『呪いは広がる?』
そもそも、ディアトーラでも学校へ通っていたはずのグレーシアなのだが、町の人達はみんなが、グレーシアという『生き物』を見ていた感じなのだ。
「だって、シアだもんね」
そんな魔法の言葉に守られて、グレーシアの個性がどんどん深まっていったのは確かだった。
それに、グレーシアの個性で誰も傷つくこともなく、ただとんでもない思考に辿り着くだけであったのもあり、みんなが慣れていたのだ。
だから、隠れた悪意に晒されたことのなかったグレーシアは、彼らの行動の意味がまだ分からない。きっと無駄に反射神経が良いのも悪かったのだろうし、周囲の状況がよく見えることも、災いとなったのだろうし、意外と慎重なのも、人に対してあまり悪意を抱かない性格も悪かったのかもしれない。
表だっているラナにさえ『良い人』認定をしてしまうほどなのだから、どうしようもなかった。
そんなラナは食堂の椅子にどっかり座り、いつもの取り巻きメイティとスベロアと示し合わせる。そしてグレーシアの陰口を皆に聞こえるように敢て叫ぶ。
「あのアバズレちゃん、虫に声を掛けているのよ、とうとうおかしくなったって思わない?」
「本当に、頭がおかしいのですわ」
「ラナ様を蔑ろにするからですわ」
ほほほほ、という作ったような笑いが、食堂内に響いた。しかし、ラナは何をしても思うようにならない腹いせで笑っているだけ。目を掛けられそうな者を見つけて手懐けることが大好きなラナの鬱憤晴らしではある。
「最近のラナ様、ご機嫌だな。お前も楽しそうだけど」
お盆を持ってパンと魚と野菜を選んでいたタンジーの腕を、肘で小突いたダニエルが、何か含んだような言い方をする。ダニエルは、最近こうやって探りに来るようになっている。
「うん、楽しいよ」
「いいのかよ? 隣国のお姫様だろう? 仲良くしとかなくちゃならない人なんじゃないの?」
「いいよ、別に」
ダニエルは「ふーん」と言いながら、肉の塊をトングで掴んでいた。
「てかさ、グレーシアちゃんってさ、アバズレとは絶対に正反対の場所にいるだろうに、なんで否定しないんだろうね」
「さぁ……」
多分、本人は意味そもそもが分かっていないんだろうし、みんなも分かって言うから、グレーシア様だけグレーシアちゃんって呼ぶんだろう?
クロノプス様を、『ちゃん』で呼べるのなんて、ここに在学している間だけなんだろうし。
だったら、別に良いんじゃない。わざわざ揉めるようなことにしなくても。
ダニエルはこじれた方が面白いのかもしれないけどさ。
だけど、『ちゃん』で呼んでもあの国も本人も特に怒ってこなさそうだけど。
器が大きいのか、やっぱり変なのか、それはタンジーにもよく分からないところである。
そう思いながら、タンジーも椅子に座り、昼ご飯にする。ダニエルもタンジーの前に座る。体格の良い彼が前に座ると威圧感がある。山盛りの肉とジャガイモと、なんかの芋が載る皿までもが、威圧的だ。
グレーシアがラナと仲良くなる必要はどこにもないのだ。ラナはリディアスの豪商で、リディアス王との繋がりは太いかもしれないが、グレーシアの住むディアトーラとの関わりが深いわけでもないし、グレーシアの方が今のリディアス王とは繋がりが深いのだから。
どちらかと言えば、今のディアトーラ元首が積極的に関係を切っているような気もする。だから、うちだって付かず離れずで付き合っているわけだし。
それに、もう少し学年が進めば、嫌でもグレーシアと繋がりたいと思う連中は増えてくるだろう。今のディアトーラはそれくらい力を持ってきているのだから。
間違いなくラナに付くよりもグレーシアに付く方が賢い。無視なんてしていられないはずだ。
グレーシアの方が、与えられるものが大きいのだ。
王位継承権はなくなったらしいが、国王の実子であるアイビー様まで、今はその国にいるのだし。
ワインスレー諸国なら、アイビー様をリディアス転覆のための駒としても使えるし、擦り寄る駒としても使える。そして、リディアスの貴族連中なら……。
追放されてしまったと思っている過激派は、ワインスレー諸国と同じように考えるのだろう。
ただ、ディアトーラ元首もアイビー様も隙のない方たちだ。だったら、脇の甘そうなグレーシアに取り入ろうと考えるようになるのは目に見えている。
だから、ラナがどうなっても誰も何も言わない。せいぜい、潜み笑いで同情するくらい。
なんなら、新しく即位するイワン様の動向を見て、どちらに靡くか、どちらを蹴落とすか天秤に掛けてそうな者もいるかもしれない。
そう思い、小さな溜息を飲み込む。
タンジーの国エリツェリは、今でこそ、ディアトーラと対等に付き合っているが、エリツェリは二度も信用を失墜させた過去を持つのだ。しかも、全面的にエリツェリに非がある。グレーシアがどこまで知っているのかは知らないけれど、憎んでいるかもしれない、そう考えれば簡単に声も掛けられない。かと言って、ラナを応援する気もない。
ただ、彼女を見ていると、過去のことなど本当になんとも思っていないようにも思えるのも確かだった。
本当に不思議ちゃんだし……。
「そう言えば、グレーシアちゃんって食堂に来ないよな。昼飯ってどうしてるんだろう?」
「さぁ」
たぶん、節約のために自分で作って食べてるんじゃないかな?
ディアトーラって、国としてどう繋がっていけば良いのかすら、よく分からないような、不思議な国だから。
「お前、本当に何にも知らねぇのな。隣の国なのに」
「うん、仲良しじゃないと思ってるから」
嘘ではない。
グレーシアがエリツェリのタンジーと仲良くなる必要はどこにもないのだから。
しかし、リディアスの大貴族であると豪語する伯爵令息のダニエルは、おそらくグレーシアからアイビー様へと繋げたいと考えているはずだ。ダニエルの家は、アイビー様派だったはずだから。
確か……親は鉄を保有する領地を預かる……力のある領主だ。各国共に遠からずの縁を持つ。
そして、家のために自由に使える金を持つ、そんな金持ちの考えることは、よく分からない。
「ねぇ、今日ってキャシー様はお休みだったっけ?」
タンジーはふとラナ様の取り巻きの一人が見えないことに気が付いた。まぁ、キャシーはラナにとって『ですわ隊』最下位みたいだけど。
こっちも不思議な序列作ってるんだよな……。
男爵家令嬢キャシーと豪商ラナ。ラナの血筋的なところからなのだろうけど。実際ラナの叔父は、隅っこの方だけど一応公爵位ではあるのだし。たぶん、こっちもラナの家が、その公爵よりも実質的な力を持っていそうだし。逆で言えば、彼女の家自身には爵位がないので、キャシーの家の男爵という部分と言うことだろうし。
そもそも、気が合うだけなのかもしれないけれど。彼女たちの繋がりは二年になってからだ。
だけど、キャシーの家は、ラナの家が扱うものとは対照的だった気がする。ラナの家は確か服飾・装飾関係。キャシーの家は線路管理を担っている。国の仕事ではあるが、それをダニエルの家から頼まれているはず。
家同士で言えば、ダニエルとキャシーの方が繋がりやすい。
「今日は見てないけどな」
興味もなさそうなダニエルの言葉を聞きながら、タンジーは皿に寝そべる魚にナイフを入れた。
「ダニエルはクロノプス様のことばかり聞くね」
「話題のディアトーラのお姫様だぜ」
彼も当たり障りなく答えた。
「まさかの戴冠で、追放のアイビー様がいる国。タンジーの国は何か関わってるのか?」
「知らないよ。だって、アイビー様がディアトーラに行ったのって、もう僕たちが入学した後だったし。そんな大事なことこっちに来ている僕に教えるはずがない」
そこで、一度言葉を止めたタンジーは、魚をフォークに載せたままダニエルに尋ね返す。これ以上、口を開かない方が良い、自分への戒めのように呟く。
「本当に追放なのかな?」
「さぁな。何にしろ、あんな場所に飛ばされて、お可哀想なことに変わりないな」
……あんな。
きっと、ダニエルの本心だろう。
「そうだね」
タンジーはそのままその言葉と共に、魚を口に運んだ。














