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71.可能性

 夜――王宮の大浴場にて。

 シュリネは非常に不満そうな表情を浮かべていた。


「ほら、シュリネ。早くここに座って」


 ルーテシアは自身の前に椅子を置くと、そう言って先ほどから促している。


「いや、子供じゃないんだから……」

「怪我人じゃない。私が怪我した時だって色々手伝ってもらったんだから、今回は私の番よ。左腕にはなるべく負担をかけない方がいいって言われているでしょう?」

「……」


 シュリネはしばしの沈黙の後、ようやくルーテシアの前に座った。

 フレアを共に守ると決めた以上、しばらくは彼女と共に行動をすることになる。

 そこで、ルーテシアは王宮に滞在することを決めた。

 シュリネも従う形で王宮にいることになったのだが、ルーテシアが何かと世話を焼こうとしてくるのだ。

 元より、一緒に彼女の屋敷で生活を始めてからだが、彼女にはそのきらいがあった。

 シュリネが重傷を負ったことで、より加速したとも言うべきか。

 一緒にお風呂に入る提案も最初は拒否していたが、


「私にできること、限られているじゃない。だから、怪我をしている時のお世話くらいは……ね?」


 ――こうまで言われてしまっては、シュリネも折れるしかなかった。

 ルーテシアがシュリネの少し濡れた髪に触れる。


「前々から思っていたけれど、貴女の髪って綺麗よね。艶があって……何か特別に手入れとかしているの?」

「別に。私はそういうの、気を遣わないけど」

「まあ、そうよね。でも、服は結構こだわっているんじゃない?」


 王国ではあまりシュリネの着ているような東の国の服は流通していない――というより、取り扱っていないというのが正しい。

 わざわざ依頼して作ってもらっている状況だった。


「慣れてるから、動きやすいって感じかな。何でも感覚っていうのは大事――ひゃ!」


 シュリネは不意に、女の子らしい声を出して勢いよく立ち上がった。

 それを見て一番驚いたのはルーテシアで、呆気に取られた様子で彼女を見る。


「……」

「……」


 シュリネは少し頬を赤く染めて、何事もなかったかのように再び椅子に座る。

 しばらくして、ルーテシアがようやく口を開いた。


「えっと、背中を流そうと思って……」

「わたし、背中は弱いから気を付けて」

「そ、そう。ごめんなさい」

「……ったく、だから嫌だったのに」


 思わぬところで知ったシュリネの弱点――ルーテシアの中で少し悪戯心も出てくるが、さすがに彼女が怪我人だ。

 一度小さく深呼吸をして、気を遣いながら背中を流す。

 シュリネの身体は、ルーテシアよりも小柄だ。

 彼女は「子供じゃない」と否定するが、同年代と比較しても随分と幼く見えてしまう。

 けれど、改めて肌に残る多くの傷跡を見れば、彼女がやはり普通というには程遠い人生を送ってきたことがよく分かる。

 一通り洗い終えると、二人で並んで湯に浸かる。

 広い大浴場で今は二人きり――シュリネは目を瞑って小さく息を吐いた。


「ハインのことだけど」


 落ち着いたところで、シュリネはようやく彼女のことを口にした。

 シュリネの怪我、フレアの説得などもあって、改めて話す機会がなかった。

 けれど、これは決して外せない問題なのだ。

 ルーテシアも、その名前を聞いて少しだけ緊張した様子を見せる。

 ちらりと、シュリネはその姿を横目で見てから、天井の方へと視線を逸らした。


「……ハインは、戻ってくるつもりはない、でしょうね」


 ルーテシアは呟くような、小さな声で言う。

 ――姿を消した後、ルーテシアはまだ怪我の治っていない身体でもハインの情報を集めていた。

 この広い王都だ。簡単に見つかるとも思えなかったし、そもそも王都にいるかどうかも分からない。

 そんな中、ようやく姿を見せたかと思えば――よりにもよって、フレアの暗殺を企てる者達と共にいる。


「――いえ、そもそも、許してはいけないのだと私は思うわ」


 ルーテシアは自らの言葉を否定する。

 どんな理由があれ、王族を狙った者の味方をしているのだとしたら、ハインは間違いなく罪人だ。


「なら、ハインが次に姿を現した時は、斬っていいってことだよね?」

「っ! それは――」


 ルーテシアは勢いよく立ち上がった。

 シュリネと視線が合い、彼女の意図をそれとなく理解したのだろう。


「……私は、ハインを斬ってほしいなんて望んでない」

「わたしも形式的な答えは聞いてないから」

「……でも、ハインは私のこと……殺すつもりだった、のよね?」


 ゆっくりと項垂れるように、ルーテシアは湯舟の中へと座り込む。

 ――ショックだったに決まっている。

 ルーテシアはハインのことを大事に思っていたし、信じていたからだ。なのに、フレアを狙うだけでなく、ルーテシアにまで敵対したのだから。


「そのことだけど、わたしと同じかもしれないね」

「……あなたと、同じ?」

「さっき、わたしが王女様にやったことだよ。殺気を乗せて攻撃するくらい、ある程度腕の立つ人ならできるからさ。たとえ――本当に殺す気がなかったとしても、ね」

「!」


 シュリネの言葉に、ルーテシアも何かに気付いたように顔を上げる。


「それって……わざと敵対している、ってこと?」

「そもそもハインは理由があって離れたんだろうけど、ルーテシアを助けるために奔走したんだから。敵になるなら、初めから助ける必要はなかったわけだし。ルーテシアは守りたい――けれど、傍にはいられない。だから、わたしが護衛の役目を果たしているか、確認したかったのかもしれない。ま、これもあくまで可能性の話だけどね」

「可能性……そうね。可能性でも、縋りたくなるわ。シュリネの言うことも、言われてみれば筋が通っている気がするし」

「ディグロスって奴とも協力関係なのか、よく分からなかったしね。わざわざ止めておきながら、王女様に忠告してたし……。わたしのことを知ってたから、ハインが情報を流した可能性もあるけど、それなら名前の前に見た目の情報で気付きそうだからね」


 シュリネほど、この辺りで分かりやすい服装をしている者もいないだろう。

 ましてや、五大貴族であるルーテシアの護衛なのだ――シュリネと出会って撤退するのであれば、初めから攻め込んでくることもないだろう。

 ディグロスに関しては謎も多いが、一先ずハインのことだ。


「ハインの事情さえ分かれば、解決の糸口は見つかるかもしれない。何か知ってることはない?」

「知ってることって言われても……子供の頃には、ずっと私の傍にいてくれたから。変に何かを隠しているとか、そういうのは……」

「何でもいいよ。たとえば家族のこととか」

「家族……ハインは独り身で、ハイレンヴェルクの家が雇う形で――あ」


 ルーテシアが不意に、思い出したように声を漏らした。


「何か思い出した?」

「一回だけ、家族の話をした時……本当は妹がいる――そんな風に、言っていたことがあるわ」

「妹?」

「でも、すぐに冗談って否定してたのよ。あの時は特に気にしなかったけれど、今思うと……嘘を吐いているような感じはしなくて。『今はあなたが妹のようなものです』ってはぐらかされてしまったわ」

「うーん、どれも可能性の域は出ないね。その妹がいたとしても、手がかりは一切ないし。ハインがもう一度、姿を見せてくれたら何か掴めるかもしれないけど」


 問題は――いつ姿を見せるか分からないことだ。

 もうシュリネ達の前には現れないかもしれないし、次に出てきた時には、フレアを狙う暗殺者として敵対している可能性だって高い。

 シュリネも、こういった問題を解決できるほど――知略に長けているわけではなかった。

 頭を悩ませていると、不意にルーテシアがシュリネの髪をそっと撫でる。


「ん、どうしたのさ」

「ありがとう。ハインのこと、一緒に考えてくれて」

「別に。これも仕事の一つみたいなもんだよ」

「ふふっ、仕事、ね。私も、いざという時の覚悟だけは、決めておかないといけないわよね」


 ルーテシアはそう言うと、一度目を瞑ってから――真剣な眼差しをシュリネへと向けた。


「もしも、ハインが本当に敵だったのだとしたら……その時は、あの子を――っ!」


 だが、ルーテシアの口元にピタリと指を当て、シュリネはその言葉を遮った。


「責任を負いすぎだよ。確かに可能性は低いかもしれないけれど、ルーテシアは最後までハインを信じるべきだから。信じてもらうのってさ――結構、嬉しいんだよ?」


 くすりとシュリネは笑って言う。

 自身がそうであったように――きっと、ハインも同じだ。

 事情があって敵に与しているのならば、ルーテシアだけでもハインを信じるべきなのだ。

 それでもなお、ハインがルーテシアを裏切っているのだとすれば、あくまで斬るのはシュリネの判断で、仕事だ。

 ルーテシアが必要以上に責を負う必要などない。


「……ありがとう」

「お礼も言いすぎ。律儀だなぁ、ルーテシアは」

「な、何よ。感謝の言葉くらい、素直に受け取りなさい」

「あはは、そういう感じの方がルーテシアらしいよ」

「……もうっ」


 互いに笑みを浮かべて、夜は更けていく。

 何一つ問題は解決できていないし、その糸口だって見つかってはいない――けれど、少女達は、もう後ろ向きな考えをすることはない。

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