69.生きて、必ず
「……よく分かったな、私がいると」
エリスは部屋に入ると、シュリネに向かって言う。
人の気配くらい、エリスにだって分かるだろう。それに、
「気配を殺すのは得意じゃないでしょ、あなたみたいなタイプは」
「……ああ。その――」
「今はわたしの話じゃない」
ぴしゃり、とエリスの言葉を遮る。
おそらく、エリスが口にしようとしたのは謝罪の言葉だ。
だが、シュリネはそんなことを言わせるために、わざわざ彼女を部屋に招いたわけではない。
ややあって、エリスはフレアの前に立つ。
「フレア様――」
「謹慎するように、そう命じたはずです」
フレアもまた、強い言葉を持ってエリスを拒絶した。
先ほどまでは弱気な表情を見せていたのだが、エリスの前では改めて表情を作っている。
だが、やはり強がっているのは丸分かりだ。
「はい、確かにそう命令を受けました」
「でしたら、すぐにここを立ち去りなさい。わたくしの命令が聞けないのですか?」
「今は……今だけは――聞くことはできません」
「っ、何を……」
「フレア様をお守りすること、それが私の存在意義です。フレア様の命を狙う不届き者をこの手で討つまでは……あなたの傍を離れることはできません」
「わたくしも、一度出した宣言を簡単に覆すつもりはありません。すなわち、これはあなたの命令違反です――それを理解した上で、言っているのですね?」
「はい、如何なる罰でも受ける所存です。ただし、全てが解決してから、です」
エリスは引く様子を一切見せず、フレアもまた頑なだ。
ルーテシアは黙って行く末を見守ることしかできず、フレアが折れる形になるかどうか――というところで、シュリネは不意に腰に下げた刀を鞘ごと抜いて、フレアに対して振りかぶった。
すぐに反応したのはエリスで、片腕でそれを止める。
「ちょ、シュリネ……!?」
「貴様……!」
「今のに反応できるなら十分――王女様、騎士様はあなたを守れるよ」
「!」
シュリネの言葉に、その場にいた全員が驚きの表情を浮かべる。
シュリネはすぐに刀を下げると、
「どっちもさ、くだらない意地張ってないで本音で話しなよ。待たされるのは好きじゃない」
シュリネの行動を受けて、しばしの静寂に包まれる。
やがて、口を開いたのはエリスだ。
「私は――シュリネに嫉妬をしていました。いや、今もしていると言えます。彼女は強く、その力を存分に振るえている。私は……あなたのために強くなったはずなのに、その役目を果たせないでいます」
「……わたくしは、どれだけ貴女に助けられてきたことか。貴女がいてくれたから、わたくしは兄上に立場を脅かされたとしても、毅然としていられたのです。だからどうか、そんな風には考えないで」
フレアはエリスの傍により、彼女を強く抱き締める。
「わたくしは……弱いです。本当は、怖くて仕方なくて――でも、王女だから。こんな情けない姿、見せるわけには……」
「私が……守ります。この命に代えても、必ず」
「お願いだから、そんなことは言わないで」
「フレア様……?」
フレアの頬に涙が伝い、エリスは少し動揺した様子で彼女を見る。
「貴女に……死んでほしいなんて思わない。無駄な犠牲など、あってはならないのです。ですから、わたくしを守ってください。生きて、必ず」
「――はい、エリス・フォレットの名に誓って」
エリスがその場に膝を突いて、誓いの言葉を述べる。
ようやく、フレアとエリスの心が一致した。
シュリネが小さく溜め息を吐くと、すぐ近くから鋭い視線を向けられていることに気付く。
「どうしたのさ?」
「……丸く収まったからいいけれど、刀をフレアに向かって振るうなんて二度としないでよ」
「それは悪かったって。でも、鞘から抜いてないでしょ?」
「全く……」
「ルーテシア、それからシュリネさん」
フレアから声を掛けられ、そちらに視線を向ける。
エリスはすでに決意に満ちた表情を固めており、フレアもまた、落ち着いた様子を見せていた。
「お二人にも感謝を。わたくしは……恵まれていますね」
「何を言っているのよ。親友が困っていたら、助けるのが当たり前でしょ」
「ふふっ、そう、ですね。ですが、お二人まで危険な目に――」
「そんなことはもう分かっているわ。だから、ここに来て必要ないなんて、言わないでよね?」
「……はい、お二人の気持ちは理解しました。改めて――こんなわたくしですが、宜しくお願い致します」
フレアは深々と頭を下げる。
ルーテシアはすぐに彼女の傍に寄って、
「私になんか頭を下げなくていいわ」
「そういうわけには……」
「王女様に頭を下げられるのは悪い気分じゃないけどね」
「こら、シュリネ!」
「はいはい……わたしも別に、感謝されるようなことはしてないしね」
「――シュリネ・ハザクラ」
エリスがシュリネの名を呼ぶと、目の前に立った。
先ほどとは違い、いつもの雰囲気には戻っている。
「なに、また小言?」
「いや、私の不手際で貴様には怪我を負わせた。すまなかった」
「謝罪はいいって言ったでしょ。この怪我はわたしの責任」
「私の責任でもある。その上で、こんな願いを口にする私を笑ってくれても構わない。共に――フレア様を守ってほしい」
それは真剣な表情で、心の底からの願いであった。
きっと、今でもエリスはシュリネのことを快くは思っていないだろう。
複雑な気持ちの中で、それでも守りたい者のために頭を下げる――そういう人間を、シュリネは嫌いにはならない。
「笑わないし、いいよ。わたしはあくまで、ルーテシアの護衛だけどね」
ルーテシアがフレアの傍を離れないのであれば、共に守ることになる。
ようやく、向かうべき道が決まりつつあった。だが、
「……あの男――ディグロスと言いましたか。シュリネさんは『斬る』と仰られていましたが、現実問題、勝つ方法はあるのですか?」
フレアの疑問はもっともだろう。
いくらシュリネとエリスが協力しても――相手は化け物のような、規格外の強さを持っている。
相対したエリスもそれはよく分かっているし、シュリネも身に染みたはずだ。
その上で――シュリネは余裕の笑みを浮かべて答える。
「ある。その辺りは――まあ、わたしに任せてよ。左腕の借りも、返さないといけないからね」
あれほどの敵を前にして、消えぬ傷を与えられても折れないシュリネの言葉は――その場にいる者達に、安心感をもたらすものであった。




