94.呪法
「――もしも勝てない相手に出会った時、君はどうする?」
シュリネは師匠――コクハ・ハザクラの問いかけに、眉を顰めた。
ハザクラの姓は師匠であるコクハに拾われた際にもらったもの。
シュリネにとっては唯一の家族のような存在であり、全てを教えてくれた人だ。
長い白髪に、白と黒を基調とした東の国特有の服装に身を包んだコクハは、真っすぐシュリネを見据える。
一方、シュリネはよく分からない、といった表情で答える。
「? わたしに勝てない相手なんていないよ。しいて言うなら師匠くらい――いったっ!」
鞘に納まった刀で、頭部を叩かれる。
シュリネは頭をこすりながら、コクハを睨んだ。
コクハは呆れたように小さく溜め息を吐き、
「もしも、と言っているだろう。話の腰を折るように教えた覚えはないよ」
今度は諭すように言った。
「そんな可能性の話されたってさぁ……師匠だってよく言ってるじゃん。戦う前から負けることを考えるなって」
「それはその通り。常に己が勝つ姿だけを想像しろ、敗北は死に直結する――そして、それは己の実力不足に過ぎない。負ければそれまでだった、そう諦めろ」
コクハの教えは明白だ。
勝てば生き、負ければ死ぬ――シュリネはそうならないように過酷な修行を遂げてきた。
常に死と隣り合わせのような環境で何カ月も過ごしたことだってある。
それを乗り越えたからこそ、今のシュリネがあるのだ。
圧倒的な自信の裏付けの理由にもなっている。
「なら、『もしも』の話をする必要なんて――」
「だが、護衛というのは自身の命を守っているわけではない。護衛は死んではならないんだよ」
シュリネは護衛の任を就くために育てられた――それもまた、コクハに幼い頃より教えられてきたこと。
護衛をする者は命を懸けて守らなければならないが、命を落としては守れないのだ。
敗北は死――それは、自身に限定されることではない。
コクハの言葉を受けて、シュリネは口元をへの字にした。
「まあ、言いたいことは分かるけど……」
「そこで、私から一つだけ――君に技を授けよう」
コクハが本題を切り出すと、途端にシュリネは目を輝かせ、
「! 技!? 新技!? 奥義!?」
食い気味に問いかけた。だが、
「残念だが、剣術についてはもう教えることはない」
「……なんだ」
シュリネは落胆した様子を見せる。
すでにコクハから学んだ剣術を十全に使いこなし、刀による近接戦闘であれば――決して劣ることはないレベルにまで達している。
ただし、コクハはシュリネとは違い、魔力量はむしろ常人よりも多い方という大きな差はあるが。
「がっかりするな――と言っても、今から教える技は、使わないことに越したことはない。これは魔法というより、呪法と呼ぶべきものだからな」
「呪法……? よく分からないけど、師匠も知ってるでしょ、わたしの魔力は――」
「問題ない。君でも使えるほどに魔力消費量は少なく、けれども君にとって――いや、人として支払う代償はあまりに大きいと言うべきかな」
「ふぅん、魔力が少なくても使えるなら、わたしも使えるしいいかもね」
随分と、シュリネは楽観的に考えていた。
だが、実際に教えられたものは、おおよそ人が使うにはあまりに大きすぎる犠牲が必要になる。
「《犠身爆体》――自らの肉体の一部を犠牲にすることで発動する呪法。それは君にとっての支払う代償の大きさに応じて、威力を増す。十年以上――費やしてきた年月にして、君が身体の一部を失うのはあまりに大きい。特に、刀を扱う腕や速さを失う足であれば、より大きな効果を得るだろう。無論、これは君がまともに戦って勝てないと判断した相手にだけ使うものだ」
シュリネにとって、それは生涯使うことのないものだと思っていた。
いくら勝つためとはいえ、身体の一部を捨てるような戦いは、そもそもシュリネが好むものではない。
今――自身を犠牲にしてでも、勝たなければならない相手と対面した時、シュリネは迷うことなく使う道を選んだ。