『グレーシアの日常とお役目の日』➀
グレーシアの朝は寮にある食堂で夕食の下準備を手伝うことから始まる。そして、その後少しだけ流し台を借りてお弁当作りをする。
そのお弁当を持ったグレーシアはるんるんとした気分で、ツバの大きな帽子を被り、その帽子が飛ばないようにスカーフで帽子を押さえて、蝶々に結んだ。柔らかい卵色のその帽子は、父がリディアスの日射しを心配して、シアに持たせてくれたもの。スカーフは母が虫除けの草木で染めてくれたもの。
今日は寮の厨房にいるサラがお手伝いのご褒美にと入れてくれた肉団子が入っているのだ。
今日の夕食は鶏肉のテリーヌとトマト、それからポテトサラダになんとキュウリが入り、牛肉の肉団子まであるのだ。
「シアちゃん、おかわり用の肉団子入れる?」
ポテポテの顔をしているサラが、こっそりシアのお弁当箱に落としてくれたのだ。
だから、グレーシアはうきうきしていた。みんなよりもたくさん肉団子を食べられるのだ。
それをアミリアに報告しなくちゃ。
花壇の縁にハンカチを敷いて、腰を下ろす。横では一心に葉っぱを食べているアミリア達がいる。
「あのね、今日シアは、肉団子をいただいたのですよ。シアのこと褒めてくださったのです」
そう言いながら、フォークで突いた肉団子を口に入れる。サラ達の作るタレは絶品なのだ。甘くてとろとろしていて、じゅわっと出てくる肉汁に絡まり合って。これを夜も食べられると思うと、とても嬉しい。
「アミリアもいっぱい食べていますね。ずいぶん太ってきましたわ。もうすぐ蝶になるのかしら」
グレーシアは口の中の幸せを感じながら、アミリア達の将来を想像して、さらに嬉しくなった。
「蛹はどこで作るのかしら。わたくしの分かる場所で蛹になってくださると嬉しいですわ」
だから、言葉も弾む。
「だからアミリア、ちゃんと蜂さんやカマキリさんからは隠れておくのですよ。見つかってはダメですよ。鳥さんも危険ですからね」
そう言うと、幸せそうに笑ったグレーシアは、空っぽになったお弁当箱の蓋をして、立ち上がった。
「わたくしは、今日はお仕事があるのです。大事なお仕事なのですよ。だから、明日まで良い子にしておくのですよ」
グレーシアはポケットの手紙を確かめてから、アミリア達に別れを告げて、上級生の教室がある棟へと向かった。
学校帰り、本来ならば寮へと寄り道せずに帰ることが規則で定められている。やはり王族貴族が町を自由に出歩くとなると、流石に危険だとされているからだ。
だから、外出となればどこへ行くのか、誰に会うのか、いつ帰るのかを事細かに書いて、事前に許可をもらわなければならない。
今日のグレーシアの予定には『一時帰寮後、兄と約束有。夕食要』と書かれている。ここに掲示されているということは、許可が下りたということ。
誰でも見ることの出来る予定として、掲示板に貼り出されてあるのだが、普段は朝の忙しい時間に、他人の予定を気にする者もいない。しかし、今朝はそれをキャシーが見つめていた。
帽子にスカーフを巻き付けたグレーシアはリディアス城へと向かって歩いている。そして、衛兵がいる詰め所を覗く。入学前にアルバート大伯父様にもご挨拶に来たグレーシアは、衛兵の中でもちょっとした有名人である。
「こんにちは。アレクおじさま。いつも兄がお世話になっております。兄はいますか?」
「あぁ、シアちゃん」
朗らかに笑うのは、グレーシアの兄ルカの上司であるアレク。もちろん、グレーシアの身分は知っているが、彼女の兄であるルカが「シア、シア」と言うのを聞いているうちに、なぜかおじさん感覚でそう呼ぶようになってしまった。
「ルカなら、さっき上がりで着替えに行っているはずだから、もう少しで、ほら」
そう言われて、リディアス城壁の向こうにある道を眺めると、確かに慌てて着替えてきた様子の兄ルカが歩いてきていた。
「ぎりぎりまで働くからね、ルカは」
ルカを庇うようにグレーシアに伝えたアレクが、呆れたように笑う。
「兄は、真面目なのです」
どこかツンとしてグレーシアが呟いた時に、ルカが「ごめん、待たせた?」と尋ねた。
「今来たところです。でも時間はありませんわ。夕食までに戻らなくてはなりませんから」
「了解。今日の夕食はシアの好物なんだね」
「はい」
「怒らないでよ。今日を逃すと15日先にならないと早番ないんだから」
そんな兄妹のやりとりをアレクは楽しく眺めて、ふたりを見送った。
アレクに見送られたグレーシアとルカはリディアスの町を歩く。歩き始めるとグレーシアの機嫌は直り、目を輝かせながら町並みを眺め、様々ある店に感動しながら、騒がしく一人で喋りはじめる。ルカは全然珍しいとも思わなくなっているが、グレーシアにとっては、まだまだ珍しいもので溢れているのだろう。そして、「兄さま、あのお人形母さまそっくりですわ」と小物を売っている店の前で立ち止まった。
黒い髪に黒い瞳。丸く柔らかなぬいぐるみのようなものだ。
「そうかなぁ、母さまはこんなに太ってないと思うけど……」
「兄さまは失礼な方ですわね。この子は、この体型だからかわいいのですよ」
ルカは穏やかに妹の話を聞き流す。「あなたはとってもかわいいですよ」と掌に載せて話しかける妹は、やっぱりちょっと不思議だし、大丈夫かなぁとも思う。
「学校どう?」とは尋ねたくなる。きっと、「楽しんでおりますわ」としか答えないのだろうな、と思うけど。やはり、心配ではある。
「いる?」
そう言ったルカの顔を不思議そうに眺めたグレーシアは、そっとそのぬいぐるみを陳列棚に戻して「要りませんわ」と言った。
「必要なものは、ちゃんといただいておりますから」
「そう」
妹の返事を聞いたルカは、故郷のディアトーラを思う。
ディアトーラで信仰されている女神さまの教えは『必要以上を求めてはならぬ』である。
「シアは真面目だよね」
そう言う兄に、ぷくっと頬を膨らませたグレーシアが「行きますわよ」とルカを引っ張った。