『だけど、やっぱり理解できない』②
そして、今は空席のその場所を見て、タンジーは安堵の溜息を付いていた。しばらくは、安穏とした時間になりそうだ。だから、医務室で過剰に謝り続けられたことを思い出す時間もできる。
グレーシア様はまったく悪くないと思うんだけど……。ただ、その謝罪を素直に受け取れないのは、やっぱりタンジーがおかしいのだろうか?
『本当にごめんなさい。もうすぐで弱い子のタンジー様を死なせてしまうところでした。ほんとうにシアのせいで。ごめんなさい。弱い子は護らなければなりませんのに……本当にごめんなさい』
もちろん、国を考えれば、タンジーはグレーシアよりも弱いのかもしれない。引っかからなくても良いとは思う。だけど、どうしても引っかかりを覚えてしまう。おそらく、素直に本気で心配して、本気でそう思われていることに……。
多分、グレーシア個人に護られなければいけないほど、タンジー自身は弱くないと思う。これも呪いの一種なのだろうか。
いや、結果的に護られた、とも……考えられなくもないのだろうか……。
その時、外から悲鳴が聞こえた。グレーシアのものだった。ダニエルがいなくても安穏となんてしていられないようだ。
「きゃあ。止めてください。違うのです。分かっていますわ。でも、……だって。駄目なのです。お願いします」
聞くが早いかタンジーは、クラス中が驚く中、教室を飛び出していた。
階段を飛び下り、花壇のある校舎裏へ。今まではダニエルを監視しておきたかった気持ちが大きく出ていて、動かなかった。しかし、今は、考えるよりも先に体が動いていた。
ダニエルの木刀を受けた時と同じだった。
そして、グレーシアが花壇に乗り出し、何かに懇願している姿が見えた。
いったいどういう状況だろう? 今頃になって背中が痛く、じんじんと響いてくる。
とても痛い。絶対に無理が祟っている。
不思議な光景が、タンジーの目の前に広がっているのだ。そして、その状態に困惑するタンジーにも気付かず、グレーシアは、切羽詰まった声でさらに続ける。
「もうすぐ、蛹になるはずなのです。先週姉のアミリアが蛹になっていますから。だから、お願いします。分かっていますわ。あなたも食べなくちゃならないことくらい。それに、わたくしのお友達だからと言って、他の子を食べて欲しいと思うのも、とても傲慢だということも分かっています。でも、お友達なのです。あなたのお名前は知りませんが、カマキリさんにもお友達はいらっしゃいますでしょう?」
「カマキリ?」
思わず漏れてしまった声でグレーシアがタンジーに気付いた。
「タンジー様っ。大変なのです。カマキリが妹のアミリアを食べてしまいそうなのです……わたくし、どうしたら良いのか……どちらも必死に生きていらっしゃいますから……きゃあ、またゆらゆら揺れて、駄目なのですっ、アミリアを狙ってはっ。だから、お願いですから」
やっぱり、不思議な子。
「分かった」
カマキリを摘まみ上げて、タンジーはほんの少し考える。
「別のところに運んでくる。僕は第三者で、育ててたわけじゃないし、子どもに摘ままれたと思えば、このカマキリだって、自由になった時に命が助かったって思うかもしれないし」
生存本能しかなさそうなカマキリが一生懸命、タンジーの指に鎌を引っかけて逃げようとしているが、胸を摘ままれたカマキリの攻撃は無駄な抵抗にしかならなかった。
そして、その様子を食い入るように見つめるグレーシアが、タンジーを感心していた。
「タンジー様は、……頭が良いのです」
そのままの視線がカマキリからタンジーに移ると、注意したくなる。
今さらだけど、その真っ直ぐに、キラキラ見つめる癖を直さないと、アバズレの呪いは解けないと思うんだよね……。
本当に、今さらなんだけど。
現にグレーシアの癖と不思議さは、ほぼ全校中に広まってしまっているし、今や誰もが彼女を『不思議ちゃん』と呼んでいる。多分、半分はアイナ様も面白がって広めたのだろうが、今回のこの不思議ちゃんの呪いは、ちょっとやそっとじゃ鎮まらないだろう。アイナ様の言に加え、不思議ちゃんは事実だから。
『あら、あの子は単なる不思議ちゃんですわ。とても不思議な子で、いつも何かに興味を持ってキラキラ目を輝かせていますわね。ほんと、見ていて飽きません』
さすが、陰の女王とまで言われてきた王妃アリサの孫である。アイナはあの事件の後、わざと、そんな雰囲気を作って、彼女がその庇護下にあるということを、確実に広めたのだ。タンジーがこそこそしなくても、何も問題なかった。
「あとで竹籠も持ってきますから。その……アミリアちゃん? 蛹になるんだったらそこで飼ってあげたらいいんじゃないかな?」
「やっぱりタンジー様は頭が良いのですね。シアももっと頑張ります」
なぜかキラキラ増しのグレーシアに、タンジーは何度も頭だけ褒められる。
学年成績『中の上』ごときで、学年成績トップらしい彼女に褒められてもあまり嬉しくないのだけど。だから、引きずり下ろされないようにしていて……何を考えてるのか分からないってよく言われてて。
それに、これ以上グレーシアは何かを頑張らなくて良いように思ってしまう。彼女が頑張ると、よく分からない場所とよく分からないもので、みんなが振り回される。
「……じゃあ、……」
とにかく、カマキリと共に逃げよう……そう思ったタンジーに元気な追い打ちが掛けられた。
「アミリアもタンジー様に感謝していますわ。きっとカマキリさんも。本当にありがとうございます」
本当に、よく分からない。どう返事すれば良いのかすらも分からない。居心地の悪さだけが深まってしまう。きっと、カマキリも今のタンジーと同じ気持ちだろう。
『早く逃げなきゃ』
グレーシアと会話していると、そんな虫にすら同士のような、同情のような感情が生まれてしまう。
そして、落ち着きどころは幼い頃に一緒に遊んでもらった『ルカ』になる。きっと、大変なのだろうな、この方の兄上は……。非常に尊敬してしまう。
彼はこの不思議な子と、いったいどのように付き合っているのだろう。ぜひ、教えていただきたいものだ。
そんなどこかむず痒いタンジーを、グレーシアはやっぱりキラキラ見つめて、カマキリとタンジーを見送っていた。














