41.必ず
――目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。身体中に包帯が巻かれているが、生きている。
シュリネはゆっくりと身体を起こすと、すぐにやるべきこと思い出した。
「……行かないと」
どれくらい時間が経ったのか、分からない。もう、間に合わないのかもしれない。
それでも、シュリネの仕事はまだ終わってはいない。
身体の痛みなど気にすることはなく、ここがどこなのかも興味はない。
すぐ傍にあったシュリネの刀に手を伸ばすと――刃がないことに気付いた。
「――お目覚めになられましたか」
そう言ってやってきたのは、ドレスに身を包んだ少女と、おそらくは護衛と思われる騎士の女性だ。
「あなた、誰?」
「弁えろ。このお方は――」
「エリス、構わないわ」
騎士の女性はエリスと言うらしい。
ドレスの少女が彼女を制止すると、優雅な立ち居振る舞いで、シュリネに挨拶をした。
「わたくしはフレア・リンヴルム――そう言えば、お分かりになりますか?」
「この国の第一王女、だっけ」
ここが、まさにルーテシアを届ける予定の場所。すなわち、フレアの屋敷なのだ。
だが、辿り着けたのはシュリネだけだ。
「橋の上での戦いは、わたくしの近衛兵が確認しておりました。水に落ちた貴女を救い出せたことは、奇跡に近いと言えるでしょう。……兄上はいよいよ、手段を選ぶつもりはないようです。この王になるために」
「そうみたいだね。ルーテシアを殺すか、脅して仲間に加えようって方法を取った時点で、手段は選んでなかったと思うけど」
「貴女の仰る通りです。ルーテシアをすぐに迎えることができればよかったのですが、それも叶いませんでしたね……」
フレアは悲しそうな表情を浮かべて言った。
シュリネは小さく溜め息を吐くと、部屋を出ようとする。
だが、エリスに止められた。
「待て、どこへ行くつもりだ?」
「ルーテシアを助けに行く」
「! 貴様……状況が分かっていないのか? ルーテシア様がいるのは、アーヴァント様のいる王宮だ。囚われの身になったあの方を助け出すことは……もう不可能だ」
「勝手に決めないでよ。わたしはルーテシアの護衛なんだからさ。最後まで役目は果たさないと」
「護衛であるのなら――守れなかった時点で、もうそのお役目は終わりなのでは?」
シュリネに追い打ちをかけるような言葉を、フレアが口にした。
元々、ルーテシアは彼女のために戦う決意をしたというのに、まるで他人行儀の言い方だ。
「なにそれ。あなたもルーテシアを見捨てていいって思ってる?」
「そうは言いません。けれど、貴女一人で行って、何ができますか?」
「邪魔する奴は全員、斬る――わたしにできるのはそれだけだよ」
「それができなかったから、ここにいるのではないですか。貴女の怪我は決して浅くはない――このまま行かせることなど、できるはずもありません」
フレアの言う通りだ。身体は痛むし、下手に動けば傷は開くだろう。
受けた一撃がかろうじて致命傷にならなかったに過ぎない。
だが、シュリネを止めるということは、ルーテシアを助けない、ということと同義だ。
「あなた、ルーテシアの友達じゃないの?」
「……少なくとも、わたくしは彼女を親友だと思っています」
「ならさ、少しくらいは助けようとか、そうは考えないわけ?」
「――わたくしは、王女です。その立場から言うのなら、ルーテシアを助け出すためには、あまりに多くの犠牲が必要になります」
フレアとアーヴァントは敵対関係にある。
今、ここでルーテシアを助けるには直接、王宮に攻め入るしかない。
つまり、それは第一王女による内乱――そう言われて仕方ないのだ。
「ルーテシアの命と、彼女を救うための犠牲……天秤に掛けたら、どっちが上かって話?」
「端的に言えば、そうなります」
「それで、あなたはルーテシアを見捨てるんだ?」
「貴様、いい加減に口を――」
「エリス」
フレアがエリスの名を呼ぶと、シュリネに掴みかかろうとするのを止める。背を向けると、そのまま沈黙した。
「貴女はルーテシアの護衛として、十分に役割を果たしたのでしょう。王都までやってくることができたのですから。せっかく助かった命を捨てるなど、ルーテシアが望まないのでは?」
「説得のつもりなら聞かないよ。別に、手を借りようなんて思ってもいない。わたしは一人で行くからさ」
「……何故、そこまで彼女にこだわるのですか?」
少し、フレアが表情を曇らせた。
いくら言っても聞かないシュリネに呆れているのだろうか。
「わたしは護衛の依頼を受けた。依頼人がまだ生きている可能性があるのなら、わたしはその役目を果たす――それだけだよ」
「命を捨ててまで、することなのですか? 貴女のような、まだ若い女の子が……」
「覚悟もなしに、護衛の仕事なんてやらないよ。それに、命を捨てる気もない。ルーテシアを助け出す、それだけがわたしにできることだから」
「っ、強いお方ですね、貴女は」
フレアの表情はより険しくなり、先ほどまでの様相とは変わってくる。
どこまでもはっきりと、ルーテシアを救おうとする意志を曲げないシュリネに、彼女も思うところがあるのかもしれない。
「……もう一度聞くよ。あなたは、ルーテシアを助けたいと思わないの?」
「――ですか」
「……?」
「助けたいに、決まっているじゃないですか……!」
フレアの王女の仮面が、ようやく剥がれた瞬間だった。
「ルーテシアを助けたいに決まっているじゃないですかっ。親友なのに、なのに……この王都に彼女がいて、王宮に囚われていることまで分かっているのに! わたくしは、第一王女だから――何もできないんです……っ。だから、せめて……ルーテシアの傍にいた貴女だけでも、救おうとしたんですよ」
「その点については感謝してるけどさ。王女だからこそ、できることがあるんじゃないの?」
「……無理だ。今、ルーテシア様は騎士殺しの罪を着せられている。そんな彼女を庇うのなら、当然フレア様にも関与が疑われる。そうなれば、王都は血の海になるだろう」
エリスの言う通りなのだろう。王女としての立場がある以上、ルーテシアを救いたくても動けない。親友を一人救うための犠牲が、あまりに大きすぎるのだ。
けれど、フレアの言葉を聞けば分かる――救いたい気持ちが同じなら、やはりシュリネは同じことを言う。
「わたしは何を言われようと、ルーテシアを助けに行く。あなた達が手出しをできないのなら、する必要もない。でも、ルーテシアは必ず連れて戻ってくるから、その時は迎え入れてあげてね?」
シュリネは歩き出した。――生きているかさえ分からない。それでも、ルーテシアの死が確認できないのであれば、シュリネのやるべきことは残っているのだ。
もう、エリスもシュリネを止めようとはしない。だが、
「……お待ちください」
再び声を掛けてきたのは、フレアだった。
「まだ何かあるの? できれば急ぎたいんだけど」
「わたくしも、兄上の動向はある程度把握できています。おそらく、ルーテシアを始末する時は……公開処刑、という方法を選びます。あの人は、そういう人ですから」
「! 公開処刑、ね。なら、普通に行くよりは助け出せる可能性は高いかな」
「ただ連れてくるだけではダメです。無理やり奪い返しても、私の指示であると向こうが手勢を送ってくることになるでしょう。そうなれば、争いは避けられません。ですが、この国の決まりの則った方法であれば、ルーテシアを救うことができる可能性があります」
「決まり……?」
「フレア様、それは――」
「ごめんなさい、エリス。この方の言う『ルーテシアを必ず連れて戻る』という言葉に、賭けてみたくなりました。わたくしを支えてくれようとしているルーテシアを見捨ててしまっては、わたくしは一生後悔するでしょう。なら、救ってくれようとする彼女に託したいのです。わたくしの――運命も」
エリスはまだ何か言いたげだったが、フレアの意思を尊重するようで、大きく息を吐きだした後は、何も言わなかった。
「それで、何をしてくれるのさ?」
「いくつか、貴女にお渡ししたい物があります。その前に……お名前を伺っても?」
「シュリネ・ハザクラだよ」
「シュリネさん、ですね。この国の方ではありませんよね?」
「うん、ずっと東の方かな」
「そうですか。他国の方に託すにはあまりに大きなことかもしれませんが……それでも、ルーテシアはきっと、貴女のことを信じています。わたくしも、貴女の言葉を信じます。ですから、どうか――わたくしの親友を、助けてくださいますか?」
「言われなくても、私の仕事だからね」
「……ありがとう、ございます」
フレアがシュリネに向かって、深々と頭を下げた。
決して万全な状態ではないが、それでもシュリネの覚悟は初めから決まっていた。
――ルーテシアを救うために、たった一人で戦いの場に赴くのだ。




