『誕生月』
色々なことがあった夏。そして、通り過ぎていった秋の初め。ディアトーラで毎年行われる豊穣を祝う、秋の終わりの収穫祭まで一ヶ月と少し。リディアスの日射しはまだまだ暖かい。
グレーシアはアイナとの連絡係として、また、現状把握と話し相手として、最上級生のクラスを尋ねることが多くなっていた。アイナ様が将来を決められたので、もうこそこそとする必要はなくなった。
アイナは、父アイビー殿下が戴冠されないということでややこしくなっていた婚約を白紙にし、進学を選んだ。その上で将来を選びたいのだそうだ。相手側も了承済みらしい。
後は、家同士のことだけ。こちらもそんなに揉めることなく進み、全ては公になる。
そして、学校の上級機関である研究所に王族が配属となれば、彼女の曾祖父以来の出来事となる。さらにそれは、ふたりの母以来の大きな出来事となりそうだった。
彼女なら『リディアスの魔女』と畏怖を込めて呼ばれても遜色ない存在となり得そうだ。
そんな状況と最後の手紙をやりとりするため、ルカとグレーシアは再びあの『母さまみたいなお店』に来ていた。そして、巾着を握りしめているグレーシアは、ほんの少し緊張していた。
店員がにこやかにふたりを窓側へと案内した。夏と違い、明るいが強くない、そんな日射しがレースを抜けて、テーブルに伸びてくる。その穏やかな時間を包み込む。
「今日は、どちらになさいますか?」
まず、お品書きを睨み付けていたグレーシアに注文を尋ねた店員に、グレーシアが慌てて返事をしていた。
「今日は、兄さまからお願いします……」
ルカは首を傾げるが、知り顔の店員は言われたとおりルカに尋ねる。
「では、お兄様。今日のお勧めはこちら、温かい飲み物。苦豆のミルク仕立てとなりますが、どうなさいますか?」
「はい、それでお願いします」
あんまりよく分かっていないルカは、勧められるままそれを試すことを選ぶ。そして、グレーシアに尋ねられる。
「お嬢様はどうなさいますか?」
「わたくしは、ラベ……えっと、お冷やをいただければ……」
言葉途中で、ふと気付いたグレーシアは注文を終えて、やっとぎこちなく微笑んだ。
「承知致しました」
優しく微笑む店員は丁寧にお辞儀をして去って行った。
「どうしたの? 好きなもの頼めば良いのに」
「いいのです。シアはお水が好きなのです」
「そうだったっけ?」
そう言ったルカは、ふと過去を思い出す。
ずっと昔、海の見える場所でデザートのレモンを囓ったシアが、慌てて水を飲んでいたな……と。本当に、シアはあの頃からあんまり変わっていない。そう思い、話を変えた。最後の手紙の内容だった。
「あの方なら、所長止まりじゃなくて、研究所長官くらいに上り詰めそうだよね」
研究所長官職と言えば、数百年続く過去に数名しかいない伝説級の存在だ。しかし、あの王妃アリサを見ていると、アイナにそのくらいの器があってもおかしくない。そして、それは国王と肩を並べる存在とも言えるのだ。成功すれば、国王陛下と肩を並べられる存在なのだから、正当な王位奪還とも言える。
「はい。母さまと同じです。研究所と兵隊さんのトップになられても遜色ないと思いますわ」
「そうなると、今の僕だと彼女が最上級上司になっちゃうね。世も末だ」
「その時はシアが口利きをして差し上げますわ。仲良しですから」
「はい、その時はよろしく頼みます」
兄と妹は半分冗談、半分現実をにこやかに会話する。そして、ルカは現実部分を思い出した。
「あ、上級生に怪我させたって?」
「はい……シアが不注意だったのです。ずっと剣術などしておりませんでしたのに、出しゃばりましたから。ちゃんと謝りましたわ」
「なら、大丈夫かな」
あまり大きなことになると、父が変に心配しそうな相手ばかりだったのだ。
鉄保有領地の伯爵令息ダニエルに、エリツェリの王子タンジー。それに、リンディ家のラナまで絡んでいたそうだから。
陛下は彼らが絡んでいることしか教えてくれなかったが、全て父に通じそうな人々だ。あの学校のことだから、全然あってもおかしくないと思えるけれど、どうして、こんなにややこしい面子ばかりが集まったのか。シアの様子から、大きな怪我じゃないんだなと、怪我の詳細すら知らされていないルカは胸を撫で下ろす。
剣術の時間の不慮の怪我。
あってもおかしくない。
ルカの時はそういう家の因縁関係者が絡んでなかった分、一年ずれたとは言え、グレーシアの回りに集まってしまった不安分子の多さに驚くくらいだった。
きっと、シアも引き寄せてしまうんだろうな……。
しかし、ルカもグレーシアも自身の影響力を知った上で、過大使用するほどの馬鹿ではないのだ。彼らはいつも踏み間違えないように気を付ける。
「リンディ家のラナ様なのですが、悪い方ではなさそうですわよ。ちょっと自慢したいだけで……お友達としては、あまり嬉しいお友達ではありませんけど……癖さえ掴めば、仲良くお付き合いできそうな気が致します。そうですわ、兄さまにお尋ねしたいのです」
そう言うと、グレーシアがまたおかしなことを話し出した。
「そもそも呪いとは、どうすれば解けるのでしょうか? 今は母さま人形に守っていただいておりますが、根本的な解決になっていないように思うのです」
そもそも、呪いなど存在しない気もするルカには、グレーシアの悩み事が呪いだったということに、今、初めて驚いていた。そして、その母さま人形が今タンジーの手元にあるということも知らず、ただ、あの人形が役に立っているという事実で安心する。
「僕は母さまじゃないからよく分からないけど、誰かに呪われないように親切に誠実に過ごしていればいいんじゃないの? グレーシアの得意分野だと思うけど」
「はい。でも、わたくし、どうしても親切に出来ない方がひとりいらっしゃいまして……なんと言うのでしょう。きっと、これが世に言う『嫌い』という感情なのでしょうね……とても困っています」
そして、その相手が帰ってくるかどうか分からないダニエルだということもまた、ルカは知らない。
「いいんじゃない? ひとりくらい『嫌い』と思うほど苦手な人がいても」
むしろ、その方が健全だとルカは思う。
ちょうどその時、柔らかく甘い、誘われるような香ばしさを含んだ香りを纏った店員が、ふたりに飲み物を持ってきた。そして、ルカの前には苦豆のミルク仕立て。そして、グレーシアの前には冷水と、ラベンダーの温かいお茶が置かれる。
「あの……」
心配そうに見上げたグレーシアに、店員が続ける。
「以前、果物冷茶をお褒めいただいたお礼でございます」
「でも、申し訳ありませんわ」
「いいえ。受け取っていただかないと、私達に後悔が残りますので」
その優しい笑顔でグレーシアの断りを拒否した店員は、そのままお辞儀をしてその場を下がる。そして、ルカはまだ何か言いたそうなグレーシアを止めた。やはり、グレーシアは母の背中に隠れて名前すら言えなかったあの時から、何も変わっていない。
「シアが水だけだったら飲みにくいし、それに、それは素直に受け取った方が良い」
なんの力もない今でさえ、そのくらいの力は持っているのだから。
ルカは、まだもじもじしているグレーシアを眺めながら、その句を飲み込み、次の句を続けた。
「これは、誕生月のお祝い?」
「はっ。はい。そうなのです。たくさん頑張りましたの」
いつものグレーシアが戻ってくる。
「ありがとう。とても嬉しいよ」
きっと、また騒がしくお喋りし始めるのだろうな。そう思い、ルカは苦豆のカップに口を付けた。














