60.何の感情も
ネルヘッタとボリヴィエがいなくなった後、
「手間をかけさせたね。システィ」
キリクがそう声を掛けると、一人の女性が姿を現した。
つい先ほど、ネルヘッタの首元へ刃を当てたのは彼女――システィであり、かつてはアーヴァント・リンヴルムに仕えていたこともある。
もっとも、アーヴァントに従うように指示したのはキリクであるが。
「この程度のこと、私にとっては造作もないことです。しかし、仮に彼らが拒絶した場合にはどうするおつもりでしたか?」
「いや、彼らは十中八九、僕の提案に乗るだろうと考えていたよ。現状、彼らの立場は王国内でもかなり厳しいところにある――むしろ、キッカケが欲しかったはずだ。次代の王として選ばれたフレア・リンヴルムを排除し、自分達が生き残る術を。後は、僕にそれだけの力があることを示せばいいだけさ」
「なるほど。それでしたら、お役に立てたことは光栄です」
「ああ、君達にはいつも助けられているね。ハイン――君も偵察、ご苦労だね」
キリクがそう言うと、部屋の中に入ってきたのはハイン・クレルダだ。
彼女もまた、キリクの指示によってルーテシア・ハイレンヴェルクの元にメイドとして仕えていた。
今はメイド服ではなく、ローブやフードによってその姿が見られないように隠し、表情もまるで人形のようで、
「……はい。ご命令通り、王宮の内情を調査して参りました」
「それで?」
「フレア・リンヴルムは自身が次期王であることを公表するつもりのようです。実際に公表するのは一月後――その前に何度か発表のための予行があるようです」
「一月後か。演出するなら、その時に暗殺するのが最も劇的で綺麗か」
「……」
キリクの言葉を受けても、ハインは特に反応を示すことはない。
無言のままの彼女に、キリクは問いかける。
「まだ報告していないことがあるだろう?」
「いえ、報告は以上――」
「ハイン、僕に対する隠し事は意味がない。あるいは、報告する価値はないと考えているのかな? 判断するのは僕だよ」
わずかにハインの表情が揺らいだ。
彼女は優秀で――感情をほとんど完全に殺して、今のように話すことができる。
それでも、キリクはまるで心を読んでいるかのように、ハインがあえて報告していないことがあると分かっていた。
「キリク様には全て報告しなさい、ハイン。それとも、まだくだらないことを考えているのですか?」
システィが咎めるように、鋭い視線をハインに送る。
それは殺気に近いものがあり、ハインの返答次第では容赦なく始末する――そんな気すら感じさせるものだ。
それを、キリクは左手を軽く上げるだけで制止する。
「システィ、話しているのは僕だ」
「! し、失礼致しました」
システィはすぐにその場に膝を突き、顔を伏せた。
キリクは改めて、ハインへと問いかける。
「さて、話の続きをしよう。もう一つ報告すべきことは何かな?」
「……一週間後、模擬試合が行われるようです」
「模擬試合? 誰と誰の試合かな?」
「一人はフレア・リンヴルムの護衛であり、近衛の騎士であるエリス・ウィンティア。もう一人は――ルーテシア・ハイレンヴェルクの雇われの護衛である、シュリネ・ハザクラです」
「! ほう、それは中々面白いカードだ。クロード・ディリアス亡き後――王国最強の騎士と言えば、エリスだろう。かたや、クロードを打ち倒した流浪の剣士……せっかくそんな面白い余興があるというのに隠さないでくれよ」
「それは――」
「ああ、心配ない。僕は別にルーテシアに対しては、何の感情も抱いていないよ。あの状況からむしろ、よく生き残ることができた……そう褒め称えるべきだろう。まあ、それを可能にしたのも、シュリネという少女のおかげだろうか」
キリクは確かにルーテシアに対しては、言葉の通り計画を邪魔された――などと、怒りや恨みの感情を持つようなことはしていない。
ただし、もう一人の少女、シュリネに関しては興味があった。
「年齢は十五、六くらいだったか。クロードが負けるとは、僕も全く予想はしていなかったからね。東の国というと、『彼女』の出身でもあったか。それほどの手練れの話は聞いたこともないが――おっと、話が逸れてしまったね。その試合に関しては……そうだね。システィとハインの二人で監視程度に済ませてくれて構わないよ。エリスとシュリネの二人の実力を改めて確認するちょうどいい機会だからね」
「承知致しました。ハイン、監視ポイントについてはすでに押さえてありますね? 後ほど共有をしてください」
「……はい、承知しました」
キリクとしては、そこで仕掛けるつもりも予定もない。
あくまでも敵勢力の要であろう二人の実力を確認しておく、というだけだ。
何せ――フレアを始末するために、その二人と戦うことになる可能性が高いのは、システィとハインなのだから。