地獄のそれ
翌朝。
この世界でスマホは、電話としてもSNSとしても利用できない。
天気や人間のステータス、地図などの情報を得ることはできる。
写真と動画を撮ることも可能だ。
一応、ネットを閲覧することもできる。
だが通信機器としては、機能を失っている。
また掲示板に書き込んだり、動画や写真をアップロードすることもできない。
つまりほとんど”見る”以外の機能をカットされている。
「私、やっぱり綾瀬のところには、帰らない。」
高本が急にそう言い出した。
朝になった途端、急にだ。
もちろん高橋も仰天する。
しかし綾瀬と連絡は取れない。
高橋は、腕を組んで怒っていた。
「何で急にそんな事……。」
「だって!
現実でも大会とか成績とかで面倒じゃん!!
ここまで来て、そんなことしたくなくなって来たしッ!!」
高本は、そう言って物を壁に投げる。
あまりに様子がおかしいので隣室の十太郎がやってきた。
「高橋さん?
宿屋の人がチェックアウトして欲しいって…。」
「ああ、西岡ボーイ。
ちょっと入って来て。」
高橋に言われ、十太郎も部屋に入る。
中で二人ともスポブラとパンツ一丁だ。
暑いから仕方ないんだろうけど。
「この子、ここで暮らすって。」
高橋が頭を抱えて十太郎に説明した。
当の高本は、不貞腐れている。
「もう疲れた!」
「大会前に頭がパンクするアレでしょ?
落ち着いて時間が経てば冷静になるから…。」
高橋は、何度もそう言って高本を抑える。
「それで後から練習サボったの自己嫌悪するじゃん?
シャディザールに戻ろう。」
「うう~~っ!
ううう~~っ!!」
高本も分かっているんだろう。
ただ色々、いっぱいいっぱいなだけなんだ。
今は、それを吐き出したいだけ。
「私ぃ…。」
「うん!」
「聞いてるよ!」
十太郎と高橋が相槌を打つ。
話しながら高本は、ベッドから降りたり登ったりしている。
「負けるの悔しいし。
走るの……好きだから。
ずっとやって来てるけど。」
「う、うん!」
「そうそう話しちゃいな!!」
十太郎と高橋が二人がかりで宥める。
「もう…この先、一生そんなの無理かなって最近思うの。
どっかで人間、負けるじゃん?
もう負けちゃっていい気がする。
そしたら変わるじゃん。
もう、脂質とかタンパク質がどうとかタイムとか関係ないし。
ううう~~~っ!!」
高本は、愚痴が止まらない。
ベッドに頭を突っ伏して何か譫言のように繰り返している。
昨日の冒険辞めた子たちの話が心に突き刺さってしまったようだ。
厳しい目標を追って走り続けるだけが人生じゃない。
だが同時に彼女は、他の生き方が自分に合わないと分かっている。
だから苦しいのだ。
でもだからといって放っておく訳にもいかない。
「……時々、こういうことあるの?」
十太郎が高橋に訊いた。
高橋は、首を横に振る。
「知らない。
だって学校も違うし私は、バレー部だから…。」
そうだった。
別に同じ学校でクランを作ってる訳じゃなかった。
高橋も高本のことは、2ヶ月ちょっとの付き合いだ。
とにかく高本の気分を変えないと。
少なくとも一人じゃ高橋がシャディザールに帰れない。
「そうだ。
1日休めば気分も変わるんじゃない?」
十太郎が高本に言った。
「俺、フロントに行って、もう1日泊るって話してくる。
高本さんもそこまで本気じゃないよね?」
「ううう~~っ!
私………嫌なのに………。」
高本の返事を待たず、十太郎は、部屋を出ていく。
そして店主に話をして、また部屋に戻って来た。
「あ、西岡ボーイ。
もう1日泊るって、これから何するの?」
高橋が訊くと十太郎は、ベッドで暴れる高本の隣に忍び寄る。
そして彼女を抱き起こすと乱暴にキスした。
「ちょッ?
な、何するの西岡ボーイ!」
「気分転換。」
そう言って十太郎は、微笑んだ。
夜桜だ。
十太郎が寝ている間に身体の主導権を握っている。
「わ、私、彼氏いるんだけど?」
「じゃあ、教えて。
俺とどっちが良かったか。」
抵抗する高本に夜桜が覆い被さった。
高橋は、顔を真っ赤にして目を丸くしている。
その場で一言もない。
「あ………ああっ。」
高本の声が湿って来た。
「おーまーえーっっっ!!!」
目を覚ました十太郎が仰天した。
ウトウトしていたのが悪かった。
夜桜という悪魔を野放しにしたのが失敗の始まりだ。
ベッドには、裸の自分と高橋、高本。
こんなことが許されて良いのか?
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!
お前に見せたかったぜ、つばさの…。」
夜桜が哄笑する。
Just for the hell of it.
トイレに逃げ込んだ十太郎が歯を食いしばって怒っている。
(なんで、なんで…。
なんで、こんなことを…!?)
怒り狂う十太郎に夜桜が屈託なく答える。
(落ち込んでる時は、誰かに慰めて貰えば良いんだよ。
男も女もな。)
「じゅーたろー?」
高橋の声だ。
トイレの扉の前にいるらしい。
苗字から下の名前呼びになってる。
「うわあああ……!
お前、何やったんだマジでェェェ!!!」
狼狽える十太郎と面白がる夜桜。
「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
トイレから聞こえる男女の声に高橋は、何かを察した。
「うわー。
新しい女の子、捕まえて来たの?
十太郎ってそんな男の子だったんだー。」
驚きと揶揄いの色を混ぜて彼女は、扉越しにそう言った。
十太郎は、慌てて扉の向こうに答える。
「違うの!
こ、これは、腹話術なの!!
と、特殊な腹話術で……ッ!!」
急いで扉を開け、自分一人しかいないことを証明する。
「ほら!
俺しかいないでしょ!?」
「ホントだ。」
高橋が目を丸くしてトイレを覗き込む。
当然、そこには、十太郎しかいない。
「明日、高本もシャディザールに帰るって。」
「え、あ、う、うん!!
き、き、気分が……気分転換になって良かったね。」
クズな自分を呪い殺したい。
十太郎は、夜桜に自由を許して爆睡した自分を許せなかった。
「ほーんと。
また遊ぼうね。」
そう言って高橋がベッドに戻って行く。