98.恥ずかしいなんて思うわけ
「――」
突然のことに驚いて、シュリネは反応できなかった。
ルーテシアは両目を瞑り、呼吸を体内に送り込む要領でシュリネへと魔力を注ぐ。
身体の中に入ってくる温かな感覚――以前はほとんど意識のない状態であったが、今はしっかりと分かる。
ルーテシアの会得した治癒の魔法は、驚くべきものだ。
痛みは和らいで、完全に尽きたはずの魔力が戻ってきている。
さすがに大きな傷まで完全に治すわけではないが、小さな怪我はすでに癒えつつあった。
魔力が戻れば、シュリネ自身でも止血することはできる。
シュリネがルーテシアの肩に触れると、ゆっくりと唇を離した。
少し俯いたままに視線も逸らして、
「……貴女の怪我を治すのに、恥ずかしいなんて思うわけないでしょう」
ルーテシアはそう言い放った。
だが、頬は少し赤く染まっていて、口元を手で隠すような仕草を見せられては、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
正直、この場で本当にキスをするとは思わなかったが――ルーテシアなりの覚悟なのだろう。
シュリネはそっとルーテシアの髪を撫でるように触れ、
「ありがとうね、無理させたみたいで」
「だ、だから別に無理なんてしてないわよっ」
「分かったって。おかげで随分と楽になったけど――」
シュリネは脱力するように、ルーテシアに身を寄せる。
「! ちょ、ちょっと……! 大丈夫……!?」
「うん、平気だよ。意識はあるし……でも、少し気が抜けたかな」
戦いに次ぐ戦い――シュリネは病院での戦いの影響もあって、かなり衰弱している。
そんな状況でディグロスという強大な敵に挑んで、勝利を掴んだのだ。
ルーテシアの傍を随分と離れることになったが、ようやく彼女と会って安心したところもあるのかもしれない。
――本来なら、シュリネはルーテシアを守らなければならない立場にあるが、今くらいは、彼女を頼っても許されるだろう。
ルーテシアはシュリネの身体を支えつつ、できる限り楽な姿勢を取らせようと横にならせた。
周囲はまだ騒がしく、怪我人や残党がいないかどうかの確認など――対応に追われている。
ちらりとシュリネが視線を動かすと、シュリネと同じように大怪我を追ったエリスが、フレアと手を握り合っているのが見えた。
ルーテシアが処置を終えたとは言っていたが、本格的な治療はこれからだろう。
「エリス……! 大丈夫よ、貴女は必ず助かるから……!」
「ご心配には、及びません……私の、役目はまだ、終わっていません、から」
「……っ、その、通りです……! これからも、わたくしを支えてくださらないと……だから……っ」
――戦いは終わっても、全てが解決したわけではない。
シュリネも含めて大怪我を負った者はたくさんいるし、ハインのことだってある。
事情があったとしても、彼女の糾弾は避けられないだろう。
「ハインのところには、行かなくていいの?」
「話す時間はこれから、いくらでもあるわ。今は……姉妹の再会の邪魔をしない方がいいでしょう? それに、私は貴女のことが一番心配だから」
「ルーテシアは本当に心配性だなぁ……。わたしは、平気だよ」
「……左腕も、左目も――もう戻らないんでしょう……?」
「それは……まあ、そうだね。でも、あなたが責任を感じることじゃない」
「無理よ。いくら何でも、責任を感じるななんて……貴女は簡単に言うけれど、そんの言葉には甘えられない。貴女のこと、私が支えるようにするから」
「支えるって……?」
「ご飯を食べさせたり、お風呂も一緒に入った方がいいわよね?」
ルーテシアなりの責任の取り方というものだろうか――だが、シュリネは少し困った表情を浮かべていた。
「利き腕が残ってるんだから、ご飯くらい食べられるよ」
「なら、お風呂は?」
「まあ、そっちは……怪我があるうちは頼むことになるかも」
「決まりね。これから色々と忙しくなるかもしれないけれど……私はできる限り、貴女の傍にいるから」
ルーテシアはその言葉の通り――動けないシュリネの傍を離れることはなかった。
彼女も先の戦いや治療にも随分と魔力を消費したはずなのだが、シュリネを傍にいながら、静かに治癒の魔法をかけ続けている。
「そうだ、ルーテシアはわたしの残したメッセージに気付いてくれたんだね」
「襲撃がある日のこと? 貴女が戻ってこないから部屋に行ったら――って、髪飾り、貴女に返さないと。大事なものなんでしょう?」
「しばらくはルーテシアが預かっててよ。どうせ入院する時は、着ける機会もそんなにないだろうしね」
「ちゃんと入院するつもりもあって安心したわ」
「……ルーテシアはわたしのこと何だと思ってる?」
「『鍛え方が違う』とか言って、すぐに歩き回って病室を抜け出さないか心配だわ」
「安心したり、心配したりルーテシアは忙しいね」
「誰のせいだと思っているのよ……」
シュリネの下へ救護隊がやってくるまで、そんな他愛のない会話をして――二人の中に、いつもの時間が戻りつつあった。
――王宮での決戦は国民に知られることはなく、事前に記録していたフレアによる宣布も終わって、リンヴルム王国の次代の王は決定した。




