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97.これ以上ないくらいに

「一刀――《神刺かんざし》」


 シュリネが放ったのは人差し指と中指、そして腕の撓りだけで刀を弾く――すなわち、刀を飛ばすだけの技である。

 自ら刀を手放すこと自体、この状況においては無謀と思われるが、最小の動きで繰り出されるその突きは、シュリネが持つ技の中で最も速く、離れた敵を討つことも可能。

 神さえも刺し殺す――最速の突きだ。

 さらに、二本の指がへし折れるほどの負担をかけて限界以上の速度と威力を実現する――シュリネはすでに左腕を失っており、動けない身体で扱える唯一の技だ。

 ディグロスの放った拳は逸れて、シュリネの顔を少し掠めるように地面を抉っている。

 その一撃によって、シュリネの左目から大きく出血があった。


(……左目までくれてやるつもりはなかったけど)


 潰されたのが、感覚で分かる。

 シュリネは残った右目で、ディグロスを見上げた。

 頭部の真ん中を刀で貫かれ――ピタリと動かなくなった彼の姿を。

 本当の意味で、限界だった。

 もしもこれで、ディグロスがまだ動けるのであれば、シュリネの敗北が決まる。

 左腕と左目を失い、右足はへし折られて内臓にも深いダメージを負った――もはや限界だ。

 いつ意識を失ったっておかしくはないが、シュリネはそれでも真っすぐディグロスを見据える。

 やがて、ゆっくりと彼の拳が動いた。


「……まだ、動けるんだ」


 シュリネは心底、呆れたように溜め息を吐く。

 常識外れの生命力――あと一撃でも受ければ、シュリネは間違いなく死ぬ。


「俺の頭部を狙った一撃……ギリギリまで引き付けたようだが、外したらどうするつもりだった?」

「外さないよ。倒せるかどうかは、賭けだったけどさ」

「そうか、ならば――賭けに勝ったのはお前だ、シュリネ・ハザクラ」


 脱力し、ディグロスはその場に両膝を突く。

 その言葉に嘘はなく、彼もすでに限界を迎えているようだった。

 シュリネは賭けに勝ったのだ。


「羨ましいな……守るべき者のために戦えるというのは」


 その瞳は虚ろで、すでにうわ言のように小さな声。


「こんな化け物に成り果てて、何をしていたんだろうな……ただ、俺は――」

「何だか知らないけど、あなたは王女を殺そうとして、わたしはそれを守り切った。それだけのことでしょ。見た目が化け物でも、あなたは人と変わらないってことだね」

「は、ははは……この俺と戦って、それでも人と同じと見るか……。いや、勝者は、常に正しい。俺は……俺がやるべきことをやって、死ぬ――」


 ゆっくりと、ディグロスは仰向けに倒れ伏した。

 今度こそ、勝ったのはシュリネだ――あちこちで歓声が上がる。


「お、おお、やったぞ! あの化け物を倒したんだ!」

「勝った! 勝ったぞ!」

「とんでもない少女だ……!」


 喜ぶ声や、シュリネの強さに驚く声もあったが――それも束の間。怪我人は多く、すぐに慌ただしく事後対応が始まる。


「結局、わたしを知ってる理由も聞き忘れたね」


 シュリネはもう一人で動ける状態ではなかったが、誰よりも早く駆けつけてきたのは、


「シュリネっ!」


 どうやらエリスの治療を終えたらしいルーテシアだ。

 彼女は一度、シュリネの名を呼ぶとそのまま抱き着いてくる。


「いたたっ、ちょっと……わたしは怪我人――」

「大バカっ!」


 すぐに涙声のままに、ルーテシアの怒る声が耳に届いた。

 もちろん、ある程度は覚悟していたことであるが。


「貴女は……! 左腕を自分で切断する、なんて……!」

「勝つためには必要だったことだよ。やらなかったらたぶん負けてた」

「そうだとしても……左目だって……」

「これは正直、予想外だったね。ま、それだけの相手だったってこと。これくらい、どうにでもなるよ」

「何で、貴女はそんな楽観的な物言いばかりするのよ……!」

「だって、ほら」


 シュリネが指示した方向に、ルーテシアは視線を送る。


「あ……」


 そこには、抱き合う姉妹の姿があった。


「お姉ちゃん……! お姉ちゃん……! あたし、ずっと、待ってたんだよ……! ずっと、一人で待ってた!」

「ええ、分かっています。私も――あなたをこうして抱き締めてあげたかった……! ごめんね、ずっとつらい思いをさせて……!」

「ううん、いい……これからは、傍にいてくれる、よね?」

「もう離れませんよ。お姉ちゃんは、ずっと傍にいますから」


 ――姉妹は互いに涙を流して、失った時間を取り戻すかのように、絆を確かめ合っていた。

 ハインはクーリのために、クーリはハインのために行動していて、ようやく実を結んだ瞬間なのだ。

 ハインが受けた傷は決して軽いものではないはずだが、妹の前ではつらさを見せようとしない――あるいは、そんな傷すらも、気にならないほどに今という瞬間が愛おしいのかもしれない。

 そんな二人の姿を見て、ルーテシアの泣き顔も、微笑みに変わる。


「ハインを取り戻して、王女も守りきれた。これ以上ないくらいに、わたしも仕事を真っ当したんだからさ、少しくらいは褒めてくれてもいいんじゃない?」

「……当たり前じゃない。貴女には、感謝しきれないくらい感謝しているに決まっているわ。だからこそ、自分の身を犠牲にしてまで戦った貴女に、合わせる顔が――」


 視線を逸らすルーテシアに対し、シュリネはその頬に手を触れると、お互いに向き合う形になった。


「左腕も、左目も確かになくなった――でも、わたしは生きてる。あなたには、喜んでほしいんだよ」

「……シュリネ」


 ルーテシアの表情は、やはりどうしていいか分からないといった様子だ。

 嬉しい気持ちは当然あるのだろう――だが、それ以上にシュリネが失ったものの大きさが、彼女には衝撃が大きすぎるらしい。

 ルーテシアのその優しさを、シュリネも理解できている。


「ま、あなたに気にするなって言っても無理だろうから……とりあえず怪我の治療はしてもらおうかな。もう魔力もないし、出血も止まらないし。それでチャラにしてあげる」

「! す、すぐに治療するわ……! 当然、それで全部なかったことになるわけじゃない、けれど……」

「あははっ、ルーテシアは真面目だね」

「笑いごとじゃないわよ! 貴女、本当に大怪我で……ごめんなさい、私がそもそも、泣いている場合じゃないのに……! とりあえず、ここ横になって――」

「あれ、してよ。前に死にかけた時の」

「あれ……?」


 何を言っているか分からない、といった様子でルーテシアが怪訝そうな表情を浮かべる。

 そんな彼女に対し、シュリネは自身の親指を唇に当てた。

 しばしの沈黙の後――ルーテシアはその言葉の意味を理解して、顔を赤く染める。


「あ、あれは緊急事態で! あなたの意識もなかったし……! いえ、そもそも知っているなら意識はあったってこと!? と、とにかく、魔力のない人に対する緊急の処置――あ」


 自身で言って、ルーテシアは今がまさにその『魔力のない人に対する緊急の処置』だということに気付いたようだ。

 怒ったり泣いたり慌てたり――実に感情豊かで、そんな様子のルーテシアを見て、シュリネは思わず笑いをこらえきれなくなる。


「ふっ――あはははっ」

「……笑いごとじゃないって言ったわよね……?」

「ごめんって。まあ、いいよ。ここは人も多いし、さすがにルーテシアだって恥ずかしいでしょ」

「恥ずかしい……?」

「わたしは別に気にしないけど――」


 言葉を言い終えることができなかったのは、ルーテシアの方からシュリネに対し口づけをかわしたからだ。

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