アムネス・ケンシア②
王都中央街、王城最上階【緊急任務対策部】
豪華な壁と天井。そこにぶら下がるシャンデリアは部屋を明るく照らしていた。
それとは裏腹に、酷く簡素な木の長机とその上に敷かれた地図。それは、王都全体を示すマップであった。
そして、机を囲うように立つのは王都騎士団団長と現国王、周辺諸国の代表者。正に、世界の総力がそこに集結していた。
「アムネス・ケンシア。現代の魔王として我が王都に君臨した元勇者....か。飼い犬に手を噛まれる、とはこの事よな」
緊張感が広がる中、沈黙を破るように口を開いたのは現国王であった。
国王は、机に広げられた地図を見ながら、眉間に皺を寄せて短く嘆息をした。
「勇者フラックとの通信が途絶えた今、切り札を発動する他あるまいな、南方の帝王【イルロス・ヒューマ】よ」
国王は、視線を隣に立つ帝王へと向け、話を振る。南方の帝王であるイルロスは耳飾りを揺らし、長い赤褐色の髪を指で弄る。
イルロス・ヒューマは世界初の南方制覇を果たした革命児であり、女という性別をものともしない厳戒な姿勢に人々は憧れ、同時に畏怖した。
そんな功績の一方で、自国の民や部下、大きな功績を残した者との交流は欠かさず、国民からの支持も存分に得ていた。
その交流した者の中には、勇者パーティも当然含まれていたのだ。
「早まるなよ、国王【マズラ・フーコ】 貴様は事態を一刻も早く終わらせたいと、判断を早まり、過つ癖がある」
イルロスは唇を舌で湿らせ、怪訝な表情を見せたまま国王であるマズラに説教を垂れる。
マズラは無言でイルロスを見つめ、意見を述べるよう促す。
「....私は貴様の意見に概ね賛成だ。」
「ならば...」
「早まるな、と言ったろう。現魔王は前代魔王よりも遥かに脅威であると勇者フラックは述べていたな」
「現魔王が万全の状態であるなら、我々の切り札でさえも、いとも簡単に打破される可能性がある。それは、はいりすく・ろーりたーん、と言うものであろう」
意見を言い終えたイルロスは、随分前に覚えた言葉を使えて満足の表情を微かに見せる。
すぐに表情を戻し、腕を組みながら国王の表情を覗くが、目が合いそうになった途端、イルロスは目線を地図に向けた。
「ワシが早まる男なら、お前は遅まる女よ。我々のチンたらとしている動きに、敵は待ってはくれまいぞ。2番街に避難している国民達に被害が出たらどうする?それこそ───」
「どちらにせよ無くなる命、だろう?何を今更、国王面をしているのだ。」
イルロスの鋭い眼差しに思わずたじろぐマズラ。それに対して呆れの混じったため息を吐くイルロス。
「では、イルロス様。やはり....」
「あぁ、まずは側から削ろう。今ここに、正式な協力要請を行う。王都騎士団よ、力を貸してくれ」
軽く手を挙げて2人の話に割って入り、論点を戻した、白髪の頭部にちょんまげを持つ人物は、
王都騎士団総団長【ガーコス・ガイル】である。
ガーコス・ガイルは、イルロスの南方制覇に協力し、単独での都市占拠という偉業を成し遂げた、正に現代の怪物である。
その人間離れした技量から、人々からは【鋼の英雄】と呼ばれ、多くの支持と期待を得ている。
そんな、かつての戦友の声を聞き、イルロスは唇に力を入れ、瞳に光を灯す。
「勿論です。我々、王都騎士団がお力になりましょう。この腐りきった血肉に従って、必ずや。」
それは、現魔王への宣戦布告であり、それと同時に反逆者への復讐の意思を示すものであった。
※※※※※※※※※※※※
轟音が鳴り響く。
巨大な炎が地面に落下し、辺りの民家を根こそぎもぎどっていく。
長年守り抜いてきた土地も、文化も、何もかもが音を立てて崩れ落ちていく。
塔の上に立つアムネス・ケンシアは、脳を揺らがすような不快な音にさえも心地良さを感じた。
「凄まじいな....こりゃシーバもお陀仏だな」
瞳を震わせ、目の奥に炎の海を映すアムネスは、口元に微かな笑みを浮かべて軽口を叩く。しかし、その声は震えていた。
『いいや、あの娘はいくらでも蘇るであろう。この程度では死なん』
アムネスは、冗談交じりの独り言に割って入られ、へそを曲げる。
「あいつの力...死んでも蘇る治癒魔法か....リスクを犯してでも欲しいんだよな....なぁ、どうする?」
アムネスは、街の惨状を見ながら、顎に手を当てて"■■"に指示を仰ぐ。
『どんな制限があるかも分からぬ以上、奴と無駄に戦うよりか、力を温存しておいた方が賢明であろう。戦争はこれからなのだぞ』
「了解だ、ボス。あっち側の戦力はイルロス、ガーコスを筆頭にした王都と帝都の特別殲滅隊。それと、奴らの切り札に.....一応、勇者パーティもか」
燃えゆく街を目に、アムネスは眉間に皺を寄せて思考を広げる。
イルロスとガーコスの実力は言わずもがな、王都と帝都が協力し、本気でアムネスを殺しに来れば負け試合もいいところである。
『周辺諸国...特に【異星彗】まで参戦すれば、いよいよ世界を巻き込んだ戦争となるな』
「ビビってんのか? かの魔王様も落ちぶれたもんだぜ」
『たわけ、私は魔王であるぞ。世界を動かせることに高揚感を感じていたのだ。それに、落ちぶれているのは貴様も同義であろう?』
魔王の抗弁に、アムネスは口元を歪ませて薄く笑う。それは、酷く好戦的で、かつ残酷非道な印象を与える、そんな笑みであった。
「さて、どこから落とそうか」
アムネスは、目の上に手を屋根のようにしてかざし、周囲を一通り見る。
「勇者なら勇者らしく、魔王なら魔王らしく。じゃあ俺は....正攻法を取って王城から落とすべきだな」
今のアムネスに、勇者という肩書きが息をしているかはともかく、アムネスは周辺の建物とは一線を画す王都の象徴、王城に目線を向ける。
『貴様が魔王たるかはともかく....私も同感だ。指揮官を失えば、少なくとも雑魚兵は戦意を失うだろう』
「まぁ、最高戦力は殺せなくても、契約要因さえ殺せばこっちのもんだろ。そうと決まれば───」
行動は早めに、と言葉を紡ごうとした時だった。
背後から、身を突き刺すような殺意をアムネスは感じ取った。咄嗟に虚空からナイフを取り出し、振り返りざまにナイフを振るう。
鉄と鋼が牽制し合う音が響き、その衝撃がナイフの刀身を伝ってアムネスの腕を細かく震わせる。
火花が散ったかと錯覚する程、鮮やかな剣戟を繰り出した人物は、アムネスには大抵想像がついた。
「───強くなりましたな。王都の英雄、アムネス・ケンシア殿」
白く長い髪を髪具で留め、遥か上空を指すようにちょんまげを作っている、そんな人物は───
「殿、なんてやめてくれよ。あんたと俺の仲だろ? ───ガーコスさん」
アムネスの挑発するような発言に、ガーコスは鋭く眼光を光らせ、手に持つ刀を逆手持ちに変える。
そのまま、ガーコスは空中で身を構え直し、アムネスを刺すように刀を振るう。
しかし、アムネスは塔の足場を蹴り上げて軽く跳躍。空中で身を翻し、軽々と刀を避ける。
「攻撃速度足りてないぞ! スキル振り出来ないタイプかな!?」
アムネスは、刀を避けるついでに体を回転させ、大きな隙が出来たガーコスを蹴り払う。
ガーコスは、まともに防御を出来ずに真下に急降下し、塔の真下、ボロボロに焼き払われた街の街道に向かって落ちていく。
硬い地面に受け身を取らずに落ちれば、老体のひき肉と化す事は免れないだろう。例え受け身を取れたとしても、複数箇所は覚悟をしなければならない。
(仏さんになってくれりゃあ、ラッキーなんだが....)
塔の足場に着地したアムネスは、下の様子を見ようと、落下防止の為に設けられた、お情け程度の柵から身を乗り出す。
その直後だった。
上に打ち上げられた空気の刃が、アムネスの頭部を掠める。アムネスの黒い髪の毛が何本か千切れ、空を舞った瞬間にそれは焼かれて消えてしまった。
耳を砕くような轟音が辺りに鳴り響き、アムネスの耳に風が斬られる音が届く。
風によって風が斬られる。そんな馬鹿げた技量を持つ人物こそが、かの【鋼の英雄】ガーコス・ガイルなのだ。
「ひぃっ!」
あと数センチ、いや、数ミリでも頭を突き出していればアムネスの頭部は空気によってスライスされていただろう。
喉から掠れた声を出し、アムネスは顔を青く染める。
『ふむ。地に剣を叩きつけ、地面への衝撃を緩和させると同時に、風の刃のようなものを出したか』
「てめぇは何で冷静なんだよ!危機を感じやがれ!ハングリーでありやがれ!!」
『貴様は落ち着きを知らないのか。はんぐりーというものは知らないが、恐らく使い方を間違っていると見た』
アムネスは、"■■"に一蹴され、1度深呼吸を行う。心臓の鼓動が脳まで響き渡るような感覚に陥り、鼓動に合わせてアムネスは落ち着きを取り戻す。
こんな事で冷静さを欠いては、この先身が持たないと自分に言い聞かせ、アムネスは塔の上から身体を投げ出す。
(そうだ。こんな所でやられちゃあ、殺した奴らにも申し訳ねぇよな───それに、俺にはいくらでも手段があるんだ)
「絶対支配域、"物理無効"」
"■■■■"の絶対支配域の対象は、何も生物だけではない。
アムネスの身体が地面に激突する直前。アムネスに風の刃が襲い掛かり、その肉を抉る直前。
全てのアムネスに対する物理攻撃は、無効化される。
地面には、アムネスが激突した時の衝撃だけが反射され、ガーコスには風の刃がアムネスの攻撃として反射される。
しかし、自らの剣技で倒れるガーコスではない。ガーコスは、刀を胸の前で構え、風の刃をいとも簡単に弾く。
「....アムネス殿のスキルは、摩り替えのはずでは...?」
「さぁな。これに関しちゃ、俺もよく分かってねぇよ。クレームはマニュアルを用意してない世界にしてくれ」
ガーコスは、聞き馴染みの無い言葉を耳にし、訝しげな表情を見せる。その顔は、アムネスは何回か見たものであり、ぼんやりとした過去の風景を思い出させた。
「....アムネス殿。魔王戦でのご健闘、そして何より、この王都を───私の家族を命を懸けて守ったこと。心より感謝を。伝えられなかった想い、今ここに申し上げます。」
ガーコスは、深く腰を折り、アムネスに頭を下げる。それは、"騎士"としての正しき姿勢であり、この瞬間だけは互いの位置などは無いように思えた。
「あんたの家族を守るために戦ったつもりは無いんだが....そうだな、あんたは俺に返しきれない程の恩があるはずだ。」
「.....それは」
「ここは1つ、この戦いから退いてくれねぇか?」
「アムネス殿...」
ガーコスは、頭を上げ、揺るがせた瞳の奥をアムネスに向けた。その瞳からは、絶望と失望に満ちていて、アムネスは心に薄い痛みを感じた。
「なぁ、あんたの家族の恩人からの頼みだぜ? あんたの、まだ小さい娘ら...あん時ぁ、それはもう感謝してくれてなぁ.....」
「止めてくだされ...もう、お止めくだされ.....アムネス殿...」
「────。」
アムネスから見たガーコスは、酷く悲壮な表情を写していた。かつての酒友から向けられる悲情は、これ程まで心を抉るものなのか。
しかし、
『何をしている?小僧。今更、情に訴えられたのか? 背後にあったはずの道は、とうに断たれているというのに』
「....そうだな。もう後戻りは出来ねぇよ。でも...意外と心にくるもんだぜ?魔王様には心が無いから分かんねぇだろうけどよ」
「魔王....? 一体、誰と....?」
ガーコスは、不審感を混じえた瞳で、アムネスを貫く。もう一度刀を握り直し、姿勢を低く構える。その所作の全てが、洗練された動きで、一分の隙も無かった。
アムネスは右手に握っていたナイフを顔の前で構え、唇を舌で湿らせる。
「無駄話は終わりだ、爺さん。残念だが、老体のあんたでスロットを埋める訳にはいかねぇ。悪ぃが死体は放置だ」
「───お忘れですか?アムネス殿。はて、私は貴方に1度たりとも負けたことは無かったはずですが....」
アムネスは、人差し指を軽く動かし、ガーコスを挑発する。それに対し、ガーコスは鋼の刀身を手でなぞり、刀を構える。
かつての軽口を言い合う友から、明らかな敵へと姿を変えた瞬間であった。
「王都騎士団総団長、鋼の英雄ガーコス・ガイル」
「肩書きなんざとっくに捨ててるが...王都の元英雄、アムネス・ケンシアだ」
直後、1つの影が動き、2つの鋼が火花を散らした。
次の瞬間には、2つの影は消え去っていた。