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64.バカな方

 ――突如として降り立った異様な存在に、会場内は一度静まり返った。

 フレアを狙った敵であることには違いないが、この場において襲撃に気付けたのは、シュリネたった一人だ。

 あるいは、エリスが冷静であったのなら――シュリネと同じように対処できたのかもしれないが。

 その身体は大柄であったクロードをゆうに超えており、丸太のように太い腕は地面を軽々と砕いていた。

 あの一撃が直撃していたらどうなっていたか――想像に難しくはないだろう。

 パラパラと、拳に張り付いた小石を振り払いながら、大男はゆっくりとした動きでシュリネと向かい合った。

 黒を基調とした布のような物を全身に巻き、大きなローブで身体を覆い隠している。

 それでも隠し切れないほどの肉体だが、顔についてはマスクで完全に覆い隠されているため、確認できない。


「ふむ……随分と小さいな」


 大男はポツリと、シュリネを見て呟くように言った。


「あなたからすれば、大体の人は小さいでしょ」

「サイズの問題で言えばその通り。だが、俺の言う小さいとは――」

「し、侵入者だ! フレア様をお守りしろ!」


 そこでようやく、一人の騎士が声を上げた。

 呼応するように、数名の騎士が観客席から飛び出すようにして、大男の下へと向かって行く。


「やれやれ……」


 小さく嘆息すると、大男は向かってくる騎士に対してゆっくりと拳を振るった。

 それはまだ触れるか触れないか、という距離であったが――パンッと大きな破裂音を響かせたかと思えば、騎士は身体のあちこちから出血し、その場に倒れ伏す。


「ひ……っ」


 すぐ近くでその血を浴びた騎士は、腰を抜かしてしまっていた。


「お前も邪魔だな」


 そのまま、腰を抜かした騎士にも大男は手を伸ばし――風の刃の直撃を受けて、大きく出血した。

 放ったのはエリスであり、大男はちらりと顔を彼女へと向ける。


「悪くない一撃だ。普通の奴なら、腕の一つは飛んでいただろうが」

「なに……?」


 大男の動きは止まらない。

 出血したままの腕で、腰を抜かした騎士をつまみ上げたかと思えば、観客席の方へと放り投げた。

 決して小さいわけではない人間一人が、軽々と数メートル近くの距離を飛んでいく。


「あ、貴方は一体……何者なのですか……!」


 そこで、ようやくフレアが口を開いた。

 シュリネが支えてはいるが、身体は震えており、立ち上がることも難しそうだ。

 目の前で起きた光景も踏まえれば――自分が間違いなく死んでいた、という事実がそこにあるのだから、当然と言えば当然かもしれない。


「お前の質問に答えずとも、見れば分かるだろう。フレア・リンヴルム――第一王女であるお前を殺すためにやってきた……すなわち、暗殺者といったところか」

「あ、暗殺……!?」

「さすがに目立ちすぎでしょ、その図体でさ」


 シュリネは呆れたように大男に言い放つ。

 大男はポリポリと、仮面の上部分を指で掻く仕草を見せ、


「だが事実だ。フレア・リンヴルムを殺す以外に俺の目的はない。邪魔をしなければ、これ以上の犠牲は出ることもないというわけだ」


 そう、言い放った。

 先ほどの騎士に対しての攻撃は見せしめ、といったところか。

 実際、多くの騎士が怯んでその場から動けずにいた。

 この試合を観戦に来ていた騎士の多くが、まだ若く経験の浅い者であることも理由にあるだろう。

 怯んでいないのはシュリネと、


「……フレア様の命を狙っているなどと、私の前でよく言えたものだ」


 怒りに満ちた口調で剣を構える、エリスだけだ。

 彼女はちらりとシュリネに視線を向けると、小さな声で言う。


「フレア様を頼む」


 返答を待たずに、大男に向かって風の刃を放った。

 シュリネはそれに合わせ、フレアの身体を抱えてその場から退避する。

 向かったのはルーテシアの下だ。


「フレア、大丈夫――」


 ルーテシアが恐怖で満足に動けない状態のフレアに声を掛けようとするが、シュリネはすぐに彼女の手を取ってその場を離れようとする。


「ちょ、シュリネ……!? 何をしているのよ!?」

「何って、ルーテシアの安全確保」

「安全確保って……私だけ連れて逃げるって言うの!?」


 言葉を受けて、シュリネは動きを止めた。

 振り返ったシュリネの表情はいつになく真剣で、ルーテシアはその顔を見て怯む。

 小さく息を吐き出して、


「私の役目はあなたを守ること。王女様の護衛じゃない」


 シュリネははっきりと宣言した。


「そうかもしれないけれど、フレアは動ける状態じゃないわ!」

「騎士様が足止めをしてるから。まずはルーテシアの安全が第一だよ」

「だ、だからって……!」


 ルーテシアの手を握ったまま、シュリネは再び歩き出そうとする。

 彼女が抵抗していることはすぐに分かり、無理やり連れて行こうかと悩んだ時だった。


「あ、貴女らしくないじゃない! どうして、『逃げる』っていう言葉を否定しないのよ!」

「否定はしないよ。今はそうだから」

「今はって……そんなの――まさか、貴女がそうせざるを得ないほどの、相手ってこと……?」


 シュリネは再び動きを止め、今度はきちんとルーテシアと向き合った。


「うん、『あれ』は普通じゃない。わたしは戦う前から負けることは考えないけど、それはあくまで『人のレベル』での話だから」


 シュリネの言葉に、ルーテシアは息を呑んだ。

 ――どれほどの強敵が相手だろうと、決して怯むことなく、逃げるなどという言葉を口にしない彼女が、ルーテシアを無理やりにでも連れて逃げようとする相手だ。

 実際、目の前で起きた光景は、ルーテシアだって見ている――シュリネの言葉が事実であることは、よく分かっていた。


「狙われてるのが王女様なら、まずはあなたの安全を確保することが先決だから」


 シュリネの言うことは間違ってはいない。

 契約に従えばその通りで、シュリネにとって守るべき存在は、あくまでルーテシアだけだ。だが、ルーテシアはシュリネの手を強く握り締め、その場から動こうとはしない。


「……ルーテシア?」

「分かっているわよ。貴女の言うことは、きっと護衛としては正しいのかもしれない。でも、フレアは私の親友、なの」


 その表情は悲痛で――そして、懇願するものでもあった。


「置いては行けない。行けないけれど……貴女の判断も間違っては、いないのも分かる」

「はっきり言いなよ。言いたいことはさ」

「……貴女が勝てないかもしれない相手との、戦いを強制するようなことは……」


 その瞬間、ルーテシアが何を迷っているのか、シュリネにも理解できた。

 親友のフレアと護衛のシュリネ――二人を天秤にかけ、その答えが出せずにいるのだ。

 気付いた時、シュリネは思わず笑ってしまっていた。


「な……この状況で何で笑うのよ!」

「ルーテシアはバカだね」

「! バカって……」


 シュリネは彼女の手を放す。


「何度も言うけどさ、わたしは貴女の護衛だよ? 戦わないなら、護衛の意味なんてないじゃん」

「それは……」


 言い淀むルーテシアだが、先ほどの彼女の言葉を思い出す。

 ――仕事以外ではあまり無理をしてほしくはない……って言うのは我儘かしら?

 シュリネに無理をしてほしくない、と言いたいのだろう。


「ルーテシア、これは仕事だよ。貴女が望むのなら、わたしはその役目を果たすだけ」

「シュリネ……」


 ルーテシアの護衛ではあるが、確かにあの男は脅威だ。

 彼女を狙わないとも限らないのだから、ここで決着をつけるのも選択肢に入るだろう。

 ルーテシアが口を開こうとした瞬間、


「エリスっ!」


 大きな声で叫んだのは、フレアだ。

 見れば、エリスの剣は大男の身体を貫いている――が、大男の動きが止まる様子はない。


「バカな、確実に身体を貫いているはず……! それに、貴様の腕は確実に……」

「中々の強さだが、クロードほどではないようだな。お前はもう死んでいい」


 巨大な腕が、エリスに向かって振るわれた。

 ――直撃すれば確実に死ぬ。

 おそらく、頭部が千切れて吹き飛ぶだろう。

 この瞬間、エリスが見ているのは走馬灯――間違いなく、命を落とす瞬間だった。

 だが、誰よりも素早い動きで距離を詰め、シュリネはエリスの頭部を掴むと、当たるか当たらないかという、ギリギリのところで下げさせた。


「……っ、本当、危なかったね」

「……!」


 エリスは驚きの表情でシュリネを見る。

 だが、ここで話し込んでいる暇はない。

 大男を前にして、シュリネは腰に下げた刀を抜き放つ。


「今度はわたしが相手だよ」

「ほう、そうか。お前は賢明だと思っていたがな」


 先ほどの撤退の判断をしたことを言っているのだろう。

 皮肉交じりだが、シュリネは笑って見せる。


「わたしは結構、バカな方なんだよね」


 言うと同時に、シュリネは動き出す。

 ――豪快な暗殺者と、人斬り少女の戦いが始まった。

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