63.嫉妬
――戦いを楽しむなどという感情を抱いたことはない。
エリス・フォレットにとって、剣を握って戦うことは、すなわち主君のために他ならない。
生まれも育ちも騎士の家柄で、いずれは王家に仕えることが定められていたエリスには、シュリネの言葉は予想もしていないことであった。
文字通り、血を吐くような努力を続け、同世代の友人など一人もいない。
ただ、フレア・リンヴルムという少女を守るために、それだけでエリスはここまで強くなったのだ。
「……私が楽しそうに見える、だと?」
シュリネの言葉を受けて、自問自答するように繰り返す。
激しい戦いが続いていた最中――突如として動きを止めた二人に、会場内は徐々にどよめき始める。
「何があったんだ?」
「あれだろう、達人同士の間合いの……」
「エリス様に至っては構えてすらいないけれど……」
そんな声もエリスには届いていない。
シュリネすら、構えを解いて小さく嘆息する。
「どうしたの? わたしの言ったこと、何か間違ってる?」
シュリネの問いかけに反応して、エリスがゆっくりと顔を上げる。
先ほどまでは視線を自ら握る剣に向けていて――目の前に立つ少女、シュリネを真っすぐ見据えた。
――シュリネのことは嫌いだ。
それは間違いなく、単純に気に入らないだとか、気に食わないという話ではない。
彼女のおかげでフレアが王になれることには違いないのだが、不遜な態度は目に余る。
注意を決して聞くこともないが――その奔放さは、
(羨ましいと、思っていたのか……私は)
何かに気付いた素振りを見せると、途端にエリスの表情が険しくなる。
その様子を見て、シュリネも怪訝そうな表情を浮かべた。
「……? 大丈夫?」
「――私であるべきだった」
「は?」
エリスの言葉に、シュリネが目を丸くする。
こんなこと、言うべきではない――分かっているのに、エリスは言葉を続ける。
「フレア様のために戦うのは、私であるべきだったのだ。それを、貴様のような――戦いを楽しむだと? どこまで、私を……!」
剣の柄を強く握りしめ、エリスは駆け出す。
「愚弄する気なのだ、貴様はッ!」
「――っ!」
瞬間、シュリネは目を見開いて、大きく回避行動に徹した。
先ほどまでとは違い、エリスが剣に纏わせる魔力は何倍にも増えて、威力もその分増している。
剣先が地面に触れると轟音が響き渡り、風が周囲へと吹き渡る。
観客席にまで届くほどで、およそエリスがこの場において放っていいレベルのものではない。
「エリスっ!」
声を上げたのはフレアだった。
彼女のところまでは、エリスの風の影響も少ないだろう――一瞥するが、すぐにシュリネの方に視線を向ける。
「今の、当たってたら確実に死んでたよ」
「……だろうな。だが、貴様には当たらないだろう」
「そんなこと言ってさ。さっきから当てるつもり満々だし――まあ、わたし的には楽しいからいいんだけどさ」
「また、『楽しい』か……。私は貴様との戦いに楽しみなど微塵も感じない。ただただ不快で、一刻も早くこの場を去りたいくらいだ。貴様を斬り伏せて、な」
――明確な殺意を向けるなど、許されるはずはない。
だが、エリスはシュリネに対して感情を抑えきれなくなっていた。
どこの国とも知らない少女が、ルーテシアの護衛として雇われて――結果的に、この国を救った。
そのことに関しては、エリスだって感謝している。
けれど、フレアを救うべきは自分だったのだ。
それなのに、シュリネを信じて全てを託し、エリスは結局待つことしかできなかった。
その剣でシュリネと戦い、今更楽しむことなどできるはずもない。
――分かっている、これは嫉妬だ。
エリスは今、フレアが望まない形で剣を振るっている。
「いいね、わたしはそれくらいの気概があった方が好きだよ。あなたはわたしのこと、嫌いだろうけど」
「ああ、そうしてまたへらへらと笑っている顔を見るだけで苛立つ」
包み隠さない本音を吐き出す。
シュリネはなおも本当に楽しそうで、おおよそエリスには理解できない感情だ。
(こんなふざけた奴を……認めるわけにはいかない)
エリスが構えると、それに呼応するようにシュリネも構えた。
先ほどとはまた違い、今度こそエリスはシュリネを本気で斬る――それほどの覚悟を決めて動き出そうとした時だ。
「エリスっ、貴女は何をしているのですかっ!」
エリスは思わず、声のした方に視線を向ける。
肩で息をするようにしながら、フレアは会場の方まで降りてきていた。
フレアのいた場所からエリスの近くに来るには、一度中を通ってそれなりの距離を移動しなければならない。
「フレア様……、ここは危険です」
「分かっています。けれど、今の貴方は冷静ではありません。わたくしは、殺し合いをさせるために貴女の試合を許可したのではないのですよ……!?」
フレアから見ても、エリスがシュリネを斬ろうとしていることが分かったのだ――否、彼女だからこそ、分かったのかもしれない。
本来であれば、エリスはここでフレアに膝を突き、許しを請うべきだ。
だが、そうはしない。
毅然とした態度で、フレアに対して答える。
「……私はフレア様が望むように、この国で最も強い騎士であることを証明しようとしているに過ぎません。ですから、お下がりを」
「……っ、エリス、貴女は……」
言葉では簡単に引き下がらないだろう。
だが、フレアが傍にいたままではさすがに、試合は続けられない。
どうするべきかエリスが判断に迷った一瞬、動いたのはシュリネだった。
エリスの横を素早い動きで駆け抜け、フレアの下へと距離を詰める。
「……え?」
「貴様、何を――」
エリスが言葉を言い終える前に、シュリネはフレアの身体を抱え上げ、すぐに後方へと下がった。
そして――彼女のいた場所に、『何者』かが降り立つ。
ズドンッ、と大きな爆発音と共に地震のような揺れを起こし、会場を大きく割った。
呆気に取られる人々の前に姿を現したのは、
「なるほど、いい反応だ。確実に仕留めたと思ったのだがな」
おおよそ人とは思えぬほどの――巨躯の男であった。




