65.次に会う時
大男との間合いを計り、シュリネは距離を詰めた。
動きはそれほど早くないが、先ほどの攻撃――当たらずとも、致命傷になり得るのは分かっている。
まずは一撃。滑るように移動しながら、足へと刀を振るう。
太腿の辺りから大きく出血するが、大男は怯む様子もなく、シュリネへと大きな拳を繰り出した。
地面を蹴って、必要以上に大きく回避する。
通常、魔力であれば多少なりとも感じられるはずだが――あまり強くは感じられない。
クロードのように大量の魔力を纏っているわけでもなく、普通の刀でも戦うことはできそうだ。
――それなのに、背筋が凍るような感覚が常にある。
まだ一撃しか当てていないというのに、額からは汗が流れた。
あるいは、『痛み』によるものか。
「ふっ」
小さく息を吐きだして、シュリネは止まることなく動き回る。
再び距離を詰めて一撃を繰り出そうとするが、大男が動くのを見て、すぐに後方へと下がった。
「随分と慎重だな。素早い動きは小動物のようだ」
「それって褒めてるの?」
「評価はしている。だが、先ほども言った通りだ――お前はあまりに小さい」
「あなたに比べたら――って、さっきもこのやり取りしたでしょ。身体の話じゃないんだよね」
「俺が言っているのは魔力の話だ。フレア・リンヴルムの持つ魔力も相当に少ないが、お前も同等か……あるいはそれ以下か? 小さく脆い存在だ」
「魔力の量が絶対ってことはないでしょ。あなたの攻撃はわたしに当たってないけど、わたしの攻撃はあなたに当たってる。繰り返せば――」
そこまで言って、シュリネの表情は険しくなった。
先ほど斬ったはずの足からの出血が、すでに止まっている。
見れば、エリスが一撃を与えたはずの腕も、だ。
魔法で止めているだけか――そうも考えたが、動きが一切鈍らないところを見ると、おそらくは再生している。
(……もしそうだとしたら、今の戦い方じゃ勝てないね)
大男はあまりに大柄で、確実に仕留めるなら深く斬り込まなければならない。
しかし、相手の間合いに入るのもリスクが大きい。
ただでさえ、防御手段に乏しいシュリネは基本的に回避に徹するほかない。
だが、いくら相手の動きが遅いとはいえ――踏み込みすぎれば、手痛い反撃を食らうのは目に見えている。
そして、一撃でも受ければ命を落とす可能性があるのだ。
次にどう動くか、シュリネが考えを巡らせていると、背後でエリスが動く気配を感じた。
シュリネは視線を逸らすことなく、言い放つ。
「王女様のところに行きなよ。本来、護衛をするのはあなたの役目なんだから」
「……貴様に、助けられるとは。何故、私を――いや、今は問うべきではない、か」
先ほどとは違い、エリスも冷静になっている。
彼女は、下がることなくシュリネの横に立とうとする。
「邪魔だよ、今のあなたは」
それを制止したのは、シュリネだ。
はっきりと口にしたことで、エリスはその場で動きを止める。
――シュリネが助けに入らなければ、彼女は間違いなく死んでいた。
今、もう一度加勢してもらったところで、同じ状況になった時に助けられるか分からない。
一対一であれば、そのリスクは避けられる。
現状、エリスにこの場を任せることはできないと、シュリネは判断していた。
そして、エリスもまた理解できているのだろう――反論することなく、彼女はフレアの下へと向かう。
「いいのか? あれでも戦力にはなるだろう」
「一対一の方がやりやすいよ。即席の連携ができるほど仲良くないし」
「そうか。では――今度はこちらから行くぞ」
「!」
大男が、動き出す。
一歩地面を踏みしめるだけで小さな揺れが発生した。
やはり、動きは速くない。
なるべく距離を取るために、シュリネは大男の背後へと回る。
「――見誤ったな」
大男の言葉に、シュリネは己の失態に気が付いた。
大男は、シュリネの方を一切振り返ることなく、真っすぐフレアの方へと向かっている。
――当たり前だ、狙いはフレアなのだから。わざわざ、逃げ回るシュリネを相手取る必要などない。
「この……っ」
以前にルーテシアを庇った時とは、状況が違う。
シュリネでは、この男を止める手立てがない。フレアの傍にはエリスともう一人――ルーテシアがいる。
エリスは二人を抱えて逃げることはできないだろう。他にも数名騎士がフレアとルーテシアを守ろうとするが、足止めにすらならないことは明白だ。
すぐに、駆け出してルーテシアの下へと向かう。
だが、距離が遠い――先に着くのは、大男の方だろう。
エリスが剣を構えるが、おそらく彼女も動きを止めることはできないはずだ。
シュリネは判断を迫られる。
一か八か、距離を詰めて大男の首を刎ね飛ばすことだ。
確実に落とすには、刀で直接斬るしかない――それはすなわち、跳躍して近づくことだ。
もし、大男が振り返って一撃を繰り出したら、空中では回避する術はない。
脳裏に過ぎるのは、先ほどの騎士への一撃。
(……そんなこと、考えてる場合じゃない!)
迷いは確実に動きを鈍らせる。シュリネは勢いよく地面を蹴ろうとして――全く違う方角から、短刀が飛翔してくるのが見えた。
シュリネは思わず動きを止めて、それを弾く。
ここに来て、敵の伏兵が姿を見せたのだ。
人影は二人。一人はシュリネに向かって短刀を投げた人物。もう一人は、大男の前に姿を現すと、身体から伸びる細い糸のような物を伸ばし、それを大男の身体へと巻き付けた。
周囲の建物に糸が伸びて、あちこちに投擲された短剣にも糸が括りつけられている。
瞬間――会場のあちこちで破壊音が鳴り響いた。
大男に巻き付いた糸が強く引っ張られ、そのまま周囲を破壊したのだ。
それだけ見れば、やはりあの男の力は人のそれを超えている――だが、フレア達の下へと辿り着く前に、大男の動きは止まった。
「……何の真似だ、俺の邪魔をするとは」
大男が口を開く。
シュリネに攻撃してきた以上は、味方ではないはず。
大男の動きを止めた人物は、フードを目深に被ったままで、その顔を表情は確認できない。だが、
「それはこちらの台詞です。誰の許可を得て、王女の命を狙っているんですか?」
「――え?」
声を聞いて、誰より驚いた様子を見せたのはルーテシアだった。
それを無視して、大男は会話を続ける。
「お前達の許可などいらん。俺がそう判断した」
「それではこちらが困るんです。どうか、ここは退いてくださいませんか?」
「俺に指図するのか? 聞いてやる義理はない」
大男は再び動き出そうとする。
しかし、まだ身体には細い糸が巻き付いており、動きはさらに鈍くなっていた。
あちこちから出血しており、足止めには十分な効果がある。
その隙を見て、シュリネは大男の前に回った。
「あなたの相手はわたしだけど――なんか、状況がいまいち掴めないね。味方同士じゃないの?」
「そんなことを確認している暇があったら、斬りかかってくればいいだろうに。何故、俺の隙を突かなかった?」
「隙って言うほどの隙はないでしょ。まあ、仮に斬れたとしても、フェアじゃないしね」
「フェアだと? ふ――ははははははははははっ!」
大男が笑うと、大気が震えた。ひとしきり大きな声で笑った後、
「お前、名前は何という?」
不意に、そう尋ねてきた。
「シュリネ・ハザクラだけど」
「なに、ハザクラだと? そうか――お前がシュリネか。ふはは、なかなか面白い巡り合わせだ」
「……? わたしを知ってるの?」
思わぬ反応で、シュリネは怪訝そうな表情で大男を睨む。
ぶちぶちと音を立てながら、身体に巻き付いた糸を引きちぎると、大男はシュリネに対して背を向けた。
「気が変わった。ここは素直に退くとしよう」
「! あなたみたいな危険な相手、逃がすと思う?」
「やめておけ。その腕では、どうあれ全力は出せまい?」
シュリネは指摘されて、思わず左腕を隠すような仕草を見せた。
先ほどの戦いから――ずっと左腕は使っていない。否、使えなくなっていたのだ。
「俺の名はディグロス。シュリネ、次に会う時を楽しみにしている。その時は……全力で戦ってやろう」
そう言い残して、大男――ディグロスはその場を去って行った。
シュリネに短剣を投げた人物も、気付けば姿はなく、残ったのはディグロスの動きを止めた一人の女性。
シュリネが問いかける前に、ルーテシアが口を開いた。
「これは、どういうことなの――ハインっ」
シュリネも気付いていた。
ルーテシアは、声ですぐに分かったのだろう。姿を消していた彼女が、こんな形で姿を現したのだ。




