57.人影
「では、また一週間後――改めて王宮内にある稽古場にて」
シュリネとエリスの試合の日取りについては、主にフレアによって決められた。
シュリネとしては今からでもよかったのだが、せっかくならより多くの騎士や貴族達にも見てもらいたい、ということになり、呼び掛ける期間が設けられたのだ。
フレアが言っていたように、エリスを王国を代表する騎士として、その名を広めたい狙いもある。
「なんだか大事になってきたわね……」
帰路に着く途中、不意にルーテシアが小さな声で呟くように言った。
「そう? ただの試合なんだから、気楽でいいんじゃない?」
「貴女ね……エリスさんはフレアの護衛として長い間仕えているのよ。その実力は、あのクロードに次ぐと言われているわ」
「ルーテシアはあの人が戦ってるところ、見たことないの?」
「以前に、王都で開かれた剣術大会で見たわよ。正直、そこらの騎士じゃ相手にならないレベルね」
「ふぅん、なら楽しみだね」
シュリネは本心からそう思っている。
ルーテシアには護衛として雇われているが、最近ではその役割を果たす機会はなく――もっぱら、ルーテシアの屋敷がある町の近くの魔物を狩るような仕事が増えてきていた。
それはそれで、ルーテシアだけでなく町人からも感謝されており、そこそこ名も知れてきているのだが、シュリネとしてはもっと強い相手と刃を交える機会がほしかった。
無論、試合の形式である以上は真剣ではない可能性も高いが、構わない。
「いざって時にちゃんとルーテシアを守れるように、身体はしっかり慣らしておかないとさ」
「そんなこと言って……やっぱり貴女、何か企んでいるんでしょう」
ジト目でルーテシアがシュリネを見てくる。
企んでいることはないが――試合を申し込んだのはシュリネであり、エリスからの顔を合わせるたびに受ける『小言』に嫌気が差した結果なのは、当然隠すつもりだ。
「さっきも言ったけど、何もないって。王女様だって快く受け入れてくれたし」
「まあ……それは私も意外だったというか――でも、そうね。必要なことなのだと思うわ。エリスさんは確かに実力者ではあるけれど、それを知っているのは一部の人だけだもの」
「剣術大会に出たことあるなら、有名になるんじゃない?」
「一時的に、よ。私が見たことあるのはその時だけだし、エリスさんって元々、そういう大会にもほとんど顔を出したことがなかったから。実際に見た人達はエリスさんが強いことを知っているけれど、噂で広まった程度なら、持続しないものよ」
「そういうもんか」
ルーテシアの言っていることは正しいのだろう。
消極的とも言えるエリスを、フレアが後押しする形になっているわけだ。
「わたしも剣術大会とか開かれたら、出てみたいね」
「貴女は服装からしても、目立ちそうね……。でも、剣術大会って言っても、貴女くらい実力のある人はそれこそほとんど出ないわよ? すごく大きい催しってわけでもないから」
「騎士様だって出たことあるなら、運が良ければ『当たり』を引けるかもしれないからね」
「当たりって……強い相手のことをそういう呼び方するの、ちょっと理解できないわ……」
呆れたように溜め息を吐くルーテシア。
剣術大会にも多少興味はあるが、今は目先の試合だ。
「でも、騎士様の宣伝を狙ってるならさ、わたしとの試合を許可するって、王女様も割と強気だよね。わたしが圧勝したらどうするんだろ」
「貴女の方が断然、強気じゃない。……まあ、フレアとしても、先を見据えているのかもしれないわね」
「先? そう言えば、さっき王女様となんか話してたよね」
「ああ、言ってなかったわね。フレアは次代の王のなる『宣言』を近々するそうよ。五大貴族も集まる必要があるからって。その日は王宮の広間を開放して、多くの人々が出入りすることになるわ。その段取りを決めたり、予行練習をしたいから付き合ってほしいって」
「ルーテシアも大変そうだね」
「私なんかより、フレアの方がよっぽど大変よ。……国民からの評価はもちろん低いわけではないし、むしろフレアになってほしいと望む人も少なくはないわ。けれど、あのクズ野郎――アーヴァントも、表向きには王国をより強く、発展させようとしていたのも事実なの」
「今、クズ野郎って言ったよね?」
「そ、そこは聞き流しなさい!」
慌てた様子でルーテシアが言い、シュリネはくすりと笑う。
ルーテシアのこういうところが、シュリネは好きなのだ。
「と、とにかく……フレアもやるべきことをしようと頑張っているのよ」
「なら、わたしは騎士様に負けた方がいいのかな?」
「それはダメよ。わざと負けるなんて相手に失礼じゃない」
ピシャリ、とルーテシアがシュリネの言葉を否定する。冗談のつもりではあったが、フレアのことを応援しつつも試合なら正々堂々とすべき――そういう考えなのだろう。
「もちろん、負ける気なんてないから応援してよ」
「それはどうかしら」
「えー、わたしは『ルーテシアの』護衛なんだからさ」
「なんで強調して言うのよ……」
「だってさ――」
そこで、シュリネはピタリと足を止めた。
「シュリネ?」
いきなり動きを止めたシュリネを見て、ルーテシアは不思議そうな表情を浮かべている。
シュリネが視線の先に捉えたのは人影。本来なら、人が立つことができないような外壁の上で、身を潜めるようにこちらの様子を窺っていた。
シュリネは即座に判断し、腰に下げた刀に手を伸ばすが――人影はそれを見て、姿を消した。
さすがに距離があり、怪しい人物がいるからといって、追いかけることはしない。
「どうしたのよ?」
「ん、わたしはルーテシアの護衛だってだけ」
「何よ、さっきと言っていることが同じじゃない」
はぐらかしたのは、殺気の類やルーテシアを狙った様子もなかったからだ。
それに、言いたいことは変わらない。
シュリネはルーテシアを守るためにいる――それだけだ。