『虹』
家に帰る車の中で僕は虹を見た。長野方面に広がる長い山脈に虹がかかっていた。久しぶりだなあと僕は思って運転しながらじっと虹を見ていた。虹はどこから始まって、どこで終わりを迎えるのか僕は知らない。
世の中には知らない事の方が多くて、それは社会に出てからというものどんどん知らないものが拡大していっている感覚があった。
仕事は医薬品の営業職でPOPや陳列の手伝いをする事が多い。よく見る女性店員はみんな薬剤師と結婚する事を夢見ているので、とてもじゃないけどしがないサラリーマンと仲良くなろうなんて人は今の所見かけなかった。
もちろんこっちとしたって願い下げだ。ただのアルバイトの学生やらパートの奥さんと親しい仲になったところで一体なにになるのか。
ただこう、通勤を一人でして会社もにも最初と最後だけいるみたいな生活って人が恋しくなる。
例えば明日、今日見た虹について話を聞いてくるような人が欲しい。でも明日は休みで遊び相手もいない。みんな結婚しているし子供もいる。だから独身男の事を毒男なんて呼ぶのだろうかな。
ふと僕は忘れた。自分の帰り道の右折する場所を直進してしまった。
ついてないなって僕は思い、先に進んだ。こうなると当分右折先はない。左折してUターンするしかないのだけど、それもなんだか面倒くさかった。仕方なく僕は虹のかかる方に進んでみようかと思った。
世の中の知らない事を一つ探ってみる。そういう事も多分一つ必要な事かもしれないと思って。
虹の一端に向かって直進していくのはなかなか難しい事だった。道はもちろんまっすぐにつながっている訳じゃないなので橋のない川に出会うとなかなか面倒で小さな道の連続もなかなか骨の折れる事だった。そうこうしている空がオレンジ色に変わる。
自動販売機が何台か置いてあるスペースでもう引き返すべきなのかもしれないと思いながらコーヒーを飲む。
自分がどこにいるのかも、何をしているのかも判らなかった。馬鹿な自分だわ。そう思っている所にスポーツバイクが通りかかった。逆から右折してくる黒塗りの車。危ないかなーと思っていたら、ゴムの擦れる音が聞こえてバイクが宙を飛んだ。嘘だろう??そう思っていたら車は何事も無かったかのようにタイヤを軋ませ急加速していった。ふと見えた影が光彩に刻み付けられた。夕焼けに反射した運転手の顔が僕からは丸見えだった。
手元から飲み物の缶が落ち、僕は頭のてっぺんからどんどんと冷たくなっていく感覚があった。とにかくどうにかしないといけない。
放り投げられた人に駆け寄る。その人はフルフェイスのヘルメットを被っていた。右腕あたりから血が染み出ている。楽な体勢にして僕は呼びかけるが反応はない。僕はその人のヘルメットを取った。まだ若々しいラフランスのような肌の女性だった。
息が短く口から血を吐いていた。肺に骨が刺さっているかも知れない。
僕はとにかく周りに人がいないかどうか見渡してみるが周りには住宅も無く時折車が過ぎていくだけだった。
心音はどうだろう……。ぶるぶる震えていたのは僕の手だった。
くそったれ。本当に動いてない。どうすればいい。肺に骨が刺さっているとしたら心臓マッサージをしても肺に血が貯まってしまう。何か良い方法はないのか?駅や学校などAEDが置いてある場所とか近くにないのか?
ふと、僕は自分の車に目が止まった。そうだ。僕は医療品の営業だったんだ。
慌てて車に駆け込み僕は助手席のダッシュボードを開けた。そうだったんだ。僕が薬剤師を目刺し、それが駄目で医薬品の営業という職についたのかすっかり忘れていた。僕は人の役に立ちたい。人を救うために仕事がしたい。ずっとそう思っていたんだ。
車載用のAEDを外すと僕は彼女の胸に付け作動させた。少し時間がかかる。その間になんとか、誰か呼んでこないといけない。
大声で僕は叫んだ。しかし人気のない田舎で車も殆ど通らない。
どうにか、だれか呼ばないと……
僕の目に入ったのは彼女のバイク。僕はその大破したバイクに近づく。汗がでた。強烈な匂いを発しそうな汗だ。
構ってる暇はない。僕はそのバイクの給油キャップを開けて持っていたジッポライターに火を付けた。体勢を伏せてジッポをそのバイクに向かって投げる。
轟音が天を裂くように轟いた。僕は吹き飛ばされて大きな炎の柱が出来上がっていた。
「本当に何をやったか判ってるんですか!!あんたのやった事は一つまちがえれば大惨事だったんですよ」
「すみません。でもそうしなきゃならなかったんです。こうでもしなきゃだれも気がついてくれないと思いまして」
消化されたバイクの前で僕は警察官に言い寄られた。爆発が起こったあと、近くの民家の人が110番。119番をして、自動販売機の前には消防車2台パトカー2台救急車2台が押し寄せた。彼女の心臓は僕が行ったAEDのお蔭で動きだし病院に送られた。
「被害者はどうなったんですか?どこの病院に運ばれたんですか?」
「君には警察署で詳しく話しを聞かせて貰わないとならない」
「病院に連れって下さい。彼女の安否が心配なんです」
「家族や友人なのかね」
「そうじゃないですけど、僕が警察署に行っているあいだに命をおとしていたなんて事になったら、僕がやったこと何にも意味が無かったって事になるじゃないですか」
「そんな事はない。適切かどうかはわからないがやるべき事はやった。違うか? いま手術中だろうし行っても意味が無い」
僕はもうどうする事も出来なかった。パトカーに乗せられまるで犯罪者扱いだった。俯き唇を噛んだ。警察官は無線で言う。
「これより、目撃者と共に病院に向かい病院内で事情を聞く事にします。どうぞ」
赤いサイレンがなった。僕は驚いてバックミラーに映る運転手を見た。
「誰かを助けたいそれは警察でも同じだ」
そう警官はいった。窓の外を見ると車は虹の先端に向かって走っていた。