『ルカ』
夕方。もうすぐ夕陽が沈んでしまう。
やばい。ルカはそう思いながらヒョロヒョロのひったくり犯を捕まえた。
本当に、やばい。
絶対に怒ってる。
どうして今日に限って、防犯鉦がひっきりなしに鳴ったのだろう。
「ルカ、お前、上がりの時間もう三時間は過ぎてるだろう?」
「……あ、大丈夫です」
大丈夫じゃないけど……。多分、アレクさんがシアをなんとか宥めてくれている……とは思うけど。
「この人連れて行ったら、上がりますから」
そう言いつつ、そんな話を背中でされるひったくり犯に申し訳ない気持ちになる。
「うん、じゃあ、よろしく」
「はい……歩けますよね」
ひったくり犯が肯くのを見て、ルカは歩き出した。
尋問などは仕事ではない。ただ、捕まえるだけ。それなのに、ルカが捕まえる泥棒たちは勝手にしゃべり出すことが多い。
「……いろいろと、すみません……」
謝るんだったら止めておけば良いのに……。
「いいえ。仕事ですから」
実はとても焦っているのに、ルカの声は穏やかに響く。
「本当に、ごめんなさい」
謝り続けているのは、女性から傘を引ったくった男。時間を取られるとは思うが、やはり訊き返してしまう。
「どうしてしたの?」
「だって、……」
傘は返した。女性も怪我などしていないらしい。すぐとは言えないけれど、まぁ、すぐに解放されそうな気はする。
「だって?」
「ここ三日くらい、ほとんどなにも食べてなくて。それなのに、日傘にお金を掛けられる奴が、そのなんだか腹が立って。売って、パンに変えようかと……」
そして、ルカの捕まえるこういう軽微な犯罪者は、いつもなぜか生命的に切羽詰まっている。
寄ってくるんだよ、きっとさ。嘘には見えないんだろ?
アレクさんはとても簡単に言うけれど。
俺の場合、ほんと救いようのない奴ばっかだ。世の中嫌になるぜ、ほんと。
アレクさんは、そう言うけど。
「……」
すぐに解放されて、やっぱり野垂れ死ぬか犯罪を繰り返すか……になるんだろうな。
「パン、買いに行きますか? 僕が買いますから。それじゃあ、歩くのも辛いでしょう?」
ルカ自身三日食べものにありつけないなんて、そんな経験をしたことがないから、想像するしか出来ないのだが、シアはお腹が減ると、とてつもなく機嫌が悪くなる。そして、気付くと眠っている。
機嫌は悪くなった後なんだろうけど、この男が気付くと眠っていても困る。背負って歩くくらいできるけど……。
「良いんですか?」
そして、美味しい物を食べられると知ると、目をキラキラさせる。今のこの男と同じように。
時間外だし、今さら慌ててもどうしようもない。ルカはグレーシアの顔を思い浮かべながら、溜息を付いた。
大通りを避けて、脇道に入る。庶民の通りと言われているスパロウ通りへほんの少し戻ると、シアが絶対に好みそうにない店構えのパン屋がある。
あの店は男性客が多い店で、店主もガタイが良いし、面倒見も良い。ただ、厳しく無口だから常に人が足りない。また手伝いが欲しいって言っていたはず……。
パン屋に入ると、店主が「ふむ」と首肯をする。そして、店主よりも若い男の声が「いらっしゃい」と追いかけるように、続いた。
「おじさん、これと、これひとつずつ……いいかな?」
「あぁ」
「ありがとう。様子は見に来るから」
ルカは白パンと黒糖パンをひとつずつ買って、男に渡す。
手首を縛られているから、食べにくいかもしれないな……。
そう思いながら、人目のない場所へと歩き、男を座らせた。あのパン屋とは長い付き合いである。初めはあの店に入った泥棒騒ぎからだったが、その後からずっとなんだかんだと無理を聞いてくれるのだ。そして、その泥棒だけが、今もここで働き続けている。
「食べたらちょっと急いでね。あと、お赦しがでたら、さっきのパン屋に仕事を頼んでごらん。厳しいし、給金も本当に僅かしかないかもだけど、毎日のパンとベッドは保障されるから」
元手を稼いだら、別の道に進んでも良いし……。きっと、この人もそうなるんだろうけど。
過去数年のルカのデータがそう言っている。あの店は足がかりみたいな感じでしか、続かない。だけど、その後、誰も捕まってこない。
おじさんも悪い人じゃないんだけどなぁ……。
そこで、ルカの現実が脳裏に迫る。
あぁ、シアどうしよう。確か欲しいものがあるって言ってたけど……。シアの欲しいものってなんだろう。ほとんどの場合、何かを欲しがったりしないんだけどな。
ルカが大きく溜息を付くと、パンを食べている男が、急いでふたつめの黒糖パンを口に入れ、「すんません……」とまた謝った。