47.生きて
「はっ、はっ、は――ふぅ」
静寂の中、シュリネは呼吸を整えた。
ガタンッと音を立てて、アーヴァントが椅子から滑り落ちる。
「バ、バカな……クロード、お前が負けるはず――そうだ! まだ生きているだろう!? その女はもうボロボロだ! 立て! 一撃だけでいい! その女さえ殺せば、全てが俺のモノになるんだ! 死ぬなら、そいつを斬ってから死ね!」
随分と勝手なことばかり口にしている。
シュリネは呆れた表情でアーヴァントを見据えた。
ここで斬ってしまおうか――そう考えたが、倒れたクロードの声が耳に届く。
「……お前の勝ちだ。ルーテシア様は、連れていけ」
「まだ生きてるんだ、やっぱり頑丈だね」
「直に死ぬさ。だが、一言だけ伝えたかったのだ。私は――満足した。最期に、お前のような、強者と戦えたのは」
「わたしも。あなたは強かったよ」
「ふっ、そうか。私の望みも、叶――」
そこで、クロードの言葉は途切れた。
彼がアーヴァントに味方をしたのは、あるいは戦いを望んだからなのかもしれない。もう、その真意を確認することはできないが。
シュリネは倒れたクロードの横を通って、ルーテシアの下へと向かう。
彼女は今にも、泣き出しそうな表情をしていた。
時折、ふらつきながらも、シュリネはルーテシアの前に立つ。
「勝ったよ、約束通り」
「こんな、ボロボロになってまで……私のせいで……ごめん――」
「謝る必要なんてない」
シュリネはルーテシアの言葉を遮ると、彼女に向かって手を差し出す。
「帰ろう」
「……うんっ」
ルーテシアが手を取った。――決闘はシュリネが勝ち、約束通りルーテシアは連れて帰る。だが、
「……ふざけるなよ、認められるか、こんなこと」
アーヴァントは怒りに満ちた声で叫ぶ。
「奴らを殺せ! もう虫の息だ! クロードがいなくても、お前達ならやれるだろう!?」
指示を出したのは、王宮の騎士達に対してだ。
すぐに動き出そうとする者はいない。
当たり前だ――王族同士の決闘で、代理人とはいえ、王国最強の騎士であるはずのクロードが敗れ去った。
約定通り、ルーテシアはフレアに引き渡されることになるはずなのだ。
「身柄はたった今、そいつに引き渡した! なら、後はこちらの自由だ! 俺の言うことが聞けないのか!?」
「……!」
数名の騎士達が、アーヴァントの言葉に反応する。
まだ、かろうじて彼の支配力は残っている――シュリネの方を見た騎士達は、その姿を見て息を呑んだ。
傷だらけで、血に染まった服。いつ倒れてもおかしくない様相なのに、はっきりと向けられる殺意。近づけば殺される――気圧され、誰一人としてシュリネに近寄る者はいなかった。
「……! 役立たずどもが! なら、この俺が直接――」
アーヴァントが剣を取り、シュリネの元へと駆け出そうとする。
その時、大勢の足音が聞こえてきた。
民衆はどよめいて、道を作り始める。
やってきたのは、大勢の騎士を連れたフレアであった。
「フレア……!? 何故、お前がここに……!」
「わたくしは第一王女です。王宮に足を運ぶことに何の疑問がありましょう。それに、約束通り――ルーテシアはわたくしが連れて戻ります」
シュリネの勝利に賭けて、フレアは準備をしていた。
アーヴァントであれば、必ず約定を破ろうとする――民衆を前にして醜態を晒しても、だ。
「連れて帰って何になる。そいつが俺の親衛隊を殺した証拠は俺が――」
「これのことですか?」
フレアが見せたのは、シュリネが騎士を殺した瞬間が映っているはずの魔道具であった。
アーヴァントの顔が、青ざめていく。
「な、何故お前がそれを……!?」
「ある方が届けてくださいました。この魔道具に細工をされた疑いがありますので……しかるべき調査は我々が致します。兄上は、どうかお引き取りを」
「……っ」
今、アーヴァントを守ろうとする者はいない。
その事実に気付くと、間の抜けた声を漏らしながら、アーヴァントは王宮の方へと走って逃げていった。
「ある方って、一体誰が……」
「ハインだよ。ここに来る途中で会った」
「! ハインが……?」
彼女はもう、この戦いに手を貸すことはできないと言った。
けれど、一つだけ――ルーテシアを救える可能性を持ってきてくれたのだ。
「私にはもう、これ以上のことはできません。どうか、お嬢様を救ってください」
頭を下げたハインに、シュリネは一言だけ「分かった」と伝えた。
彼女はこの場に来ていないし、あるいはもう来るつもりもないのかもしれないが――間違いなく、ルーテシアを救う手助けをしてくれたのはハインだ。
「次に会ったらさ、礼の一つでも言っておきなよ」
「ええ、そうね。ハインとは、もっと話したい。それに、貴女とも」
「……わたし?」
「ええ、そうよ。だって――」
その時、シュリネはその場で力なく座り込んだ。
「……!? シュリネ!」
「……ちっ、限界、かな」
出血は止まっていない。
フレアが連れてきた救護隊がすぐに駆けつけてくる。
ルーテシアの身体も限界のはずなのに、彼女はシュリネの傍を離れようとしなかった。
「ルーテシア、貴女も早く治療を……」
「大丈夫だから」
「でも……」
そこまで言って、フレアは押し黙る。
シュリネの状態は――もはや手遅れのように見えた。
魔力のない状態では、流れ出す血を止めることはできない。
魔法による治癒だけでは、追い付かないのだ。
「私がやるわ」
ルーテシアはそう言って、シュリネの頭を膝の上に置いた。
高度な治癒術を扱えるルーテシアなら、確かにシュリネを救える可能性はあるかもしれない。
それでも、絶望的と言えるくらいに、彼女は弱っているが。
ほとんど意識のないシュリネを見て、ルーテシアは泣きそうになりながらも、魔力を集中させる。
「まだ、貴女のこと……何も知らないのよ。だから、お願い――生きて」
――口づけを交わして、身体に直接魔力を注ぐ。
シュリネの意識は、そこで完全に途切れた。




