから。
大切な人が生きれるなら。そんな酷く他人善がりな考え方をしている事をシーバは知ってるし、そんな自分に酔いしれていることも知っている。
そんな考え方だからこそ、シーバは誰かのために切り札を切る事を躊躇ったのだろう。
そして、そんな誰かは────
「ここに、居たんですね.....リーダー」
民家の瓦礫に、フラック・バシュキーは押し潰され、息絶えた姿でそこに居た。
※※※※※※※※
「疎放の一撃を弾けたことが随分悦ばしいようだな」
王都の一角、度重なる戦闘によって足場が悪くなった街道で、魔王はイルロスに向かって挑発的な態度を取る。
「ああ、嬉しいとも。かの魔王様の攻撃を防ぎ、戦友を救ったのだからな。その点、人1人殺し損ねるなど、魔王も堕ちたものだな」
「.....なに?」
イルロスは、口を歪ませて嗤い、頭に手を当てて魔王を嘲ける。そんなイルロスの態度に、魔王は口調を変えて静かな怒りを示す。
イルロスに抱えられたガーコスは、全身を炎で焼かれ、目も背けられない状態になっている。これでまだ呼吸が出来ているのだから、鋼の英雄という称号を与えられたのだろう。
しかし、この状態が続けば、流石のガーコスも死を迎えるだろう。
「起きろ、ガーコス。あの世に逝っても酒は飲めんぞ」
イルロスは、耳元で囁くようにガーコスの魂に語りかけ、半ば無理やりその場に立たせる。
ガーコスは、血を含んだ咳を吐き出し、焼け焦げて目元まで下ろされた髪を掻き上げる。息を吸い、吐く。それを繰り返し、ガーコスの眼は生気を取り戻す。
「おはよう」
「...貴方は...本当に酷いお方です」
ガーコスが放った言葉は、ここまでの重症を負っても退場を許してはくれないイルロスか、はたまた、ガーコスに英雄を自覚させ、死ぬ意味を捨てさせたアムネス・ケンシアに向けたものか。
どちらにせよ、ガーコスには未だ戦う意思が明確に残されていた。
「死に体め。今一度、この手で葬ってくれる」
そう言うと、魔王は姿勢を低く構え、両拳に炎を宿す。その様子を見て、ガーコスは刀を地面から拾い上げ、イルロスは「万世の剣」と小さく呟く。
すると、何も握られていなかったはずのイルロスの手に、半人分程の大きさの大剣が現れる。
その大剣には、鋼の上に青と金の模様が描かれ、刀身には周囲の瓦礫の山さえも美しく映されていた。
現代の英雄と女傑。その姿には、一分の隙も無く、かつ一分の暇も与えまいと目の前の魔王に圧をかけていた。
2人揃えば敵無し。周囲の雑人がレッテル貼りをしたそれは、魔王相手でも通用する言葉だ。事実、現代に復活した魔王の背筋には、僅かながらも緊張感が走っていた。
───しかし、例え都市の単独占拠を成し遂げた英雄でも、南方制覇を成し遂げた女傑でも、人間というカテゴリのほんの1部なのだ。
命の尊さを理解しているから、命を失うことへの恐怖が生まれる。恐怖が生まれるから、個人そのものは弱く矮小になっていく。
「────っ!」
刹那、イルロスと魔王の間に紅色の火花が噴き出た。
一瞬の出来事だった。
ガーコスの目の前にイルロスの背が現れ、その直後に鋼のぶつかり合う音が耳を打った。
魔王は、瞬間的にその拳をガーコスの眼前まで届けるも、イルロスの大剣に弾き飛ばされ、口の中で舌打ちをする。
瞬き1回。その1回こそが命取りと成り得る。
目の前の一瞬の動きを視認出来なかったガーコスは、脳内でこの言葉を何回も反芻する。
本物の怪物とは。
命という概念すら山のように積み重なった死体に放り投げ、死への畏怖という感情を生み出しもしない。決して、人間には辿り着けない境地に立つ者のことである。
「...また、私に攻撃を防がれてしまったな?」
「冷や汗が滲み出ておるぞ。先の姿勢はどうした?」
イルロスの言葉に耳を傾けず、魔王は身を素早く反転、その回転に従って普通の人間よりも長めの脚を振りかざす。
イルロスは魔王の拳を防御した反動により、ほんの少し動作が遅れている。つまり、ガーコスが魔王の攻撃を受け止めなければならないのだ。
「温いな 貴様、何を恐れている?」
ガーコスの瞳に逡巡を表す揺らぎが映る。
その様子を見て、魔王は興を削いだと言わんばかりに呆れた表情を見せる。
「────ッ!」
ガーコスは、ようやく大剣を振りかざし始めたイルロスの、その忙しない間を縫って魔王の前に立ちはだかる。
イルロスとガーコス自身を守るように、刀を縦に振るう。魔王の拳が、その軌道上で刀に当たるように振るったガーコスの剣技は、極度の集中から成る確かなものであった。
しかし、
「───桃宮無本の盾剣」
「───! 刀を捨てろガーコス!!」
魔王の紡いだ言葉から、何かを察したように目を見張るイルロス。そんなイルロスの言葉も、集中の極地に達していたガーコスには届かなかった。
(一撃、一撃でいい。少しでも怪我を負わせれば後は────)
そんなガーコスの考えは、酷く楽観的で、盲目的なものであった。それもそのはず、ガーコスの勝利条件の中に自身の生存が入っていないのだ。自己犠牲、それは、魔王にとって理解出来ぬものであり、何よりも軽蔑の対象となるものなのだ。
(......何だ、これは)
そんなガーコスの目の前に現れたのは、綺麗な桜の花びらである。今日だけで何回花びらを見たのか、それは置いておいて、その桜の花びらは縦円状に広がり、ガーコスと魔王の狭間を絶っていた。
桜の花びら───否、違う。
それは、桜色をした無数の剣だった。
剣は円状に連なり、その円の形を保ちながら少しずつ動いている。無数の剣、つまり円の中心には、大きく見開かれたというより、瞼のない大きな瞳が嵌められている。
充血した目玉にガーコスの刀が当たり、柔らかい感触がその刀身からガーコスに伝わる。
「己の誤断を呪え」
目玉に刃が食い込み、目玉に剣傷が付く。その次の瞬間、ガーコスは大きな衝撃と共に、視界を赤く染める血液の、肌に当たった気色悪さを体感する。
見開いた目で、赤くカーテンがかった視界で、最も衝撃の大きい腹を見る。そこには、肩から腰まで届く程の大きな剣傷が。腹から滲み出た血液が服を濡らし、鎧の中に血の水が溜まっていく。
「ぐぶ」
足の力が抜け、刀で身体を支えられず、膝から崩れ落ちる。鼓動が脈打つ速度が速まり、冷や汗が首筋を伝う。刀を地面に放棄し、それによる金属音と耳鳴りの違いも分からなくなる。
「ガーコス!!」
「余所見とは、随分余裕のある事よ」
地面に倒れ伏すガーコスを目にし、声を張り上げて叫ぶイルロス。イルロスの一瞬の焦燥と気の混じりを見逃さず、魔王は、その拳を大剣の間を縫ってイルロスの腹に向かって振るう。
空気を焼き焦がしながら進む拳は、風を切る音と共にあっという間にイルロスの腹まで到達し、イルロスの腹と拳の間に軽い衝撃波を発生させる。
そして、鈍い音と共にイルロスは激しい衝撃と鈍痛を受ける。
「ぉ.....ガハッ」
意識ごと内臓を掻き乱すような痛みに、脳が揺らぐような感覚を、火の中で全身を焼かれるようなその痛みを、イルロスは感じる。
その衝撃によって、イルロスは体をくの字にして地面に吸い込まれていく。
その隙に、魔王は右足を大きく振り上げ、ガーコスに向かって足を振り下ろす。右足は炎を纏い、再び空気を焦がしながら進む。
「.....な、待っ───」
ガーコスの、悲痛な叫びも届かず、肋骨辺りに魔王の右足が衝突する。ガーコスの瞳から一粒の涙が溢れ、地面に落ちる。それを合図にするように、ガーコスの身体は軽々しく宙に舞う。
目にも留まらぬ速さで吹き飛び、民家を数個突き抜ける。民家を貫く度、その破片がガーコスを襲い、幾つもの瓦礫の破片が身体に食い込む。
身体が止まったのは、絶対に壊れることの無い結界の壁にぶつかってからである。ドチャッと嫌な音がして、それからガーコスは身体を痙攣させる。ガーコスは既に意識を失い、身体の様々な部位が骨折し、破損している。
ガーコスは、ズルズルと結界の壁から地面に倒れる。結界の壁には、汚い血が大きな模様として残されていた。
「ぐっ、クソ.....」
イルロスは、彼方へ吹っ飛んでいったガーコスの方角を少しだけ視線で追い、すぐに魔王に戻す。頭の中で、戦友の悲惨な姿を想像したくなかったからだ。
特に交わす言葉は無かった。
魔王は一瞬の内にイルロスの目の前に現れ、姿勢を低く構える。それを瞳に映す前に、イルロスは勘で大剣で受け止める。
しかし、赫く染まった拳は大剣を避け、空気を焼き焦がしながらイルロスの顔面前まで到達する。イルロスは間一髪で拳を避け、赤褐色の長い髪に火を灯す。
「延炎炉壊・暁魅の核」
瞬間、イルロスの髪に灯った炎は丸い形を帯び、膨張し始める。炎は一瞬の内に急激に膨らみ、ドクドクと脈を打つ。
炎が破裂する寸前。イルロスは大剣を宙に投げ捨て、自身の髪に手をかざす。長い髪は瞬時に切断され、イルロスは後ろへ大きく後退する。
炎は魔王を巻き添えにして爆発し、辺りに灰が黒煙の軌道を描きながら撒き散らされる。
イルロスは、爆発の副産物である瓦礫の欠片を額に掠め、切り傷を負う。切り傷から流れ出る血液は、イルロスの右目を覆い、視界に赤いカーテンを掛ける。
黒煙を破り、魔王が再びイルロスの領域に侵入してくる。イルロスは手元に大剣が無く、素手で魔王の拳を対応しなければ────
「万世の剣」
イルロスがそう呟くと、投げ捨てられたはずの大剣が再びイルロスの手元に戻る。そのまま、イルロスは魔王との距離を取りながら、大剣の剣先が腰後ろに向くように振り被る。
「詰めが甘い。隙だらけでお粗末もいい所だ」
そう言われ、イルロスは瞬きの間に魔王に詰め寄り、抜刀のような構えを取る。魔王は、心底退屈そうにイルロスに手をかざし、その手に炎を宿す。
魔王の手のひらの前で、炎は蠢き、形を織り成す。炎は刃の様な形になり、その凶刃はイルロスを襲う。
イルロスの身体を炎の刃が真っ二つに切り裂く。イルロスは為す術もなく、そのまま地の底へと命を捨てて堕ちる────その直前だった。
「変革・祈世の若堕け」
───イルロスは、口元を歪めて小さく嗤った。
そして次の瞬間には、斬られたはずのイルロスの身体は再びくっつき、額の切り傷も何もかもが元通りになっていた。
そんな一瞬を、魔王は確かに自らの双眸の中に閉じ込めた。
※※※※※※※※
王都中央街、王城第二棟【王直属兵専用大食堂】
ここは、王城に仕える兵士専用の食堂であり、王城が誇る世界有数の大食堂である。
約1300人分の席が用意され、遠征明けの夜などは食堂の半分以上が埋まる事もある。
そんな食堂では、史上初の満席となっていた。
それもその筈、王都直属兵に加え、周辺国の騎士団や帝都領域の兵士もこの食堂に集っているのだ。
イルロス・ヒューマの指導に着いていく勇気が無い者、つまり、戦線に出る意思が無い者のみがこの食堂に集まっている。
今だけは、食堂にいる全員が堅苦しい鎧や兜を外し、無防備な状態である。そして、約1300席のテーブルには数え切れない程の料理や酒が置かれ、皆が無邪気な笑顔で食事や談話を楽しんでいた。
「───酒だ!もっと酒を持ってこォい!!今夜は宴だ!!」
1人の男が拳を突き上げ、声高らかに叫ぶと、それに呼応して次々と周りの男たちは野太い声を張り上げる。
今だけは、互いの肩書きや名誉などを捨て、兵士や騎士では無く1人の人間として、宴を楽しんでいた。
「俺を誰だと思ってる!帝都兵団の一兵士様だぞォ!?」
「ガーハッハッハッ!ただの兵士じゃねぇか!!」
「そこで俺は言った。膝まづいて許しを乞えば、特別に見逃してやるってな!」
「あのバカ息子は!一体どこをほっつき歩いてんだ!!」
「くそぉ....!好きな子に好きだっつって何が悪ぃんだよぉ...!」
「相手は婚約者だろバーカ!がははは!」
「しかも寄りによって婚約相手が王都の貴族だったなんて....あんまりだぁぁぁ!」
「「「ぶはははははは!!!」」」
膨大な金のかかる料理魔法のおかげで、いつまで経っても不足しない料理と酒によって、兵士たちの気分は最高潮に達していた。
「女は居ねぇのかァ!?最期ぐれェサービスしてくれたっていいだろ!!」
「あっちにいんじゃねぇか!筋骨隆々のお・ん・な、がよぉ!!」
1人の兵士が指を差し、その示す先には数十人しか存在しない女兵士の姿。そこでは、酒が上手く回っていないのか、女兵士たちの顔に影が出来ているように見えた。
「バカヤロォ!ありゃ女を捨てた女じゃねぇか!」
「覇気が足りねぇな!やっぱ帝都の女傑、イルロス・ヒューマ様が最強だぜ!」
「実物は美しかったなぁ....良い乳に良い尻!女はああでなくちゃな!」
「ハッハッ!身体しか見てねぇじゃねぇか!」
笑い声と楽しげな叫び声の絶えない食堂。好きに食べて好きに飲み、好きに話して好きに叫ぶ。
まるで天国のようなこの状況に、人々は不安や負の感情を飲み込むように酒を一気に飲み干す。酒を飲めば、全てが上手くいくような、不思議な高揚感に呑まれて気持ちが良かった。
実際、皆が飲む酒には精神魔法がかけられており、脳に働きかけて無理やり負の感情を押し出しているのだが。
そんな天国のような状況でも、いつかは終わりがやってくるのだ。
「はっはっは!いやぁ愉快だな!はーはっは───ぁぶ....ぁ?」
「おい皆見ろ!マジックだ!すげぇ本物の血見てぇだ!」
「こいつ泡吹いて倒れてるぜ!汚ねぇな床掃除しろよ〜!がはははは!」
「おいおい、こいつホントに死んで.....ぁ」
兵士の1人が、突然胴体が真っ二つに切り離され、傷口から血の匂いと焼け焦げたような匂いが伝う。その様子を見て、周りの兵士たちは声を高くして笑い、それを肴にして酒を飲む。
異変に気付いた兵士は、唐突にマジックを披露して見せた兵士の元へ駆け寄るが、その兵士は頭が爆散し、頭を失った首から黒い煙と血を噴き出る。
「おい見ろ!こいつもマジックやってるぞ!」
「これがホントの透明マジック、何つってな!」
「がははは────ぇ」
「ぉ....何だ、これ....ぶ」
1人、また1人と、血を噴き出しながら倒れていく。1人は腕が斬られ、1人は腹に風穴が空く。次々と倒れていき、倒れた人々の身体は痙攣し始める。
「いひひひひっ 俺ん右腕ぇ無くなっちまったぜぇ」
「おいお前!俺の腕いるか!?今取れちまったんだよ!」
「バカお前!それ左腕じゃねぇか!」
周囲に、笑いが起こる。
無邪気な笑いが───否、理解する能力を失った事による、理解を拒否するための笑いが。
痛みなど感じず、その代わりに高揚感と絶頂が兵士たちを襲う。
次々と、人間が倒れていく。
自分が倒れたことも理解出来ずに。
理解しなければ痛みは感じない。理解しなければ、一生楽しく生きていける。いいや、死ぬことさえ理解しなければ、永遠に楽しく生きれる。理解しなければ、理解を、理解出来なくとも、理解せずとも、理解したければ、理解無くして、理解理解理解理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理解、理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理か理かりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりかりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり
───使い捨ての駒兵は、ヘラヘラと笑うばかりだった。
※※※※※※※※
ようやく、ようやく魔王には多少なりとも高揚感が湧き出ていた。
悉く、魔王がイルロスに与える攻撃が無効化されているのだ。否、無効化ではなく、圧倒的な再生力と言った方が正確か。
イルロスの隙だらけの大振りの動作、それを打ち砕くかのように、魔王はイルロスの心臓部に穴を開ける。しかし、ポッカリと空いた穴から血液が漏れ出す前にジュワジュワと音がして瞬時に穴は塞がれる。
イルロスはよろけもせずに、剣技の動作を続け、魔王は攻撃する事を諦めて両手を顔の前に交差、防御体勢に入る。
空に迸る剣閃が青く淡く輝いたのを目にした、次の瞬間には鉄と鋼が打ち付けられた音が耳を打つ。魔王は、周囲に散らばる火花を浴びながら、大剣に対して目を細める。
魔王は交差した腕を勢い振って大剣を払い除け、大剣の刃先が空に向く。払われた反動によって、イルロスは腕を挙げた状態で後ろへ後退する。
「手応えはあったはずだが....何かしたな?」
魔王が見据えるのは、イルロスの眼である。
死寸前の獣や、全てに失望し、全てがどうでも良くなった者の眼。それらの者と全く同じ眼をイルロスはしていた。
人間という存在から脱却し、人間主観の常軌を逸している。イルロスからは、そんな異常を感じ取れた。
そんな異常性を持ちながらも、表情は一切崩していないのは、流石【南方の覇者】と言うべきか。はたまた、彼女の美徳やプライドに基づいた痩せ我慢なのか。
「先程までの口達者は何処へやら、だな」
魔王の言葉に対して、一切の反応を見せないイルロスを見て、期待通りだと言いたげに口角を上げる。
「...良かろう」
一言、そう呟くと、魔王は唇を舌で湿らせ、右腕を虚空へ伸ばす。すると、開かれた右手を黒い靄が包み、魔王は虚空に現れた何かを掴む。
「"咎剣"イブリース」
黒い靄の中から姿を見せたそれは、人1人の一生と引き換えにしても釣り合わないぐらいには美しく、悪魔的な魅力があった。そして控えめな流線型の鋼に映るあらゆる事象が、まるでこの世のものでは無いかのような、妖艶さを錯覚させた。
目立った装飾は特に無く、強いて言えば金で出来た柄ぐらいだろうか。その貧相な見た目が却って鋼の美しさを底上げし、イルロスの焦点の合っていなかった目でさえも虜にした。
───咎剣イブリース
かつて、神に酔狂し、その忠誠心から崇拝対象である神でさえ手に掛け、挙句の果てに自身を"神に逆らった堕天"として処刑対象とした者が、最期に呪いを込めた剣こそが、この咎剣イブリースである。
この剣の所有者は例外なく、3年以内に何らかの重罪を犯し、やがて剣で自らの内臓を外に掻き出し、生き地獄とも言える苦痛を感じながら自害してしまう。
「この剣は初めて使うが.....しかしまあ、所詮は下人が遊び心で創った真っ赤な虚言よ」
魔王は、手中に収めた剣の刀身を見ながら、満足気に小さく頷く。イルロスは様子見を───する気は一切無いようで、攻撃のタイミングを今か今かと待ち望み、口の端から涎を垂らす。
咎剣に目もくれないイルロスを見て、魔王は再び姿勢を低く直す。攻撃の準備は万端。後は、イルロスがどう動くかを考えるだけだ。
そこに、
『────せ』
「....?」
魔王は、脳を中心に身体全体に響くような声音を感じ、意識を逸らす。その隙にイルロスは地を蹴り、まるで瞬間移動の如く、一瞬で魔王の目の前まで辿り着く。
『───ろせ!』
やや低めな女声、しかし途切れ途切れに聴こえるそれは、単純明快な凄まじい殺意とも、心からの悲痛な叫びとも取れた。
間髪入れずに大剣を振るうイルロス。魔王は突然の横槍に戸惑いつつ、すぐに体勢を整え、咎剣をイルロスの大剣の軌道に被さるように振るう。
2つの鋼がぶつかり合い、火花と共に心地の良い金属音が鳴り響く。
『───殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!』
声が脳をノックする度、咎剣は力を入れずとも独りでにイルロスの大剣を押し返す。まるで、咎剣自体が意志を持っているかのような、初めての不思議な事象であった。
『斬って斬り払って斬り捨てて!殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ! どうせ誰も、あんたなんかを見ちゃいないさ!』
段々と、咎剣はその刀身を赤黒く染めていく。やがて刃先まで赤黒く色が染まると、着火をしていないにも関わらず、刀身に紅い炎が宿る。
「....ほう」
そんな咎剣の様子に、魔王は興味深げに好奇の目を向ける。一振、剣の感覚を確かめようと軽く空を切り払う。剣閃は刀身と同じ赤黒い軌跡を残し、空気が焼き焦げる音を耳心地良く奏でる。
そして、その感触は妙に懐かしい様に思えた。
※※※※※※※※
黒ずんでいる雲、しかし雲の涙は見えなかった。
無数に、しかし規則正しく配列された石造りの墓は、曇天の中で不気味さをより一層強めていた。そんな中で、小さな墓の前に立つ1人の青年がいた。
青年は、黒く少しだけ長く伸ばした髪の毛先を、目線の先、地面に向けていた。黒いシャツに黒いズボン。彼の装いは全てが真っ黒で、黒くないところと言えば日焼けした肌と赤い瞳ぐらいだろう。赤い瞳の中に十字の黒い模様があり、それが青年の最大の特徴となっていた。
青年の鬱憤や喪失感、それを彼の姿のみで推し量ることは不可能で、彼自身も自分の気持ちの余裕のなさを測れていなかった。それでも、青年の俯いた姿から見える横顔を見て、彼に話しかける者は誰1人居なく、青年は近寄り難い雰囲気というものを半無意識的に醸し出していた。
出来ればこのまま、死ぬまで誰とも関わりたくない。そう思っていた。
ズボンのポケットから、白く短い棒状のものを取り出す。それは魔草スティックと呼ばれている娯楽物であり、スティックの先端部分に炎を灯し、口に付けて煙を吸い込む事で鎮静効果と快楽を味わうことが出来る代物だ。
異世界から来たという男が発明したのだとか。昔は誰もが嗜んでいた程だったが、昨今では、魔草から出る煙が人体に大きな害を及ぼすとして、18歳未満の使用は厳禁とされている。青年は今年でようやく16になるのだが、実は魔草スティックは今回初めての使用だ。
父親が嗜んでいる様子を思い出し、懐かしみながら、青年は指から火を出す。
この墓場には、広大な面積の割に人は誰1人として存在しない。どうせ誰も見ていない。見れない。自分のことを見ているヤツがいるとしたら、それはきっと、目の前の墓の下で眠っている両親ぐらいだろう。
火を灯した指を魔草スティックに近付け、何秒か待つ。やがて、スティックの先端部分から白い煙が出始め、青年は顔の前で手をパタパタと振る。
鬱憤を晴らすように、喪失感を無理やり忘れさせるように、魔草スティックを口に近付ける。やるなら思いっきり吸ってやろう、と、青年は息を吸い込む準備をする。
大人の階段の1歩目、その1歩を踏み出そうと、青年は息を大きく────
そんな時だった。不意に、辺りの空気がガラッと変わったのは。
「ハロー、そこの青年。世界に絶望した様な顔をして、何かお悩みかな?」
それが、唯一の神と孤独の悪魔との邂逅の瞬間だった。