『結果的には大嫌い』
最近のグレーシアはミリと共に剣術の練習を見に来る。そして、いつものように何か言いたげ。元気になったのは良いのだけど、やっぱり、何か言いたげ。
基本のパターンを練習する。
構え、右、左、右払い、左払い。上防御、下払い。
これは一の型。相手が指し示す場所に合わせる。本当は合わせるのではなく、その攻撃から防御している。しかし、先生は合わせてくれているような気もする。特に、将来兵役には絶対に就かないだろうタンジーなどには。
二の型は片手が出てくる。
構え、右、左、右払い、左払い。下がる。背後。利き手の片手払い。片膝をついての中防御。
タンジーが体で覚えているのはここまで。まだ力が足りないとのことで、次は教えてもらえていない。ダニエルは、次の三の型まで。
突きが出てくる。
しかし、そもそもで言えば、ここで練習をしようとする者が兵役に就くことは、ほぼない。実際に衛兵を目指したい、騎士になりたい者たちは、この学校ではなく、直接、衛兵部隊の宿舎番から始めるのだ。多分、ここで教えてもらっているのは、剣の使い方。去年まではそれで十分満足だったのだ。目指すことのない世界に触れられたという、そんな自己満足が満たされたから。
それなのに、上手くならない以上に、理想と違っていたこと以上に、最近は視線が痛い。
確実に実戦で通用するだろう家族を持つグレーシアが何を言いたいのかは、想像に容易い。
そして、今は少し命の危険も感じている。
やはりというか、あのワルツの時間以降、ダニエルの態度が僅かに変わった。明らかではないところが、気持ち悪い。探りなのか、単に機会を窺われているだけなのか。
上手くいかなかった鬱憤は溜まっているようには見えるのだけど。
隙は見せないようにしている。一人にならないようにもしている。襲われた恐怖でここに来れなくなった友人達を思い出す。普通なら黙ってはいないような重傷を負わされ、泣き寝入りしなければならなかった彼ら。一応、人は見ているようで、今のところ元首関係者辺りには慎重に動くようだが、タンジーの国もリディアスを敵には回せないし、鉄を多く持つダニエルの家は重要な交易相手であることに変わりない。
もし、ダニエルの行為に対し、エリツェリひとつが反旗を揚げたとしても、リディアスには勝てない。
そんな小さな国と一貴族が揉めたのだとしても、リディアス国王が直々に采配することもない。捨て置かれるのは、過去の過ちを持つエリツェリの方だ。何よりも、国王の力など借りなくとも、相手を黙らせられるくらいの力がダニエルの家にはある。
だから、平穏が気持ち悪い。
『止め』の合図が聞こえた。
打ち合っていた音と風を切る音が消え、対戦試合が始まる。これも基本は基本の型を合わせる授業。個人練習の後に必ずするもの。同じ相手にならないように、と組み込まれた単なるカリキュラム。
腕で汗を拭い、大人しく壁際でその相手の告知を待つ。
なぜか静かだった。騒がしいのにとても閑か。嫌な予感がする。読み上げられる学友達の名前。
タンジーの名が呼ばれ、続いた名は、ダニエル。
四面に四組。審判をする教師は中央に二人。
☆
グレーシアはミリに伝える。
「ここで見込みがあるのはタンジー・マグワート様だけです」
ミリにはよく分からない。
「ただ、音がまだキレイではないのです。もっと、打ち込んだ時にカーンという澄んだ音が聞こえるのですが、……まだ誰もその音を出していないと思います」
やっぱりミリにはよく分からない。皆さま力強くお稽古されていると思うのですけど……と首を傾げた。
「ミリ様は、剣術にご興味あります?」
「いいえ」
ほんの少し残念そうに見えるグレーシアに、ミリは「すみません」と続けた。
「いいえ、いいのです。では、来週から別の見学授業に致しましょう。お付き合いくださってありがとうございました。ミリ様の好きなものは」
その時、とても澄んだ、木の芯に真っ直ぐに当てたような音が聞こえた。
「今の……えっ?」
グレーシアの中では一番嫌いな構えをする相手だった。意外だった。ダニエルの打ち込み方は、誰かを傷つけるためだけにあるような、そんな卑劣な打ち込み方だったのだ。そんな卑劣なダニエルが持つ木刀が、グレーシアの耳に敵う音を出した。
相手は、タンジーだった。木刀が飛ばされている。それなのに、ダニエルは木刀を下ろさない。先生は他の倒れた生徒に向かって行く。どうして、ちょうど二人も打ち倒されるの? それぞれに走って行く教師。違うわ、助けなくちゃならないのは、タンジー様。彼らは、自分で体を庇っていたじゃない。大事には至らないわ。
教師は気付かない。
どうして、ちょうど死角になる場所で……死角になるように彼らは倒れて、彼らは死角を作っているの? そして、残りの一組は、打ち合いを止めない。
「ミリ様……お願いを聞いていただけますか?」
「えっ、はい」
ミリが見上げた先のグレーシアは既に立ち上がっていた。そして、まっすぐに定めた視線を動かさない。
「先生を、わたくしの元へ」
グレーシアはわざと他の生徒の間を、練習を掻い潜った。避けるのは簡単。どこに打ち込まれるかは、グレーシアには分かるから。
タンジー様、そのままその彼の目を見て、僅かな動きを見通すのですよ。
人間は無意識に動く先を見ています。
これは、母の言葉。兄のルカに勝てないと泣いた時。母は優しく。
後一太刀で追いつきますから。
三手向こうくらいまでは、予想できる。人が動くために必要な動作があるから。グレーシアが横切り、慌てた生徒達が非難の声をあげる、驚いて叫びを上げる。そして、彼女が向かう先に視線を向ける。
丸腰のタンジーが追詰められている。なんとか、その太刀から逃げてはいるが、ダニエルは嫌な笑いを浮かべている。いたぶっているのだ。
何を護りたいのか、それだけを間違わなければ泣くなとは言わない。
これは、父の言葉。殺された魔獣が可哀想で泣いていた時。父は大きな掌を頭に載せて。
ちゃんと躱しているタンジーに安堵するものの、追詰めている相手の様子に、吐き気を覚えた。
父さまも母さまも、兄さまも魔獣から戦う術を持たない民を護っていた。魔獣をいじめていたわけではない。面白がっていたわけでもない。ちゃんと知っている。
だから、大嫌い。
そう思う。
弱い子をいじめるのは、いけないこと。
だいきらい。
グレーシアは腸が煮えくりかえるような、感じたことのないような熱さと鼓動を感じていた。こんなに、嫌な気持ちになることは、初めてだ。
涙なんて出てこなかった。
ダニエルが突きの構えを取る。
グレーシアがタンジーの木刀を拾い上げる。
目を狙うつもり? なんて、なんて卑劣なことをするの。
卑怯者っ。
しかし、ダニエルが視線をグレーシアに向けた。分かっていたかのような……。
大嫌い。でも、……。力では絶対に勝てない。やっぱり兄さまの言うとおり。
もっと励むべきだったよ。
これは、つい最近。ときわの森へ入った時に、護られるしかないグレーシアに掛けられた言葉。
兄は、静かに笑っていた。
グレーシアの太刀は軽い。力が弱いんだ。
みんなそれを指摘する。
歯を食いしばり、踏み込んだグレーシアは、その木刀に向かって、思い切り打ち込んだ。
澄んだ音とともに、木刀がひとつ、弾かれた。
相手の間合いの中、木刀を弾かれたグレーシアと、その彼女に覆い被さった者の叫び声が響いた。
騒がしい声と、先生が止める声。拘束にがなるダニエル。頽れるグレーシアの正面には蹲ったタンジー。
「ごめん、最低だ……」
グレーシアの肩で、そう言ったまま崩れていったタンジーに這い寄り、その背をさする。
痛みに息が止まったような、そんな表情が最後。グレーシアの頬の横に木刀が迫り、止まる。掠りもしていない。タンジーが間に入ったから。そんなグレーシアの肩から滑り落ち、動けなかったグレーシアの正面に倒れた彼。もう一度、その肩を揺すってみる。動いてくれない。グレーシアがぽつんと呟いた。
「どうしましょう……タンジー様が……」
その言葉と同時に瞳から涙が溢れ、零れてきた。
大きな手の父さまの言葉が甦る。
「何を護りたいのか、それだけを間違わなければ泣くなとは言わない」
それでも泣き止まないグレーシアを抱き上げて。ただ、グレーシアはその大きな肩にしがみついて。
「そうだね。ごめんね。父さまはシアに悲しい思いさせたんだよね。だけど、父さまが護るべきは魔獣じゃない。それは譲れないんだ」
父はグレーシアが泣き止むまで、優しく背を擦ってくれていた。
だけど、今のグレーシアの傍には、タンジーが倒れていて、ミリがそのグレーシアの背中を擦っている。
もっと、励むべきだった……。
泣き止めないグレーシアは、寄り添ってくれるミリに縋ることもできなかった。














