73.ただ一つの事実を胸に
シュリネが王宮外に出るのは一週間ぶりか。
ルーテシアが残留を決めてから、ずっと王宮内での生活が続いていた。
もちろん、生活は王宮というだけあっていいものであったが――どこか息苦しい部分もあった。
シュリネは人が多い場所での生活には、あまり慣れていない。
ルーテシアの屋敷では現状、人を雇っていないために気付かなかったが、必要以上に環境による疲労があったのだ。
それを見越していたとすれば、息抜きに病院へと向かったのは、シュリネにとっていい機会だったと言える。
寄り道などするつもりはなかったが、シュリネは少しの自由な時間を満喫して――病院へと辿り着いた。
本来、王都の大病院では診察までに時間がかかってしまうこともあるが、オルキスは事情も把握しているために、シュリネが来た時には優先的に診察してもらうことになっている。
ただ、シュリネが最初に訪れたのは――中庭であった。
ちょうどいいタイミングだったらしく、そこには一人の少女がベンチに腰を掛けている姿があった。
「久しぶり。今日はちゃんと一人で来られたんだね」
「! その声は……シュリネ? ちゃんと、来てくれたんだ!」
憂いを帯びた表情だった少女――クーリはシュリネの声を聞いた途端に、パァと明るい表情を見せる。
シュリネは特に許可を取らずに、彼女が座る隣へと腰掛けた。
「まだ入院してるんだね」
「うん、退院の目途は立ってなくて……シュリネは、今日も付き添い?」
「いや、わたしの怪我を見てもらいに来た」
「! 怪我って……大丈夫なの?」
「あなたに心配されるほどじゃないよ」
「そっか、そうだよね……」
シュリネの怪我も決して軽いものではなかったが、クーリは長い間入院しているようだし、彼女の方がよっぽど状況としてはよくないだろう。
それでも、すぐにシュリネの心配をする辺りは、お人好しといったところか。
「名誉の負傷って言えば聞こえがいいかな。護衛の仕事も大変なんだよ」
「仕事で怪我したんだ……。でも、怪我をしてでもきちんと仕事を全うしてるのは、かっこいいと思う」
「ありがと、褒められるのは嫌いじゃないよ」
「ふふっ、お礼を言うのはあたしの方。もう来てくれないかと思ってた」
おそらくそれは、クーリの本心なのだろう。
元々、病院で少し会話しただけの間柄――シュリネ自身、怪我がなければ見舞いに来るかどうかも分からなかった。
友人関係というには、あまりに薄いのかもしれない。
「まあ、怪我がなければ来なかったかもね」
シュリネは本心を隠すことなく、はっきりと告げる。すると、クーリは少しおかしそうに笑った。
「なに?」
「ううん、正直に言ってくれる方が、嬉しいの。上っ面だけで言われるより、よっぽどね。あたしのお姉――姉さんも、すっかり顔を出してくれなくなっちゃったから」
クーリが姉の愚痴をこぼす。
前にも仕事でほとんど来られなくなっていた、と言っていたが、やはり人恋しいのだろうか。
「そう言えば、お姉さんはどんな仕事してるの? わたしと似たような仕事って言ってたよね」
「姉は偉い人の傍に仕えて、メイドさんのお仕事をしてるの。幼い頃からずっと仕えているんだって。あたしのために、稼いでくれているから」
「へえ、そうなん――」
シュリネはそこまで聞いて、ハッとした表情を浮かべる。
――クーリはどこかで、会ったこともある雰囲気をしていた。
思えば、『彼女』はほとんど表情を表に出さないために、雰囲気だけでは分からなかったのかもしれない。
あるいは、少し歳が離れているからか。
だが、よく見ればどこか似ている。
「? どうかした?」
「あなたのお姉さんの名前、聞いてもいい?」
「いいけど……姉さんの名前は――」
「ここにいたのですね、クーリさん」
名前を口にしようとした瞬間、遮るように姿を現したのはオルキスだった。
びくり、とわずかにクーリは身体を震わせて、
「オルキス先生……」
「ダメじゃないですか。あまり長い時間、病室を抜けては」
「す、すぐに戻るから」
オルキスの言葉に従って、クーリはすぐに立ち上がろうとする。
その時、バランスを崩して、シュリネがその身体を支えた。
「――おっと、気を付けなよ」
「ご、ごめん。せっかく来てくれたけど……その」
「いいよ。わたしも、この先生には用があったから」
「シュリネさん、ここに来たということは――手術を受ける気になったんですね?」
「! 手術……?」
クーリが少し驚いた声を漏らすが、シュリネはそのままオルキスの言葉に答える。
「いや、診てもらった方がいいって言われたから、来たけど……戻ることにしたよ。先生、忙しそうだしね」
「あら、そうなのですか。診察の時間はこれから作れますけれど」
「先生はその時間を作って、クーリを病室に戻してあげて」
シュリネはオルキスにクーリを預けると、すぐにその場を後にする。
振り返ることはなく、ただ一つの事実を胸に――問題は彼女がどうして、オルキスの前ではっきりと答えるのを伏せたのだが、一つの解決の糸口を見つけられそうだった。
「――わたしが王宮を出た辺りから、ずっとついてきてるでしょ、ハイン」
「……さすが、気配を察知する能力には長けていますね」
人通りの少ない場所で声を掛けると、ハインが姿を現した。
「一応、何しに来たのか聞いておこうか」
「もちろん、あなたを始末しに来ました。お相手、願えますか?」
ピンッと何かが張る音が耳に届き、シュリネがすぐに動き出す。
瞬間、周囲にあったあらゆる物が斬り刻まれた。




