48.心を殺す
――あれから、一週間が経過した。
未だに王都内では、情勢を心配する声が多い。
代理とはいえ、第一王子と第一王女による決闘が行われたのだから、無理はないだろう。
だが、その結果は大きかった。
フレア・リンヴルムを次代の王に選定する――それが、五大貴族の出した総意であった。
ルーテシアがアーヴァントの放った刺客によって襲われていた事実。裏から手を回して行っていた悪事も徐々に明らかになり、彼を支持していた層からも見限られた形だ。
「もちろん、わたくしをただ支持するわけではなく、兄上の支持に意味がなくなった、という者も多いでしょう」
「一筋縄ではいかないわよね」
フレアで療養していたルーテシアは、彼女と対面で話をしていた。
まだ身体は完全に癒えておらず、歩くには杖を使う。
けれど、食事はできているし、後遺症も残りそうにない。
彼女とよく話すのは、今後のことだ。
クロードが死んだ事実もまた、王国の弱体化を招くことになる。
たった一人の騎士がいなくなっただけ――そう思う者もいるだろうが、クロードは間違いなくこの国の最高戦力であったのだ。
「やるべきことはたくさんあります。わたくしは……女王として、これからは頑張らないといけませんね」
「私も協力するわよ」
「ルーテシアには――もう十分過ぎるほど助けてもらいましたけれどね。貴女がいなければ、こうはならなかったのですから」
「私は……何もしてないわ。少なくとも、アーヴァント――あんな奴が王になるのは絶対に間違っている、そう思っただけ。もちろん、貴女を支持するのは私の意思だけど。私だって、生きていられるのはシュリネのおかげだし」
憂いを帯びた表情で、ここにはいない彼女のことを口にする。
大怪我を負っても、ルーテシアを助けてくれた。シュリネは間違いなく、命の恩人なのだ。
「そう言えば、シュリネさんの姿がありませんね。つい先日までは寝たきりでしたのに……」
「私よりも怪我はひどいはずなのに、歩き回るのよ。どれだけタフなんだか……怒っても聞かないし」
シュリネは二日ほど目を覚まさなかった。
ルーテシアの治癒術のおかげでかろうじて生き延びた彼女は、三日目に目を覚ますと、四日目には屋敷内を歩くようになっていた。
ルーテシアですら、杖をつかないと歩けないというのに、シュリネは治っていない身体でも元気だった。
「鍛え方が違うからね」
――そう言われてしまっては、それまでなのだが。
「今はどこにいるか、分からないのですか?」
「たぶん近くにはいると思うけれど……戻ったら言っておくわ。まだ休んでないと、って」
「貴女も、そろそろ休んだ方がいいかもしれませんね」
「ええ、でも、もう少しだけ。シュリネが帰ってくるの、ここで待つわ」
「でしたら、わたくしもお付き合い致します」
二人はそれから、他愛のない話を始めた。
ほんのつい数日前までは考えられないような平穏が、そこにはあったのだ。
***
「くそ……どうしてこの俺が……!」
誰もいない部屋で、アーヴァントは一人、悪態をつき続けていた。
まだ第一王子という立場にあるが、彼の行ってきた悪事はすでに知られ、表を歩くことさえ満足にできない。
もう、王になることも叶わないのだ。
「これも全部、あの女のせいだ……!」
アーヴァントが怒りの矛先を向けたのは、ルーテシアだった。
潔く自分の妻になっていれば。大人しくしたがってさえいれば。あいつが、あんな護衛を連れていなければ――
「あああああ! 許さん……ルーテシア……! お前だけは絶対に……殺してやる。生かしておいてやろうなどと、もう甘い考えはしないッ」
怒りに満ちた表情で、アーヴァントは決意する。
確かに権力の多くを失ったが、まだ道はある。
何もこの国にこだわる必要などないのだ――持っている情報を生かせば、ルーテシアを狙うくらいはできる。財産だって、隠していたものがあるのだから。
「――やっぱり、あなたは本当のクズだね」
「……誰だ!?」
窓が開き、姿を現したのはシュリネだった。
怪我は治っていないために、身体のあちこちに包帯を巻いているが、特に気にする様子もなく部屋の中に入っていく。
アーヴァントは青ざめた表情で、シュリネを見た。
「な……こ、ここは王宮の上層だぞ!? 一体どうやって……」
「外から来たに決まってるじゃん」
「え、衛兵はどうした!?」
「わたしはあなたの『最強』を斬ったんだよ? そこらの騎士なんて相手じゃないって」
アーヴァントは怯えた様子を見せながら下がる。
すると、手に当たったのは剣だった――すぐに手に取って抜き放つと、
「動くな」
気付けば、喉元に刃先が当てられていた。
「く……っ」
アーヴァントが動きを止めると、シュリネは素早い動きで彼を投げ飛ばす。
体躯の差をものともせず、ふわりとアーヴァントの身体は持ち上がり、壁へと叩きつけられた。
「がはっ」
ずるりと床に滑り落ちると、目の前に刀が突き刺さる。
「ひ……っ、お、俺を殺せば問題になるぞ……!?」
「知ってるよ。仮にもまだ王族だから、殺すわけにもいかないらしいね」
フレアとルーテシアが言っていた。
いくらクズでも、簡単に殺して終わり、というわけにはいかないらしい。
だが、シュリネは別に――アーヴァントを殺すために来たのではない。
「わたしはさ、ルーテシアの護衛なんだ」
「……? 何を――」
次の瞬間、シュリネはアーヴァントの手の指の爪を一枚剥いだ。
「ぎっぁあああ――んぐっ!?」
叫び声をあげようとするアーヴァントの口に布を押し込むと、シュリネは自身の口元に指を当てて、冷ややかな視線を向けて言い放つ。
「護衛のすることは、対象を守ることなんだよ。けどね、あなたは放っておけば――必ずルーテシアを狙う。そんな分かりきったことをさ、放っておくわけにはいかないんだよ。だからね」
ベキリ、と二枚目の爪を剥ぎ取り、アーヴァントが暴れる。
そんな彼の肩の骨を外し、すぐ近くにあった部屋に飾られたオブジェで片足をへし折った。
泣いて喚こうとするが、くぐもった声しか出ないアーヴァントに対し、シュリネは続ける。
「殺せなくても、方法はあるんだ。これから――わたしはあなたの心を殺す。もう二度とルーテシアの命を狙うことがないように。耐える必要はないよ。まずは……ルーテシアが受けた傷と、同じ苦痛は味わってもらわないとね」
すでにアーヴァントの心は折れかけていた。
けれど、まだ始まったばかり――アーヴァント・リンヴルムはこの日以降、表舞台に姿を現すことはなくなった。
何かから逃げるように。そして、怯えたままに――生涯を過ごすのだ。




