42.たった一人で
――三日という時間は、あっという間に過ぎていった。
満足な食事も与えられず、気まぐれにやってきたアーヴァントに痛めつけられ、すでに一人では立って歩くこともできないほどに、ルーテシアは衰弱していた。
それでもなお、彼女の心は折れていない。
決してアーヴァントには従わず、彼女の処刑は決まった。
刑の執行は日を待たずに、公布と共に王宮内にある広間が解放され、民衆の前で行られることとなった。
ルーテシアの罪状が読み上げられるが、それが仕組まれたことであると、反論する機会はない。
民衆達に走るのは動揺だ。
ルーテシアがそんなことをするはずがない、でも王子が調べて処刑が決行されるのなら真実ではないか――彼らに真偽を確認する術はなく、何より王国最強の騎士であるクロードが、その場に立っているのだ。
誰も、ルーテシアの処刑に異を唱えることなどできなかった。
(……それで、いいわ)
もはや争いなど望まず、ルーテシアは全てを受け入れた。
これから処刑されることに、何も抵抗はしない。
少し離れたところで席に着くアーヴァントに視線を送る。
優越感に浸るあの男に何もできないことは悔しいが、もうすぐ顔を見ることもなくなるのだ、構わない。
ルーテシアの目の前にあるのは、絞首台だ。王宮の広間に本来はない物なのに、わざわざここまで運んできたのだろう――どこまでも、ルーテシアを追い詰めるために、だ。
騎士に連れられて、ルーテシアは歩かされる。
手足に枷を付けられているが、そもそも逃げることなどできるはずもない。
途中、ルーテシアの前にクロードが立った。
「……何故、貴方のような人が、あの男に味方するの?」
分かっているはずだ、アーヴァントは間違っている――甲冑の下の表情を窺うことはできないが、クロードは即答する。
「王は優しさだけでは務まらん。だが、あえて選ぶのでなら、我々に利がある方を選ぶ――それだけのことだ」
つまり、もう一人の候補――フレアは優しすぎる、と言いたいのだろう。
確かに、ルーテシアはその点については同意する。
けれど、そんな彼女を支えてやればいい、そんな風に考えたのがルーテシアなのだ。
今更、言ったところで覆る状況でもないが。
一段、また一段と階段を歩かされ、辿り着いた先の景色は、皮肉にも晴れた空だった。
これから死ぬというのに、あまりに綺麗な光景に思わず笑ってしまう。
騎士達は手際よく、ルーテシアを配置につかせた。
途中、縄の長さを調整しているのを見て、アーヴァントの醜悪さを理解する。縄を短くすることで、ルーテシアができるだけ長く苦しむようにしようとしているのだ。
本来であれば、落下の衝撃で首の骨が折れるはず。
しかし、今の長さでは、痛みはあれど折れることはない。ギリギリまで苦しめて、殺す――そういう意思が伝わってきた。
(なら、絶対に、耐えてやる)
苦しむ姿なんて、見せてやらない。
ルーテシアは覚悟を決めた。
どうせ死ぬのなら、せめてアーヴァントの喜ばないようにしよう。耐えに耐えて、静かに死んでやる。
それくらいしか、ルーテシアにはできることがなかった。縄を首にかけられて、目隠しをされて――準備は整った。
いつ足元の板が外されるか、ルーテシアには分からない。
――後悔があるとすれば、ハインとシュリネのことだ。
ハインのことを、結局ルーテシアは分かっていなかった。彼女が苦しんでいるというのに、ただ『信じている』などという言葉だけで、縛り付けてしまった。
ルーテシアが死ぬことで自由になれるのなら、どうか彼女は救われてほしい。
シュリネは――果たして生きているのだろうか。最後に見たとき、彼女が受けた傷は浅くなかった。
あの時、ルーテシアが動かなければ、あるいはクロードを打ち倒し、シュリネが勝っていたかもしれない――ルーテシアを守ろうとしたから、彼女は斬られてしまったのだ。
謝って済むことではないが、そんな機会すら与えられることはないのだろう。
(私は……)
彼女のことを、まだ何も知らない。護衛と、依頼人という関係だけで、もっとこれから知りたいと思っていた。
だから、これからも護衛として傍にいてほしい、と提案したばかりなのに。
「……っ」
時間が経てば経つほど、だんだんと恐怖心が勝ってくる。死んだって構わない、そう決意したはずなのに、死にたくないと思わされてしまう。
アーヴァントはそれが分かっていて、あえてすぐに執行しないのだ。
震え始める身体を止めることはできず、助けを求めたくなる。許しを乞いたくなる。心が折れかけたところで、ふわりと身体が浮いた。
「ぁ」
――意外に呆気ないもので、首が締まって苦しくなると思ったのに、そんな感覚はない。
あるいは、苦しんで死んだのかもしれないが、もうそんな事実などない、死後の世界に辿り着いてしまったのだろうか。
暗闇だった視界が開かれると、そこには知った顔があった。
「……シュリネ? あなたも、死んでしまったの?」
「バカ言わないでよ。ちゃんと生きてる」
――生きていた。その事実に、ただ安堵する。
けれど、どうして彼女がここにいるのか、見れば、首の縄は綺麗に切断されて、処刑台の下にいる。
ざわつく民衆と、怒りに満ちた表情で、アーヴァントが叫んでいた。
「何故だ! 何故、そいつがここにいる!?」
――王宮の広場。ここにいるのは、アーヴァントに属する騎士ばかり。それに、最強の騎士までいる。
誰も助けてくれるはずもなかったし、望みもしなかった。
なのに、彼女はここに現れたのだ。
「なんで――」
すでに諦めていたのに――シュリネは、たった一人やってきたのだ。
ルーテシアの枷を繋ぐ鎖を刀で切断すると、シュリネはルーテシアを守るように立つ。身体中、包帯だらけで――今のルーテシアよりもずっと深い傷を負っている。
それなのに、シュリネは自信に満ちた表情で、言い放つ。
「助けに来た」
――大勢の敵を前にして、シュリネの一切の迷いない答えだった。




