『気に入らない』
「誰があんな追詰め方しろって言った? えっ。なぁ、馬鹿なのか、お前。ほんと、使えない。で、結果はあれだよ。上手くいったのか? いってないだろ? いいか、二度と現れるな。その胸くそ悪い顔を見せるなって言ってるんだよ。返事はぁっ?」
☆
ラナは気に入らなかった。キャシーが嘘をついたことも、グレーシアが動ぜずにいたことも。キャシーはラナを利用しようとしたのだ。ワインスレーの子だと言っても、あの子が王族に立ち向かうなんて、そんな度胸があるとは思えないから。それは分かっていた。だけど、グレーシアを泣かせる理由としては、それでも構わないと思っていたのだ。
クロノプスの令嬢を虚仮にしてやった。ただ、それだけで気持ちは治まったはずなのに。しかし、キャシーがあんなに必死になるなんて……。
あの子はクロノプスと何の因果もないくせに。
そして、学校を休んで来なくなった。理由を聞いてやらなければ、このムカムカは収まらないのに。使いの者をキャシーの男爵家へ遣ってみたが、会えなかったという。
家格が違うために会えなかったというわけでもなさそうだった。
なんだかんだ言って、キャシーは男爵という家の令嬢だ。そこを持ち出されれば、叔父の名を出さなければ、ラナの家が負けることも知っている。
王妃アリサに見限られた母には知られたくない。あしらわれていることに、ただ利用だけされていることに気付こうとしない母は、それでも縋ろうとしているのだ。もちろん、繋がりがあるというだけで寄ってくる客はいる。だから、店の羽振りは良い。
だけど、『リンディ』の爵位は今のラナには邪魔になるだけ。それは、いつかラナが利用するためだけに存在するものなのだ。いつでも使える手札として存在しているわけではない。
ラナはラナとして、認められなければならない。
ラナは、唇を噛みしめた。母と私はよく似ている。同じ轍を踏みたくない。
だから、余計になんだか癪に障る。キャシーが来なくなった日、お弁当箱のあの日から、そんな思いをラナは抱えていた。まるで、何かに利用されたような、気持ち悪さだ。
授業が終わり、帰り道の廊下から声の聞こえる教室を見つけた。ミリを連れたグレーシアがワルツのステップの練習をしているようだった。ミリは困ったように笑い、真剣なグレーシアに何かを言っているが、窓は閉まっているのであまり聞こえてこない。
ラナは反射的に「ふん」と目を逸らす。しかし、すぐに気になって、彼らを眺めた。
何かが違う。
相手が転ぶほど下手くそだと聞いている。しかし、どう見てもそうは見えない。ということは、そう見えるようにしているということ。つまらないことをするものね。今は自分の権威だけを保っておきたいラナは思う。気付かれずに何かの布石を積み上げていくようなやり方は大嫌いだ。だから、クロノプス家も大嫌い。ただ……。
「下手くそなんかじゃないよな」
近づいてきていた影に一瞬身構えたラナは、その声の主を睨み上げた。だから、こいつも大嫌い。あぁ、虫唾が走る。
「優雅さなど一欠片もありませんわ。ほんと、こういうことは、お国柄が出てしまいますわね」
ほほほと笑うそんなラナに、満足そうな彼が続ける。
「ラナ様にお願いがあるんだけど」
嫌みを嫌みとも取ろうとしない目の前のこの男のことも嫌いである。グレーシアと同じ。
ただ、グレーシア・クロノプスに対しての嫌悪感とは全く違う。グレーシアの場合は、彼女自身の悪意なき言動が癪に障ったのだ。家同士は仲良くないが、ちょっと可哀想に思ってあげたのに。せっかく声を掛けてあげたのに。上手くやれないのなら、傍に置いてやってもいいわよ。そんな風な。やっぱり腹立たしい家の子ね、くらいな。
それも、今はもうどうでも良い。構うのに飽きたのだ。勝手におやりなさい、どうせ、この学校で貴女が上手くなんてやれないわ。そんな風な。それよりも、頼ってきていたキャシーが学校へ来なくなったことの方が、ラナには大切だった。一言くらい、申し開きすればいいのに、そんな風に。
事情が事情なら、機会くらいは与えるのに。
「何かしら?」
「自信を付けさせてあげたいんだけど、どうにかならないかな?」
ラナは王妃アリサに見限られたことのある母アミカと同じ轍を踏まないように、頭を回転させる。
見限られる瞬間を見誤ってはならない。そう、反対に見限る瞬間も見誤ってはならない。
そして、見限ったことを後悔させてやらなければならない。
攻め時は今。
積み上げるなんてそんな悠長なことは、性に合わない。
「良いですわ。その代わり、キャシーはわたくしがいただきます」
「俺に聞く必要ある? ラナ様は相変わらず怖いね」
爽やかに笑ってみせる、そんな男の内の声が聞こえたようで、さらに嫌悪感が増すのを堪え、鷹揚に微笑んだ。
そう、彼のその笑顔にはこう書いてあった。
あんな無能、欲しいならやるよ。
無能は、あなた。使い方を間違わなければ、キャシーは持てる力を全て出せる子よ。
「では、そのように。もちろん、違わないでくださいませね。ご機嫌よう」
ラナはわざとらしく綺麗にお辞儀をして、彼と別れた。
☆
お弁当事件から十日ほど。
二年生とワルツ交流の時間があると突然告知されたのは、五日ほど前の出来事だった。そして、学校を休んでいたキャシーがひょっこりグレーシアに謝りに来たのも五日前。多分、謝りに来たのだと思う。
ラナに連れられたキャシーとは一度も目が合わなかった。ただ、綺麗に洗われたグレーシアのお弁当箱を持って、「お返ししますわ」と頭を下げた。そんなキャシーの後に、ラナがふんと冷たく笑い、グレーシアに続けた。
「二度と関わってあげませんわ」
傍にいたミリは緊張していたようだが、やっぱり、グレーシアには良く分からない。ただ、なんとなくミリの前に立ち、彼女たちが二度と友達になってくれない、ということだけ理解していた。そして、もっと早くに絵を渡しておけば良かったのかしら?と、過去を巡らす。
ただ、……。
「キャシー様、打ち身に良く効くお薬を扱う薬屋がこの首都にもあります。すぐに分かりますわ。うちが扱うお薬です。綺麗に治りますから、良かったら」
なんとかキャシーに伝えられたことだけは、僥倖だったなとは思う。あの薬は木刀で付くような打ち身すら、綺麗に治してくれるから。兄さまと父さまがよく使っていたものだから。母さまの薬は、良く効くから。
化粧で上手く隠されていたが、始終俯いていたキャシーの頬と首筋、鎖骨の辺りには、青い痣が浮かんで見えていたのだ。もしかしたら、ドレスの下にもあるのかもしれない。痛みが治まるまで、目立たなくなるまで、きっと登校できなかったのだろう。だから、ラナがずっと彼女の腕を支えるように、守るようにして絡みつかせていたのだ。
嫌な感じしかなかった。
上手くやろうとするな。
また、父と兄の言葉が浮かんだ。
そして、ワルツ交流の時間。グレーシアのワルツの相手として現れたのは、エリツェリの王子タンジーだった。














