70.私の手で
――王都から少し離れたところにある廃教会。
かつては少なからず人が訪れていたこの場所も、魔物の増加などの影響もあり、今は人が訪れることはない。
古びた机が椅子の様に見えるのは、あまりに大柄な男が腰を掛けているからだろう。
「どういうつもりだい、ディグロス」
相対する男――キリクは穏やかな口調ながら、やや不機嫌そうな表情で言った。
ディグロスは特に慌てる様子もなく、ちらりと近くの椅子に腰かける少女に視線を向け、すぐに視線をキリクへと戻す。
「レイエルが連絡をしただろう」
「ええ、回答もディグロスには伝えたわ」
少女――レイエルは自身の指先を眺めながら、つまらなそうな仕草を見せる。
キリクと相対しても余裕の態度でいられる彼女もまた、普通ではない。
「君の介入は拒否する、そう答えたはずだが」
「だからこそ、勝手にやらせてもらうことにした。拒否されることは想定済みなのでな」
「それが困るから、拒否をしているんだ。王宮への襲撃など、どこまで粗末で乱暴な真似をするんだ。君のせいで、王宮には厳戒態勢が敷かれることになるだろう」
「ならば、今すぐにでも攻め入ったらどうだ? まだ混乱しているこの状況なら――王女を暗殺するのも容易いだろう。お前とて、それが目的にあるからこそ、部下を潜ませていたんじゃないか?」
「君のせいで、僕の部下が姿を晒す羽目になったそうだね」
キリクのすぐ後ろには、システィとハインが控えている。
先ほど、ディグロスの動きを止めたのはハインだが――その姿を改めて確認して、息を呑んだ。
ただ大柄なだけではなく、その強さは本物だ。殺気に晒されているわけでもないのに、息が詰まる。
彼が先ほどの戦いのことでハインを責め立て、殺そうとすれば、間違いなく助からないだろう。
だが、ディグロスも特に怒っているというわけではなさそうだった。
「お前も中々、いい部下を持っている。俺は今日、フレア・リンヴルムを殺すつもりだった――だが、邪魔をされた。結果的にはよかったがな」
「よかった? 何も成せずに人の仕事を邪魔をしただけじゃないか」
「そう言うな。俺はしばらく、干渉しないことにした。面白い奴に会ったんでな」
「面白い奴?」
「俺の話はどうだっていい。レイエルを駒として貸してやる。それならば、文句はないだろう? 王宮にいる雑兵程度なら、一人で相手取れる戦力だ」
レイエルの姿は、まだ若い少女にしか見えない。
けれど、彼女もまた――ディグロスに近しい力を持っている、人外の存在だ。
確かに、キリクにとってみれば、レイエルを一時的に貸し出すというのであれば、今回の勝手な行動を取ってみても、悪くはない提案であった。
「はあ、私に尻拭いさせるのね? せっかく別の国に来たのだから、少しは観光でもしたいわ」
「指示があるまでは好きにすればいいさ。どうだ、キリク? 俺の提案を受け入れるのであれば、あとはお前の好きにすればいい」
「『提案を受け入れる』だと? さっきから、随分と舐めた口を利くな、ディグロス」
瞬間、廃教会全体が揺れた。否、本当に揺れたわけではなく、あくまで感覚の話だ。
キリクの殺気が、それほどまでに凄まじかったのだ。
「『魔究同盟』は協力体制にあっても、仲間というわけではない。君は僕の仕事場に土足に踏み入って、それを荒らしたんだ。僕には僕のやり方というものがある」
「ならば、どうする? 俺と戦うか?」
ディグロスもそれに応え、立ち上がる。一触即発――椅子に座っていたレイエルも立ち上がり、
「ちょ、ちょっと! こんなところで面倒ごとは起こさないでよ。巻き込まれて死にたくないわ」
慌てた様子で止める。
キリクとディグロス――この二人が争いを始めれば、間違いなく高い戦力であるはずのレイエルも、無事では済まないということだ。
どちらかが動いた瞬間に、始まる。
控えていたシスティとハインも構えを取るが、制止したのはキリクだった。
「――君がこれ以上、動くつもりがないのであれば、言うことはないよ。レイエルを戦力として貸してくれるのなら、王宮がどれだけ警戒していても、支障はないだろう。僕のプランにも変更はない」
「提案を受け入れる、ということか。レイエル、あとはキリクに従え」
「もう、いつも勝手なんだから……。分かったわよ」
「システィ、ハイン。話は終わった、戻ろうか」
「はっ」
争いは起こらず、控えていたハインも思わず胸を撫で下ろした。
あるいは、この場において死ぬ可能性は十分にあった――いつだって、自分は死地にいる。
後戻りのできない道を、進み続けていることを分からされる。
「面白い奴……と言っていたな」
廃教会を出た後に、キリクが小さな声で呟いた。
「システィ、何か心当たりはあるかい?」
「ディグロスと相対した者であれば、フレア・リンヴルムの護衛であるエリス・フォレットと、ルーテシア・ハイレンヴェルクの護衛であるシュリネ・ハザクラのいずれかだと考えられますが」
「そのどちらか、ということか」
「おそらく、シュリネの方かと」
キリクの疑問に答えたのは、ハインだった。
「君は彼女と短い期間とはいえ、行動を共にしていたね。今回も、王女の件でシュリネが障害になるとしたら――」
「いえ、そうはなりません」
「ほう、何か案があるのかい?」
「シュリネ・ハザクラは――私が始末します。計画までに、必ず」
ピタリと足を止め、キリクはハインを見据えた。
少し驚いた表情だったが、すぐに嬉しそうに笑みを浮かべ、
「そうかい、君からそんな提案が出るなんて……喜ばしいことだ」
「できるのですか、あなたに」
「シュリネ・ハザクラは、はっきり言えば重傷を負っています。今だからこそ、私の手で殺すことができるでしょう。今日、はっきりと理解しました――彼女は、間違いなく今後の計画の邪魔になります」
システィの言葉にも、はっきりと言って見せる。
ハインの表情には迷いがなく、嘘偽りがないのだと、キリクにすら納得させるものがあった。
「いいだろう、シュリネの件は君に任せよう」
「はい、ありがとうございます。必ずや、信頼に応えて見せます」
ハインは頭を下げると、その場から姿を消した。
フレアの暗殺決行まで日は迫り――シュリネもまた、命を狙われることになる。
よりにもよって、ルーテシアにとって家族同然でもあるハインに、だ。




