『あのさ……』
小柄なタンジーと違い、ダニエルは体格も良い。力も強い。体重を掛けられれば、今のタンジーには押し返せないくらいであり、相手を追詰める才覚もある。彼は着実に間合いを詰めて、相手を追詰める。剣術は彼にとって水を得た魚のようでもあり、楽しそうにも見えた。ここでの成績だって良い。そして、その楽しさを理解するなんて、きっとタンジーには永遠にこない。
いや、理解などしたくないし、来なくて良いとも思っている。あれだけ憧れて選んだ授業なのに、今は憧れよりも負担しかない。タンジーの憧れていた人達は、みんなこんな思いをしながらも、自分を貫き通したのだろうか。
それとも、ここだけが特殊なのだろうか。
実を言えば、この学校へ入学することはタンジー自身が決めている。今の国家元首であり祖母のミルタスは自国の学校を卒業し、リディアスのアリサ王妃陛下の元で学んだ人だ。ここへの入学は求められてはいなかった。
祖父は大昔にこの学校へ入学していたらしいが、面白くないという理由で途中退学。その後、各国を渡り歩き、海の外にまで出たことがある。母は当時のエリツェリを考えれば、リディアスの学校になんて顔を出せなかった状態であったし、父はそんな母を支えられそうな、と言う理由で選ばれたリディアスとはほど遠い関わりの国出身の地方貴族だった。
肩を並べたいという理由ではなかった。
ディアトーラ元首夫妻の話を聞いて、その兄がリディアスの衛兵をするようになったと聞いて、ただ、ディアトーラのあの兄妹ともう一度、楽しく話が出来るようになれば良いなというような、そんな子どもじみた理由が出発の入学だったのだ。
リディアスへ行けば、もう一度会えたりしないかなぁ、というようなもの。
ここへ来て、変わってしまった。
それから、なぜか稽古を見に来るグレーシアの様子を目端に納める。グレーシアも実はダニエルのような雰囲気がある。着実に、自分のペースに持って行くような。巻き込んでしまうというような。巻き込まれてしまう、というか。ただ、ダニエルとは決定的に違うことは分かる。
だから、彼と同じく上達しないタンジーを憐れんでるんだろうな、と思っていても、何かが違う。何が違うのか、それは分からないけど。グレーシアは人を不幸せな気持ちにはしない。
そんなグレーシアの元気がなんとなくない。
いつもは、何か言いたげな……というよりも、絶対に憐れんでいるような表情を浮かべているのだけれど、今日は気もそぞろに思えたのだ。そこへダニエルがやってくる。絶対にこいつの方も僕をマークしているんだろう、そう思う。良いように考えれば、持ちつ持たれつ。知りたいことが互いにある。
「楽しくなさそうだな」
ダニエルの声は大きい。その声に聞き耳を立てる奴らは、たくさんいる。タンジーのことを見定めているのだ。
「そう? あぁ、きっと全然上手くならないから、無意識に落ち込んでたのかもね」
「そうだよなぁ、お前、下手くそだからな」
威圧を込めるような笑いを響かせて、立ち上がったダニエルがわざとらしく、膝を抱えたままのタンジーを見下ろした。
「グレーシアちゃんって、剣術に興味あるのか?」
疑問としては当たり前の疑問だろう。しかし、興味はなくはないのだろう。あの家の子だし。
「さぁ、……うん、でもあの子の父親も兄も相当な手練れだよ」
大型魔獣を倒せるんだ。ここの誰も敵うわけがない。知らせておきたいことは確実に伝えておく。
「あぁ、兄って言えば、リディアスの衛兵だったよな。彼女も強いのか」
「さぁ……」
海にいたヤドカリを嬉しそうに手に載せるような女の子ではあったけど、今も幼虫を平気で掌に載せているような子だけど、そこは正直なところ分からない。
彼女の住む国ディアトーラの傍には、大型魔獣の棲む森がある。そこそこ強いのかもしれないけれど、別に彼女が強くなる必要もない気もする。
だけど、タンジー自身は、小型魔獣くらいは自信を持って倒せると言えるくらいにはなりたいと思っている。
そんなタンジーにダニエルが話を元に戻すようにして続けた。
「どうして、衛兵なんだろう。近衛兵くらいにでもなれるだろう? クロノプスなら」
「さぁ……」
それは、多分、彼が望んだからだ。ダニエルがどう思って言葉を発したのかは知らないが、タンジーは幼い頃の記憶にあるグレーシアの兄を思いながら、そう思った。
とても静かな、凪のような微笑みを浮かべる人だった。
「不思議な国だからね、ディアトーラは」
どこにも媚びない不思議な国。そして、己の力で築き上げたその地位を保つ国。それはグレーシアそっくりであるのだが、ダニエルはそうは思わなかったらしい。
「……そうか」
愚図ってことか……。
タンジーには聞こえるような、そんな声で彼はにやりとする。
「あのさ、……」
さすがに反論したくなる。
彼女の兄上はお前みたいなのは相手にしないっていう意味だから。それは、グレーシア様も同じ。
「うん?」
しかし、その見るからに厭らしい視線に、タンジーは口を噤んでしまった。
「ダニエルは、強いから、近衛兵にもすぐになれるんじゃない?」
明らかなおべっかに満足そうにする彼を見るのも、そんな自分もたまらなくて、タンジーは学友の練習風景へと視線を移動させた。
心のどこか、自由になる場所を求めていた。
どこか、……。
そして、願う。どうか、と。
変わらない彼女を変えたくないと、それはずっと思っている。