シーバ
王都2番街、花屋「ソーキ」
色とりどりの花が並び、植物特有の良い匂いが鼻をくすぐる。シーバは、リメモアとブランカへ贈る花束を選んでいる最中であり、かれこれ20分程、棚の前を行ったり来たりしている。
ちなみに、フラックは宴会の準備をしており、珍しくシーバとは離れて単独行動である。
「花言葉がわからない....」
そんな事を呟き、無人店だということに気付いて軽くため息を吐く。
「ブランカの緑と、モアの黒....とか?」
ブランカの緑髪と、リメモアの黒髪を頭の中に浮かべ、シーバは目の前にある緑色のブーケを手に取る。
「黒色の花がない。どうしよ」
シーバは、リメモアの薄赤色の瞳を思い浮かべ、緑色のブーケの隣にあるピンク色のバラに手を差し伸べる。
ブランカは、しっかりとリメモアに想いを伝えられるだろうか。
昔から、ブランカはパーティメンバー全員の弟の様な存在で、シーバはそんなブランカが心配でならなかった。
2人の恋路はどんな結末を迎えるだろうか。
結婚は?子供は?パーティメンバー唯一の女友達であるリメモアのことが気にかかる。
スキルで2人の様子を観ることも出来るが、ブランカには釘を刺されたし、シーバ自身も人間的にやってはいけないことだと理解していた。
(うぅ〜気になる.....魔力探知だけなら...)
魔力探知とは、個人が持つ魔力特性を判定し、どこに誰がいるか、どんな行動をしているかを大まかに見れる機能である。
ブランカやパーティメンバーは全員、常に探知阻害をしている為、魔力探知を使っても恐らく引っ掛からないだろう。
「魔力探知─────」
瞼を閉じ、魔力探知を開始した直後であった。
「────え?」
手に抱えていた2本の花を手放す。
花は、パサっと音を立てて床に落ち、綺麗に整えられた形も一瞬にして崩れる。
魔力探知の結果には、リメモアの魔力の消滅が示された。
魔力とは、個人が持つ生命力の事である。
魔力の消滅、それはつまり、個人の死を表している。
考えるよりも早く、シーバは動いていた。
慣れない身体強化魔法を駆使し、街道を駆け抜ける。
「────! あれは....」
シーバは、足を動かしながら夕陽の隠れる空を見上げる。遥か上空、今シーバがいる王都の2番街を包むようにして、青白い膜───結界が張られているのだ。
(何がどうなってんの...!?)
魔力反応の消えたリメモア、そして空に張られた結界。この2つは関連していると考えていいだろう。
そして、シーバは街の様子を見てもう1つ気付く。
(誰も居ない.....)
先程から全速力で走っているシーバだが、人影を一切見ていないのだ。王都の国民は、非常時の避難対応が著しく早く、いざとなれば5分程度で避難を完了させるらしい。
つまり、王都で何かしらの問題が起こり、国民たちはどこかへ避難したのだ。
「どちらにせよ、急がないと!」
長いポニーテールを激しく揺らし、民家の屋根に飛び乗る。普段ならこんな事をすれば警備員に見つかり一発アウトだが、この非常事態にそんな悠長な事は言ってられない。
屋根から屋根へ飛び移り、最速ルートでリメモア達が居るはずの酒屋に向かう。
風を切る音が耳を打ち、全身に向かい風を浴びる。まるでシーバの行く先を阻む様な風に、シーバは無理やり速度を上げて抵抗する。
やがて、目的地である酒屋が見え、シーバは身を引き締めて速度を上げる。魔力探知の精度を上げ、集中力と警戒を極限まで上げる。
四方八方、どこから攻撃が飛んでこようとも、微かな魔力さえも感知し、直ぐに対処出来る。そんな万全の状態を作ったのだ。
しかしそれは、
「.....シーバ」
「───な」
声、声が耳を打った。
聞こえるはずのない、声が。
だって、魔力探知に引っ掛からずにシーバの近くまで接近出来るのは───否、引っ掛からないはずが無いのだ。
魔力の知識と精度だけで言えば、シーバは世界でも指折りの実力者だ。そんなシーバの細かい網目を掻い潜れるの者は、ほぼ存在しないと言っても過言ではない。
『小細工をしようとも、貴様には何も成せない。もっとも、貴様にはそれすら、理解出来ぬのかもしれんがな....小娘よ』
声が聞こえた気がした。
それは、耳元で囁かれたような声で、しかし脳に直接届くような気色の悪い声。
シーバの魔力探知には、狂いは無かったはずだ。
しかし、もしも────
「よぉ 久しぶりだな」
もしも、目の前の相手が、シーバよりも格段に魔力の精度が高ければ、話は別である。しかしそれは、とてもじゃないが受け入れられない、馬鹿みたな話だ。
「....な 何で、テメェがここにいやがんだ? 落ちこぼれ」
「我余裕です みたいな口調だが、目が泳いでるぜ? お前もそんな目するんだな」
「えぇ、驚いてるわよ。あんたに近寄られたのが嫌で嫌で....あんたは変わんないわね。 特に、その目。何考えてるのか分かんない、嫌〜な目だこと」
「吐き気がするわ」
シーバは、未だに信じられなかった。目の前、酒屋の屋根の上に立つ男───アムネス・ケンシアが、シーバの実力を上回っていることが。
シーバの魔力が探知した情報には、アムネスは確実に、シーバには見えない世界を見ているのだ。
「目の色が変わった事にゃあ触れないんだな.....まぁ、お前は相変わらずだな」
「あんた、印象が無さすぎて気付かなかったわ。謝った方がいいのかしら?」
変わったと言われれば変わった、アムネスの目の色。前は両目とも赤い色をしていたのに、今は右目だけ黒く変色していた。
「調子狂うな....まあいい。 ───すぐ終わらせる」
そう言うと、アムネスは屋根から飛び降り、酒屋前の街道に降り立つ。彼は指を軽く動かし、シーバに挑発をする。
「───ムカついた」
シーバは、その一言だけを呟き、屋根から身を投げるように飛び降りる。身体を縦に回転させ、音も立てずに鮮やかな着地を披露して見せた。
「これは......」
石造りの街道に着地した瞬間、シーバの足元に黒い模様が浮かび上がる。その模様に見覚えのあるシーバは、地面を蹴り、高く跳躍する。
空中をステップを踏むように舞い、黒い模様のあった地面から飛び出る、数本の黒い棘を軽々と躱す。
黒い棘の1本を片手で掴み、身を反転させて無理やり折る。そして棘を得物にして、シーバはアムネスとの縮めたくもない距離を縮める。
「ニューアイテムのお試しだ。 黒束・華眼雪光の裏影」
刹那、黒い花びらがアムネスの影を覆った。黒い花びらはアムネスからすぐに離れ、アムネスの真上、空中で形を織り成す。
無数の花びらは丸く纏まり、1つの球体になっていた。群を成して蠢く花びらは、やがて黒い炎を纏い、街道に黒いカーテンを掛ける。
シーバの魔力探知は、この黒い炎に危険信号を出し、最大の警戒を払うようにと銘を打つ。
「カラスの群れみてぇで綺麗だな....なぁ?シーバ」
「.......。」
アムネスの言葉を、シーバは戯言だと無視し、黒い炎を纏う球体に意識を注ぐ。
「まあいいや。 ───行け」
アムネスの言葉を合図にして、黒い炎は空気を焦がしながらシーバの元へと近付く。シーバは軽く息を吐き、長い袖を肘まで捲り、少しズレたヘアゴムを直す。
落ち着いた佇まいのまま、一通りを終えたシーバは、片手を開いて迫り来る黒い炎へ向ける。
「防御魔法併用、魔力吸収」
直後、シーバの目の前まで迫っていた黒い炎は、一瞬にしてその場から消え去る。まるで圧縮されたように跡形も無く消えた炎は、シーバの糧となり、魔力となったのだ。
攻守交替。シーバは大きく1歩を踏み出し、今度こそアムネスの元へ距離を縮めようと地面を蹴り、
「......ぉ」
胸に痛みを感じた。
いや、アムネスに対する申し訳なさとか、そういうものでは全く無い。物理的な、まるで胸を刺されたような、そんな痛みが。
「───防御魔法は四方のどこか一方にしか展開できない。俺を舐めすぎたな、シーバ」
背後から聞き飽きた声が聞こえ、シーバは後ろを振り返る。
そこには、手に小さな刃物を握ったアムネスが、シーバの背にナイフを刺していた。
(クソ....裏取られたか...これは、ちょっとまずい...)
「治癒──」
「治癒魔法は使えねぇよ。ナイフに魔法不可の魔法が掛けられてる。死ぬまで解けねぇだろうよ。まぁ、こればっかりは元の持ち主を恨んでくれ」
脈打つ鼓動と共鳴するように、胸の痛みが脈を打つ。自分の血液がドクドクと流れ出ているのがハッキリと分かった。口の端からも血が流れ始め、シーバはいよいよ命の危機を感じ取る。
「クソ....クソ、がァ!こんな、奴に....なんでッ...」
必死に激しい痛みを堪え、シーバは恨み言を背後にいる男にぶつける。アムネスは、そんなシーバの様子を見て何を思ったのか、
「ハッ 今までの感謝を込めて、俺からせめてもの礼だ」
そう言うとアムネスは、シーバの背からナイフを抜き、ナイフに付着した血液を地面に軽く振り払う。
シーバは、訳も分からずアムネスを見つめ、奥歯を噛み締める。
「ほら、行けよ。まだ諦めるのは早いんじゃねぇのか?」
シーバは、高笑いをするアムネスを見て、顔を赤く染め上げ、額に血管を浮かび上がらせる。唇から血が出るほど強く噛み、必死にその場から逃げ出す。
点々とたれていく血液を見ながら、シーバは己の実力不足と浅はかさを呪う。
(いい加減、受け入れろ....あいつはもう、私が見れない世界にいるんだ....!)
意識が朦朧とする中、必死に怒りを沸き上がらせ、その激情で意識を繋ぐ。荒い息を零し、ようやく辿り着く。
(酒屋...ここには、即席の治療薬もあったはず....それがあれば、まだ...)
血液が足りず、よろけて来た身体に鞭を打ち、シーバは酒屋の扉をゆっくりと開ける。酒屋の中には見慣れた風景が広がっており、宴会を開いた思い出が鮮明に思い起こされる。
(あ...そう言えば───)
リメモアは、どうなったのだろう。
そんな、戦闘中に考えることでは無い雑念に、シーバは違和感を覚える。
リメモアは、一体何をしに酒屋へ行ったのか。
記憶の中の彼女は、とてつもなく緊張した顔をしていた。しかし、彼女の言っていた言葉が思い出せない。まるで、記憶から彼女の言葉だけを切り取られたかのように、シーバは思い出せないでいた。
そして、違和感は身体を支配し、それは次第に不安へと変わっていく。不安は心を支配し、やがて心臓の脈打つ鼓動と同化して、シーバの身体を蝕んだ。
不安は大きな隙となり、その隙すらも、シーバは気付けなくなっていた。
(モアは...酒屋に行って...それ、で)
そう、記憶を遡っていた直後だ。忘れていた重要な事を、シーバはようやく思い出した。
「モア....リメモア...!リメモアは.....!」
痛みなど忘れ、シーバは雑念を膨らませる。否、雑念ではない。今のシーバにとって、リメモアの安全ほど重要な事は無かった。
シーバ自身やリメモアの生死はどうでもいいのだ。問題は、リメモアが何処にいるかだ。
もしリメモアの死体が放置されていたとしても、まだやり直しは効く。取り返しは付くのだ。しかし万が一、リメモアの死体が無くなっていたとしたら、
「....シー...バ....ちゃ..ん」
「──っ! モア!?どこ!」
ふと、声が耳を過ぎった。それは、聞き馴染みのある、いくら聞こうとも聞き飽きない声だ。それは正真正銘、リメモアの声で、シーバは頭を振り回してリメモアの姿を探す。
「いた! モア!!」
感覚を失ってきた足を引きずり、シーバは長机の下に放置されているリメモアの元へ向かう。ようやく背中の痛みを思い出し、シーバは身体を硬直させて痛みに悶える。
息を荒らげ、呼吸を整えて無理やり心臓を落ち着かせる。
そうして、ようやくリメモアの元へ────
「────。」
辿り着いたところで、シーバは気付く。シーバの魔力探知に、リメモアは存在しないと示された。死んだと断定されたはずのリメモアは、声を出すことは出来ないはずなのだ。
つまりこれは、
「───助けて?シーバちゃん」
リメモアの、口が開く。身体から致死量の血液が流れ出たリメモアの口が開いたのだ。生気を失った瞳で、リメモアはシーバでは無い何かを見ていた。
背後から足音が聞こえた。
音、音が、音が聞こえた。死を導く音が。
それは、最早考えるまでもない、見知った人物の足音だ。
「ねぇ、助けてよ、シーバちゃん」
「───なぁ、助けてくれよ」
リメモアとアムネス・ケンシアの口調が重なる。それは、シーバの最悪の予想に対するヒントの様なもので、それは残酷で、シーバの心を砕くには十分すぎるものだった。
「助けて、助けてよ。痛い、痛い、痛いよ。やめてよシーバちゃん。痛い、痛い!痛い!痛い!!痛い!!痛ァい!やだ!やめてよ!!やめて!!助けて!助けてぇぇぇえええ!!」
「私の事、助けてくれなかったね。シーバちゃん」
あぁ、こいつは何処まで行っても、
「絶対ぇ殺してやる。クソ野郎が」
もう、私が見れる世界には存在していないんだ。
そう思った時には既に、彼は右手に握るナイフを振りかざしていた。
※※※※※※※※
辺りに鮮血が飛び散り、床には血の量がさらに増した。
鮮血は、床だけでなく自身、アムネスの顔にも飛び散り、頬を中心にして真っ赤な鮮血が付着した。
「.....おえぇ まさか2度も味わうとは...」
込み上げてきた吐き気は、目の前に転がる死体に対する情からではなく、血液の匂いからだろう。
リメモアを刺し殺した時に1度味わった時に、もう2度と人を刺したりしないと誓ったのだが、ものの数十分でこのザマである。
「....何はともあれ、これであと1人か」
口元を袖で拭いながら、アムネスはナイフに着いた血を軽く振り払う。
『決して油断はするな。』
「わーってるよ 奴が大ボスなんだから」
脳に直接響くような嫌な声に、アムネスは頭を手で軽く叩きながら応答する。
「今頃、勇者様は結界の外殻でピッキング中.....しゃあねぇ、こっちから行くか」
『.....当初の計画通りだろう。何を小生意気な....』
「うっせぇ」
そう言うと、アムネスは酒場の出口へ向かって歩き出した。
酒場の扉に手をかけた所で、アムネスは後ろに無造作に置かれた死体に目を向ける。
「.....哀れ、だな」
無意識にそう発言した手前、アムネスは羞恥心を覚えたのか、胸が締め付けられたように苦しくなる。
───脳内の男が、ニヤリと笑った事には気付かずに。
「さて、どっから行こうか」
勇者がいるであろう3番街へ向かう道は3つほどある。
ここは、最短ルートを選ぶべきか。
「いや、ゆっくり行くか」
何となく、アムネスは1番時間のかかる道を選ぶ。そして、酒場を出て初めの1歩を踏んだ。
その瞬間だった。
『避けろアホンダラァ!!』
「───うぉお!!」
風を切る音が耳を掠めた瞬間、突如として辺りに衝撃波が起こる。その衝撃に身体は吹っ飛び、視界が反転して天地が目まぐるしく回転した。
吹っ飛ばされる先に見えるのは民家の石壁である。このまままともにぶつかれば、身体が複雑骨折ぐちゃぐちゃソーセージと成るのは不可避だろう。
かくなる上は、
「喰らえ体育で習った中学受け身───ぐぉあクソ痛えええ!!!」
地面に向かってそう叫び、アムネスは地面に激しく打ち付けられた後に地面に平手を叩きつける。
背中に電気が走ったようにビリビリとした痛みが響き、1番ダメージが大きいであろう右肩をおさえる。
「やっぱり君だったか───アムネス・ケンシア」
目の前、えぐれた地面の上に立ち、クリーム色の長髪を靡かせているのは───
「......フラック・バシュキー」
紛うことなき、勇者であった。