『記憶の中の泣き虫姫』
グレーシアの泣き声が聞こえる。そう、あの海のある国で、デザートに添えてあったレモンを囓って「すっぱいのです~」と泣いているのだ。とても騒がしい子だった。
だけど、初めましての挨拶の時は、母親の背にくっついて、名前も言えないくらいもじもじしていた。
とても不思議な子。
そんな彼女が今度は波打ち際で兄とともに遊んでいる。
「怖くないの?」
彼女の視線の先には小さなヤドカリ。タンジーの傍に来る女の子たちは、そのもしゃもしゃしている脚がとても苦手だった。すぐに悲鳴を上げる。泣き出す。
変なの。
そう思っていたけど、それを平気な彼女のことも、変なのと思ってしまう。
あぁ、そうか。いつの間にか女の子とはそういうものだと思っていたのだ。
「タンジー様は怖いの?」
彼女の兄、ルカが尋ねるので慌てて首を振った。
怖くなんかあるもんか。
ルカは優しく微笑む。
今年の春。彼の妹のグレーシアが入学してきた。目立つなという方が難しい彼女は、嫌でも目に入ってしまう。タンジーとは、正反対の場所にいる彼女。それなのに、彼女はタンジーを見つけた。
タンジーを見つけたグレーシアは、その兄ルカと同じ微笑みをタンジーに向けた。「怖いの?」そんな風に言われた気がした。
様々が蠢く、そんな校内。同じだった。いつの間にか染まっていた。たった一年で。
怖くなんか、あるもんか。
「シアは、特別なんだ」
続くルカの声は、過去のものだった。
目を覚ましたそこは、医務室のようだ。
そうだ。鬱憤をぶつけたダニエルの木刀をまともに受けたんだった……。
そんなことをすぐに思い出せるほど、背中がヒリヒリしている。グレーシアに向けられての太刀じゃなかったら、突かれていたんだろうなと思うと、さすがに恐怖を感じた。そして、馬鹿だよな、と今は思える。
そして、少し顔を横に向けると、丸こい黒髪の女の子の人形が置いてあった。ここの校医にこんな趣味があるとは……。
髭面を思い浮かべながら、ほんの少し気持ち悪さを感じてしまう。
「あ、起きたかい」
あ、変態がきた。
もちろん、タンジーがそんなことを思っているなんて、露も知らないミシェル校医は、そのままにこやかに続ける。
「さっきまで、大変だったんだよ。クロノプス嬢がね、君が死ぬって泣いて離れないから。ようやっと授業を口実に教室に向かってくれたけど、それ、御守りなんだって……なんだっけ……アバズレノロイ?から君を守ってくれる、カー様人形らしいけど……」
彼の指し示した先にはあの丸こい人形があった。
あ、勘違いをお赦しください。呪いの儀式はクロノプス様でした。
タンジーは心の中で慌てて懺悔する。そして、やっぱりアバズレの誤解は解いておいてあげた方が良かったのかもしれない、と反省する。どうも斜め上どころか、天空遙か彼方くらいの変な方向で、ものすごく気にしているようだ。カー様が、どこから来た神様なのか分からないけど。
「もうすぐ戻ってくるんじゃないかなぁ、終業の時間だし。あの子、変わった子だね。前は毛虫を触った子を慌てて連れてきて、一生懸命にピンセットで毛を取り除く手伝いをしてくれてたし……さっきも落ち着いたと思ったら、君の脈を取り始めて、また大泣きして『まだ生きてます~』って報告までしてくれるんだから。そんな状況だったら、ここに寝かせておくわけないのにね。ほんと、面白い子」
その言葉に自然と笑みがこぼれていた。
「クロノプス様は、特別なんです」
終業の鐘が鳴り響く。騒がしい足音が聞こえてくる。
特別な彼女の足音だ。














