閑話『ミリとレモンと砂糖菓子』
あのお弁当事件からグレーシアはミリと一緒にいることが多くなった。始めはミリの手に現れた湿疹を心配して。次は、ワルツが上手く踊れないことについて。そして、お弁当を一緒に食べる。二週間に一度くらい、お弁当が終わるとすぐにどこかへ行ってしまう。
「ミリ様、ごめんなさい。お仕事なのです」
と、申し訳なさそうにする。
グレーシアは自国からのお使いのような仕事を背負って、この学校に入学しているそうだ。それでも最初は幼虫と取り残されて心細かったが、少しずつ慣れてはきた。
クラスにいるよりも、まだウネウネを見ている方が、精神衛生上良い気がするのだ。見なければいい話でもあるし、幼虫がミリの傍に寄ってくることもない。悪口も言わないし、言っているようにはまず見えない。緑色の中の緑色という点も、見えにくくて良い。
ミリに対してもグレーシアに対しても新たな陰口も増えているのだ。もちろん、怖がっているのはミリだけで、グレーシアは気にしない。そもそも、彼女は根も葉もないことに興味はない。グレーシアは根っこのあるものだけを気にする。だけど、いわゆる『嫌がらせ』というものの種類が変わってきたなとは思うようだ。だから、ミリをここに誘ってくれた。
最初はあの虫が怖かったけど、グレーシアの大好きな場所だから、ここは『虫のいる場所』ではなく、『花のある場所』だと思うようにして、学食ではなく、お弁当を作るようにした。
グレーシアは、ミリと違いとても強い。まるで根っこをしっかり張っている大樹のよう。ちゃんと自分が根付く場所を決めて、ちゃんと立っているように思える。
きっと、名前も知らない、どこにもないような珍しい大樹だとミリは思っている。それが、ちょっと羨ましいし、その大樹の傍にいれば、護られているような、そんな気持ちにもなる。
そう、ミリにとってその大樹はたくさんの生き物に住処を与える、そんな存在なのだ。
だから、ミリを取り込んだと言われても、ミリが寝返ったと言われても。なんて、図々しいと言われても、変なご趣味と言われても、グレーシアは本当に気にしない。
どちらかと言えば、ミリというお話が出来る友達ができたことの方が嬉しいくらい。それは、タイプは違えど、ラナにも似ていた。
そして、そんなグレーシアを眺めるミリは、居心地悪く思うこともある。追い出されないだろうか、と不安になることもある。
グレーシア様は本当に怒ってらっしゃらないのかしら。
「ミリ様?」
「っ…はいっ」
話を聞いていなかったミリは、名前を呼ばれ、跳び上がってしまう。
「大丈夫ですか?」
「はっ、はい。なんでしょう?」
返事が返ってきて嬉しいグレーシアが続ける。
「ミリ様のお菓子屋さんは、首都のどの辺りにあるのでしょう? 今度、兄さまに連れて行ってもらうようにします」
とても嬉しそうに、瞳を輝かせるグレーシアを見ていると、本気で気にしていないようにも思えた。
「ピジョン通りの中央よりにあります。ぜひいらしてください。お詫びをさせていただきたいのです」
そう言うといつもきょとんとされる。どうして謝るの?という表情で。
「昆虫食のことを気になさっているのであれば、それはわたくしの方がお詫びすべきことですわ」
そして、ミリは付いていけなくなるのだ。その理由は何度も聞いた。
昆虫食はその土地で生きるため食文化の一つであり、準備してくれたものを食べられないと突っ返した自分に非があるのだそうだ。
「いえ、だから、わたくしは昆虫食の文化は知らないのです。だから、食べものとしてお渡ししたのではなくて。食べられていたら、体調を崩していらっしゃったかもしれないもので……」
実際、毒毛虫を入れていたようだし……。かぶれの薬までいただいてしまって……。
「そうですわね……わたくしも虫を食べる習慣を持っていませんので、お腹くらいは壊すかもしれませんわね……そういう意味でも、申し訳ないのですが、やはりいただくことはできませんわ」
「当たり前ですっ」
「当たり前ではないと思うのですけど……もっと食べられるものと食べられないものの種類を勉強しておきますわ」
やはり、グレーシアは首を傾げる。
「そんなお勉強は、お姫様に必要なのでしょうか?」
「知らないことを知ることは大切ですのよ」
今度はミリが首を傾げる。
不思議なことはもう一つある。あの後からキャシーがミリの元に来ない。ラナと一緒にグレーシアのお弁当箱を返しに来た時に、グレーシアが言った言葉も気になる。
打ち身……。
ミリはキャシーが来なくなってほっとする一面と、余計に恐ろしい何かが動いている恐怖を感じてしまうのだ。まるで、『次はお前だ』と言われているような……。キャシーが誰の下にいたのかは知らない。未知の、それこそお化けのような存在がすぐそこにあるような、一人でいると、そんな気持ちになってしまう。
だから、グレーシアが普通ではない話を、普通にしてくれるということに、感謝もしていた。そして、一緒にいるといつも同じことを尋ねられる。
「ミリ様は、呪いの影響はございませんか?」
グレーシア最大の不思議は、根っこのないものを気にしないくせに、『呪い』という根も葉もなさそうなことを気にしていることだ。キャシーのことも「きっとわたくしに掛けられた呪いのせいだわ。とうとう階段から落ちてしまわれたの」と一人で恐れていた。しかし、グレーシアの恐れの方向はミリとは逆方向でいて、同じゴールに向かっているような、そんな気がしてしまう。
「はい、大丈夫です」
「母さま人形のお陰ですね」
そう言って、安堵の表情を浮かべる。
カー様人形は可愛らしい女の子の人形で、グレーシアが肌身離さず持っている鞄の中にある。呪いを和らげる効果があるらしいので、どこかの神様なのだろうけど……。
よく分からないが、グレーシアといると怪我をする呪いが、彼女に掛けられているそうだ。だから、グレーシアなら本当にお化けがいても、疑わずにその対策方法を探してくださるのだろう、というそんな安心感もある。
「ミリ様のお店の砂糖菓子では何がお勧めなのでしょう?」
「はいっ。氷檸檬がお勧めでございます」
「レモンっ?」
ミリの返事にグレーシアが叫んだ。その初めて見るグレーシアの表情に、ミリは新鮮さと驚きを覚えながら、何かが解れるのを感じていた。グレーシアは何にも動じないと思っていたのに、それが嬉しいと感じる。同じ場所に立てた気がする。
「レモンは、酸っぱいものでしょう? シアは……酸っぱいものは、苦手なのです……ミリ様、ごめんなさい」
そう言いながら、しゅんと小さく縮んでいくようなグレーシアが可笑しくて、商家の娘ミリとしての言葉を選んだ。ミリの根っこの部分。
「そう感じる方は多いです。ですが、うちのレモンはとても甘く仕上げております。皆さま、それを楽しみにお買い求めくださるのですよ。大丈夫です。ぜひ、ご賞味いただきたく存じます」
ミリの小さな笑い声に、グレーシアがビクビクしながら上目遣いで尋ねる。
「甘い?……のですか?」
信じられないような、窺うようなそんな表情を浮かべる。
「はい」
昆虫食には大らかなのに、レモンは苦手で食べられないと言うグレーシアが、やっと人間らしく、少し可愛いと思えたのだ。














