『びっくり箱』
気持ち悪いものとしては書いていませんが、文字として幼虫毛虫が出てきます。
ワルツの時間は苦手だが、昼食前にあるということは、グレーシアにとって嬉しいことだった。今日のお弁当はお米をギュッと握ったもの。作り方そのものの名前で、『おにぎり』という遠い国の食べものらしい。
海の外へも交易を大きく広げているリディアスは、色々と新しいものに溢れている。そして、サラはそんな新しい食べものをたくさん教えてくれる。
お弁当箱はまだ見つからないけれど、サラの貸してくれているお弁当箱は大きいから、たくさん入る。おにぎりの中には、おかずが入っているそう。とても楽しみ。宝箱みたい。
サラも色々なものを入れてみました、と嬉しそうだった。
嬉しいものを入れてくれるのは、楽しい。
だけど、そうではないと楽しくないし、嬉しくない。だから、バターが香るニンジンの炒め物が入っていたおにぎりを一つ食べ終わって、「面白いお味」と幸せだったグレーシアの気持ちも、ぐんと下がったのだ。きっと、自分が嬉しくないものを入れてしまったから、叫んでいるキャシーも楽しくなさそうなのだろう。サラのお弁当箱をきっちりと締めたグレーシアは、そんな風に思いながら、目一杯に腕を伸ばしたミリの差し出す自分のお弁当箱を見下ろした。
お弁当箱が返ってくるのに、グレーシアも全く嬉しくなかった。そして、全てが可哀想だと感じた。
「ラナ様、失礼な方でしょう? せっかく、彼女の大好きなものを詰めましたのに」
キャシーに続き、なんて酷いんでしょう?とざわざわと聞こえる声。
「喜びなさいよ。大好きなのでしょう? それが」
グレーシアに押しつけられるお弁当箱の中には、幼虫毛虫が動いている。いつもお喋りに騒がしいグレーシアもさすがに黙っていた。
「早く受け取りなさいよ」
だけど、グレーシアは素直に受け取る。ミリが怖がっていたから。受け取ってあげるべきだと思った。しかし、これは、どういう意味を持っているのだろう。幼虫たちは狭苦しそうで、グレーシアも嬉しくない。さらには、キャシーだって全然楽しくなさそうだ。そして、やっと幼虫から解放されたミリだけが、彼女たちの一番背後に控え、肩の荷を下ろしたように見えた。そして、考え抜いたグレーシアがやっと言葉を零ぼす。
「キャシー様は、……昆虫食のお国の育ちだったのですか?」
キャシー様は、……虫が苦手なのに、虫を食べるお国でお育ちになったのね。可哀想なお方なのですね……。
「まぁ、まさか。やっぱり野蛮な国の方の口にすることは違いますわね。そちらでは召し上がられるのでしょう? だから、毎日虫を愛でながら食事をなさいますものね」
そして、キャシーの言葉にまた疑問が湧いてくる。お弁当箱の中に入れるのは、食べものである。大好きなものを食べる。グレーシアのこの好きは『食べる』とは繋がらない。アミリアはお友達で、食べようとは思ったことがない。一緒にお昼ごはんをたべているだけ。
でも、肉団子は美味しい。
大好きで、食べる。
「苦労しましたわ、集めるのに」
やはり答えはひとつしかないように思えた。
きっと、キャシー様の周りの方は美味しそうに召し上がっていて……だから、……きっと、悲しい思いをずっとされていたのですね。でも、わたくしは、食べることは出来ない。
今、わたくしが護らなくてはならないのは、アミリア達。
「その……せっかく作ってくださった幼虫さんの活け作り……なのですが……」
騒がしい昼時の出来事だった。キャシーの声に、まだ教室に残っていた誰もが、窓を覗いていた頃。
「わたくしは食べられませんわ」
グレーシアはきっぱりと断った。
きっと生粋の『変人』なのだろう。誰も『食べろ』とは言っていなかったのに、あんなにも悩むのだから。だから、彼女たちも何をしても崩れないグレーシアが大切にしている『虫』をいじめよう……と思ったのかもしれない。それなのに、今はグレーシアが正論である。
やりきるんなら、ローストにでもすれば良かったのに、と敵に同情までしてしまうくらい、グレーシアは動じない。
まぁ、一刻も早くそのうねうねから逃げたかったのかもしれないのだけれど。取り巻きの友達にそこまで指図しないところが、まだかわいいのだけれど。
これはこれで、ドン引きだけど。
そう思い、タンジーの隣で同じように窓の下を眺める奴を見る。どうとでも取れる無表情。
ラナなら相手が確実に食べられる状態に持って行くという、そんな『優しさ』を発揮する可能性はあった。そうはならなかった点で言えば、ラナは英断を下していた。今も彼女はどこか行方を見守る姿勢を取っている。
彼女たちの悪意は全部表面上のもの。ラナがどこまでを求めていたのかは分からないが、泣いて謝れくらいしか求めていないのかもしれない。
この学校でいやらしい嫌がらせをするのは、陥れようとするのは、どちらかと言えば男の方。
取り巻きの中に、一年生のミリが入っている時点で、道筋は別にある。これは、何かの前座であり、パフォーマンスだ。
だから、尋ねた。
「どうして、ローストにさせなかったんだ?」
ダニエルが不意の質問に僅かにたじろぎ、平静を保った。
「お前、怖い奴だな。生きてる方がうねうねしてて気持ち悪いからじゃねぇの?」
「そうか……残念だったね」
そう、彼女に傅かれる機会を何度も逃しているんだもの。仲良くしたいんなら、もっと正直に……。
だけど、そういう性格だから。
タンジーはダニエルの横で窓の外を見下ろす。ダニエルもさすがに笑わない。
もちろん、外では誰も予想だにしなかったことが起きている。相手はグレーシアだ。タンジーはやはり胸のすく思いがした。風が通り過ぎていく。グレーシアはちゃんと彼女たちに向き合っている。負けてもいない。
「昆虫食を否定する気はありませんわ。キャシー様がいくらご興味を持ってらっしゃって、美味しいと思われても、やはりいただけません」
もちろんグレーシアは一生懸命、自分の中での辻褄を合わせるための会話だけをしている。だけど、それがどんどんキャシーを逆なでしていくのには、気付けなかった。グレーシア自身もいっぱいいっぱいになっているのだ。
「虫を食べるなんて、わたくしがするわけないじゃない」
キャシーが叫ぶが、グレーシアはそのお弁当箱を眺めながら、また別のことを考えていた。悪い虫ばかりではなさそうだ。アミリアは蝶になるし、こちらのはネキリムシ……害虫だけど、人に危険はない。これの毛虫擬態はオレンジの蝶で、こっちはちゃんと毛虫で一生を終えて……みんな狭い場所で、困っていますね……と同情していると、キャシーがまた言い募る。ラナの声はまだない。前を見つめる。ラナは、キャシーを見ている。
ただ、……キャシーが騒いでいる。そして、ラナを前に出そうとしている。
グレーシアはそう感じた。
「あなたのために、こんなに苦労して集めましたのよ」
「グレーシア様は虫がお好きで、食べることもお好きなのでしょう?」
繋がらない事実だけを並べたツンとしたラナの声。どこか投げやりな、いつもと違う雰囲気ではある。そして、ふと視線を上げる。その視線は、確実に二年生へと。
「えぇ、でも、申し訳ありませんが、お友達を食べることはできません」
「やっぱり、虫がお友達だなんて、野蛮なお国の方は言うことが違いますわね、ね、ラナ様」
摘まめるのはグレーシアだけ。だけど念のため。どこかに木の枝が落ちていないかを探す。あった。ちょっと頼りないけれど、ないより良いでしょう。
「何をなさる気?」
「いただくにしても、念のためです」
幼虫を木の枝で引っかける。とりあえずアミリアを二匹お弁当箱から取り出して、花壇へ逃がす。
「これだけ集めるのは、本当にご苦労だったと思いますけど……」
グレーシアがまた別の毛虫を木の棒に引っかけて、別の場所へ逃がす。この子はスミレが好きな子。
「捨てる気ですのっ」
やはりキャシーの叫び声だ。幼虫が出てくる度に及び腰で叫ぶ彼女が拾い集めたとは思えない。
グレーシアは近づいてこようともしない彼女たちを放って置いて、話しかけたことのある幼虫から逃がしていく。この子はクチナシが好きな子。みんな、害もなく、蝶になる。そして、お友達を逃がしただけのグレーシアは、ほんの少し考えていた。どうしたものかと。お弁当箱内を枝で掻き分け、残った緑色のトゲトゲ……危険なものを見つけた。死んだりはしないけれど、かぶれるし、放っておくとそのかぶれを繰り返してしまうもの。
あんまり刺激も加えたくないもの。
「ラナ様……この子を掴んだ方は今ここにいらっしゃいますか?」
お弁当箱の中で蠢く虫を見つめながら、グレーシアがラナに尋ねた。
「知らないわ」
「素手で触ったら……」
そう言ったグレーシアが手をボリボリと掻いていたミリ嬢を見つけた。
「ミリ様ですね。掻かないでください。すぐに医務室へ参りましょう。申し訳ありません。ラナ様、お弁当ありがとうございました。危険ですが、せっかくいただいたものですし、蓋をしてもう少し持っていてくださいませんか」
そして、幼虫入りの弁当箱を、ここでの公平を貫いていそうなラナに押しつけたグレーシアの行動に隙はなかった。慎重にミリの手を掴んだグレーシアは、そのまま医務室へと連れて行ってしまった。
お弁当箱を放り投げたラナの悲鳴が響き渡ったのは言うまでもなく、ご愁傷様、とタンジーは心の中で呟いた。














