93.左腕の借り
ディグロスは両腕を広げ、シュリネへと襲い掛かった。
動きは相変わらず速くはないが、近づいてくるだけで圧はある――何より、ディグロスの異常な回復力だ。
追いかけられるだけでも体力を消費させられる。
シュリネは回避に徹する――だんだんと、ルーテシア達のいる場所から少しずつ離れるように。
広場の壁にディグロスがぶつかれば、分厚い壁も簡単に粉々になった。
隙を見て剣撃を与えるが、与えた傷はいずれも再生している――オルキスとの戦いの時のように、再生できなくなるのを待つのは無理だ。
「ふ、ふっ――」
呼吸は乱れており、シュリネも限界が近づいている。
オルキスとの戦いからまだ回復しきっていない身体では、どのみち長時間の戦闘は無理だ。
時折、反応が遅れてディグロスの攻撃に当たりそうになる。
全く当たらないようなはずの位置でも、シュリネの皮膚を抉るような威力だ。
大きくシュリネが距離を取ると、ようやくディグロスの動きが止まる。
「いつまでも逃げ回るだけか? そろそろ飽きてきたが」
ちらりと、ディグロスの視線がフレアへと向けられる――挑発だろうが、確かに彼にはシュリネに付き合う道理はない。
「……そうだね。そろそろ頃合いかな」
シュリネは構えを取って、真っすぐディグロスの下へと向かう。
ディグロスは迎え撃つ姿勢だ――シュリネが目の前に来たところで、まるで虫でも叩き潰すように両腕を合わせた。
その衝撃だけで、周囲に地鳴りが起こる。
だが、シュリネには当たっていない。
「――」
ズンッ、とディグロスの背中に衝撃が走る。
何かが刺さった感覚――にやりと笑みを浮かべ、ディグロスは背中に手を伸ばした。
すかさずシュリネは跳び上がり、ディグロスの後方に立つ。
「ほう、武器を捨てるのに迷いがないな。強者でも、なかなかすぐに動けるものではないが」
シュリネの刀が手元にない――ディグロスの身体に深く剣を突き刺せば、抜けなくなる。
一方で、斬撃だけではおおよそ彼の命を奪うには程遠い。
ようやくダメージと言えるダメージをシュリネが与えたと言えるが、そもそもディグロスは痛みをほとんど感じていないようだ。
「……やっぱり、その大きい身体だとさ、何が刺さっても痛くないものなの?」
「細い刃では痛みというには程遠いな。俺の心臓を狙ったのだとしたら、あまりに粗末な選択だが。さて、もう一本の刀――それが本命だろう? 俺と戦うのに、いつまでも渋るな」
「わたしも確認したいことはできたからさ。そういう身体だと色んな感覚が鈍くなるんだろうね」
「なんだ、負けた時の言い訳か? 確かに俺の身体は人間の域を超えている。だが、俺はこの力を命がけで手に入れたのだ。どうだ、お前は魔力量も小さく本来であれば俺の認めるべき存在ではないが……強さだけは十分。潔く負けを認めるのならば――」
その時、カシャンッと小さな金属音が広場に響いた。
ちらりと、ディグロスが視線を向けて――目を見開く。
そこにあったのは、先ほどまでシュリネが握っていた刀だ。
「……なんだと?」
驚くのも無理はない。
そこにシュリネの刀があるのなら、今ディグロスの身体に突き刺さっているものはなんだ。
もう一本の刀を突き刺したのか――だが、まだシュリネの腰には刀が一本、残っている。
「細い刃、だっけ。確かに、あなたから見ればわたしの身体は小さいから――何が刺さったのか、判断できてないんだね」
ぽたりと、シュリネの左腕から血が流れ出しているのが見えた。
「お前――」
ディグロスも気付いたようだ。
魔力を残したのも、治る見込みがないと言われた左腕をあえて使わずに温存したのも、全てはこの一撃のため。
「左腕の借りは、これでチャラにしてあげるよ」
シュリネが裾をまくると、そこには――左腕はなく、厳重に縛り付けて止血処置を施してあった。
シュリネは、自ら左腕を切断したのだ。
魔刀術――《刃身》。自らの肉体を刃のように魔力で補強する手刀による一撃。
もっとも、刀を扱うシュリネにとっては一時しのぎの技に過ぎない。
重要なのは、突き刺した左腕の方だ。
流れる血液が糸のように伸びて、ディグロスの背中へと繋がっていく。
何かくる――シュリネの技の危険性を予期してか、ディグロスは背中に腕を伸ばして左腕を抜こうとするが、
「遅い。呪法――《犠身爆体》」
瞬間、ディグロスの身体の内部で大きな爆発が起こった。




