『誤った?』
ラナが騒いでいた。一年生に教えてあげることを提案しましたわ、と。ですわ隊が同調する。
「ラナ様のお相手が出来るなんて、なんて幸運な今年の一年生でしょう」
「そうよ、厄介な方がいらっしゃるから、ちゃんと指導して差し上げないと」
「さすがですわ」
そんな一年生とのワルツ交流と聞いて、真っ先に嫌な予感が走った。しかし、同時にそんなことで彼女が動じることはないだろうとも、タンジーは思っていた。
あの弁当事件で、動じなかったのだから大丈夫。
ダンスの先生が伝えたとおり、先輩が後輩を育てる意味もあるのだろうけど、読み上げられた並び順に行けば、グレーシアの相手は確実にダニエルだ。
動じないとは思う。だけど、万が一。
悪意はほとんど感じないんだろうし。これはある意味では強み。
でも、こいつがどっちに転ぶか分からない。リードするのか。転んでみせるのか。
どちらにしても悪いイメージしか浮かばないのも、どうなのだろう。とダニエルを見遣る。いつもの顔をしている。
いや、時には信じるっていうのも……。
少し不安そうに順番を待つグレーシアに視線を向ける。信じられないかも……。
順番はどんどん巡っていく。たったワンフレーズのステップだ。
だけど、基本的に腹黒のこいつのことを良い人認定してしまうこともあるだろうし。
だから、ダニエルが立ち上がった時に、その腕を掴んでしまっていた。
あ、やってしまったかも。
ダニエルが怪訝を顕わにし、タンジーを睨んできた。そもそも、ついこの間の弁当事件で踏み込みすぎたところはあったのだ。こっちは、追い込めるほど詰められてない。きっと、言い訳にもならない。本気で退学することになるかもしれない。まぁ、一身上の都合なら、後々将来には、あぁ、響きそう……。なんでこいつ、リディアスで影響力のある貴族なんだよ……。
頭をフル回転させていたタンジーは冷静を保つようにして、苦笑いを微笑みに変える。
「ほら、転び慣れてないダニエルが行くことないよ」
言葉をひっくり返される前に先へと進む。内心焦りながら、足を速め、先生に一言告げる。
「相手が二年なら問題ないですよね」
多分、ここまでの根回しはない。彼にはできない。ただ、後ろを振り返る勇気もまたない。
仕組んだ誰かがアイナ様やクロノプス家ならともかくも、あいつにそんな力はない。おそらく先生は関係していない、そう思いたい。
きっと、ダニエルはそういう力が欲しいんだろうな……とは思う。でも、同時に大きな勘違いだとも思う。あの人たちは、人を人として扱うから上手くいくんだ。そして、最終の駒は自身である。
お膳立てをさせているわけではない。そもそも、上手く踊れないからって殴らない。
国のトップに立つということは、終の剣の役目を担うということ。
そして、その背には民がいる。
彼はどう足掻いても、その役目には就けない。だから、ここまで来れば、今のところ奴に手出しはできない。
とにかく、悪い方は考えない。
グレーシアを前にお辞儀をすると、彼女もちょんと膝を曲げてお辞儀を返してくれる。
「よろしくお願いします。でも、……わたくし、下手みたいなのです」
学校で初めて交わした会話は、海のあるあの国で出会った時のグレーシアに似ていた。母親の背中に隠れて、名前も言えずにもじもじしていたあの彼女。普段騒がしい彼女の、たぶん根っこの部分。
「大丈夫ですよ。僕は転び慣れているので、受け身は得意です」
グレーシアのまん丸な瞳がほっと和らぐと、代わって良かったと思った。
「はい、知っています。でも、転ばさないように、頑張ります」
その瞳は真っ直ぐに注がれる。たとえ相手がヤドカリでも、幼虫でも。
だからね……。
そう思い、手を差し伸べると、グレーシアがタンジーのその手を取った。小さな手だと思った。
なんだか可笑しい。遠くから見ていた時は、不思議と大きさすら感じていたのに。
ヤドカリを掌に載せて喜んでいた女の子は、やっぱりあんまり変わっていないのかもしれない。
拍子木の三拍子だけが刻まれ始め、体を揺らす。その三拍子が消えるまでは、平穏。グレーシアがタンジーを転ばせることもなく、ただ、波に揺れるように漂って、僅かな時が過ぎていった。
☆
「あら、思ったよりも楽しそうね」
「アイナ様が校内のことにご興味があるなんて思いもしませんでした」
学校長に伴われ、最上級生のアイナがにこりと微笑んだ。
「他学年交流をラナが勧めたと吹聴しにいらっしゃったので、どうなるかと思いましたが、これなら来年も続けても良いのではありませんか?」
「それもそうですね」
学校長は微笑ましそうに一年と二年の様子を眺めるだけ。だから、アイナの瞳が影の女王として恐れられていたアリサのものと違わぬものだったことには、学校長はじめ、誰も気付いていなかった。
もちろん、その視線の先にある者も。いや、一人、アイナをじっと見つめる二年生がいる。そして、その視線を動かす。アイナはその視線に、無言で応える。
少しは使えるようになったようね。
アイナの視線はその二年生の視線の先にある者に移される。
「学校長。今度からあの者の動向も私へと伝えていただけませんこと?」
「承知しました」














