68.無駄な犠牲
シュリネはルーテシアと共にフレアの下へと向かった。
先ほどの件以来、自室からほとんど姿を見せていないという彼女だったが、ルーテシアが訪れると、すんなりと部屋へ通してくれた。
「シュリネさん、怪我の方は……?」
「わたしの心配より自分の心配しなよ。顔、ひどいよ」
「ちょっと、シュリネ……!」
シュリネの物怖じしない言葉に、ルーテシアが注意を促す。
実際、フレアの様子はひどいものであった。
表情を何とか作ろうとしているようだが、無理をしているのは丸分かりだ。
突然、あのような化け物とも言える存在に命を狙われれば、無理のない話かもしれないが。
本来ならば、シュリネの言葉に最も怒るであろう女性の姿が――ここにはない。
「騎士様はどうしたの?」
「……エリスのことですか? 一先ず、試合の件もありましたので、謹慎処分としました」
「謹慎? そんなことさせてる場合なの?」
「これは必要なことです。シュリネさん、貴女にはご迷惑をお掛けしました」
フレアは深々と頭を下げる。
そんな謝罪をシュリネは必要としていない。
「別に謝ってもらうために来たわけじゃない。すぐにでも騎士様を呼び戻しなよ」
「わたくしは……この国の次代の王です。簡単に決定を覆すことなどできません」
「強がっている場合じゃないでしょう! フレア、貴女の身に危険が迫っているのよ!?」
声を荒げたのはルーテシアだった。本気で心配しているからこそ、少し怒っているようにも見える。
だが、フレアは自嘲気味に笑みを浮かべ、
「ルーテシアは……すごいですね」
そんな言葉を口にした。
「すごいって、何がよ」
「貴女はずっと、こんな経験をしていたのでしょう……? 誰かから命を狙われる――わたくしにはエリスがいて、第一王女という立場があって、だからこそ……自分は安全だなんて、心の底では思っていたのかもしれません。今だって、時間が経っても震えが止まりません」
「誰だって怖いに決まっているわ。私だって、ずっと不安だったんだから」
すぐに、ルーテシアがフレアの手を強く握る。
彼女の気持ちがよく分かるのだろう――シュリネがいなければ、ルーテシアも今頃どうなっていたか分からない。
魔導列車の時に殺されていたか、あるいはそこを切り抜けても、『人斬り』によって斬り殺されていたか。
生き延びたとして、待っている未来は、アーヴァントに服従するほかなかったのだ。
けれど、今は違う。
「だから、今のうちにできることをしないと」
「……できること?」
「敵の狙いは王女様だって分かってる。幸い、ルーテシアの時と違ってこっちには戦力があるんだから、監視の強化や護衛の選定――やできることはたくさんあるでしょ」
ルーテシアには味方がいなかった。
実質的にはシュリネ一人で刺客を退けたと言ってもいい。
それに比べ、フレアを守るのは王宮にいる騎士だけではなく、全ての騎士が味方になるはずだ。
だが、フレアは首を横に振り、ルーテシアからそっと手を離す。
「わたくしには、護衛は必要ありません」
「!? 何を言っているの!? そんなこと――」
「先ほどの戦いで、一名が戦死しました。もう一名も治療中ですが……難しいと言われています。シュリネさんだって、大きな怪我を負ったはずです」
「……だから?」
シュリネが問いかけると、フレアはすぐには答えなかった。
しばしの静寂の後、ゆっくりと口を開く。
「……わたくしが王に相応しくないと思う者もきっと、少なくはないのでしょう。あれほど強大な敵を相手取るのに、無意味な犠牲を出すことはできません」
敵――ディグロスの強さは、シュリネだってよく分かっている。
戦う前から、あの男の異質さは嫌というほど理解できた。
あるいは、シュリネだからこそ理解できてしまった、というべきなのかもしれない。
まともに戦って勝つ手段があるかどうか、シュリネも判断がつかないほどだ。
つまり、フレアはいくら護衛をつけたところで無駄、と言っているのだろう。
「護衛もつけずに、どうするのよ」
「ハインさんが、助言をくださいましたね。王位を諦めれば、助かる道もあるのでしょう」
「! 脅しに屈する、っていうこと?」
「……いいえ」
ルーテシアの言葉を、フレアは強く否定した。
「今、わたくしがこうしていられるのは、貴女方のおかげです。その立場を簡単に捨てるなど、するはずもありません」
「だったら――」
「けれど、あれほどの敵がもう一度襲撃してくることがあれば、今度こそわたくしは助からないでしょう。そうであれば、できる限り犠牲は少ない方が、いいに決まっています」
「なら、あなたは何もしないの?」
「それも違います。わたくしを狙う者達については……ルーテシアの一件である程度の目星はついていますから。何とか、生き残る道をそこから探ってみようと思います」
――すなわち、フレアは自らに護衛をつけることなく、言葉での解決の道を選ぼうとしているのだ。
すでに暗殺者が送られた状況で、それはあまりにバカげている。
「そんな悠長なこと言っている場合じゃないでしょう! 命を狙う相手に話し合いなんてできるはずがないじゃないっ!」
「なら、勝てない相手だと分かっていて――わたくしのために死ぬ人間を、選べと言うのですか?」
先ほどまではやや無機質とも言えたフレアの言葉に、徐々に感情はこもってくる。
「あんな……理不尽な殺され方をして、その現場を見た騎士達だって、すっかり怯えています……! エリスだって、シュリネさんがいなければ、命を落としていたでしょう! わたくしのために、これ以上無駄な犠牲を出すことはできません」
フレアを守ること――それはすなわち、ディグロスと相対することだ。
もはや相手に触れることなく、殺害できる力を持つ者と。
身体が大きいだけではなく、その怪力や再生能力まであることを考えれば、そこらの騎士では相手にならないことは目に見えている。
だからといって、護衛をつけないというのは別の問題だ。
「王宮にいる騎士は何のためにいるのさ。戦って死ぬのは無駄なことじゃない」
「わたくしだって、分かっています。ですが、今回ばかりは別です! 戦いにすらなっていない……あんなの、人がどうやったって勝てる相手じゃ――」
「わたしが斬る。ルーテシアはあなたを守ることを選んだから」
「! 何を、言って……」
「私が頼んだのよ。フレアを一緒に守ってほしいって」
「そんなこと、認めるわけにはいきません。ルーテシアまで危険な目に遭う必要はもう、ありません。シュリネさんの怪我だって、安静にしないでどうするのですか」
フレアの言っていることは正しい。
ルーテシアが傍にいれば命を落とす可能性だってあるし、シュリネの怪我だって軽いものではない。けれど、
「全部踏まえた上で、言っているのよ。貴女は、私を助けるために力を貸してくれた。私だって、親友のためならそれくらいするわよ」
「あの時とは、状況が違います」
「何も違わないよ。クロードは――確かに強かった。それを斬ったのはわたしだよ? あのディグロスとかいう男も化け物みたいなもんだけど、人間であることには違いないんだから。斬れないわけじゃない」
「……っ」
フレアは言葉を詰まらせた。
シュリネとルーテシアは、すでに覚悟を決めている。
後はフレア自身の問題だが、それでも彼女は首を縦に振ろうとしはしなかった。
「やはり、認めることはできません。わたくしのために、貴女方を犠牲にするようなことは、決して」
「フレア……っ」
「頑固なところはルーテシアにそっくりだね」
呆れたように、シュリネは溜め息を吐く。
二人で説得してもダメなら――もう一人、協力を得る必要がある。
「騎士様も、そろそろ入ってきたら?」
「……え?」
シュリネの言葉に驚いたのはフレアだ。
ゆっくりと扉が開かれると、姿を現したのは――エリスであった。