39.感情のままに
「くく……はははははっ!」
橋の上に響き渡るのは、アーヴァントの笑い声だ。
悠々とした足取りで、アーヴァントはルーテシアの下へと歩いていく。すでに騎士達によって捕らわれた彼女を、目の前に跪かせた。
「いい護衛を連れていたようだが、無駄だったな」
「……っ」
ルーテシアはアーヴァントを睨みつける。
だが、動きを封じされていては、何も抵抗する術はない。
にやりと笑みを浮かべたアーヴァントは、騎士に指示を出す。
「連れていけ。あとで俺が直接、尋問してやる」
「はっ」
アーヴァントの指示に従い、騎士がルーテシアを連れて行こうとする。
「アーヴァント……貴方、どこまで落ちぶれたら気が済むの……!?」
「落ちぶれた? 違うな。俺はより上を目指している――もはや、罪人になったお前には理解できんか」
「貴方が――」
「黙って歩け!」
「ぐ……っ」
アーヴァントに掴みかかることもできずに、ルーテシアはそのまま騎士に無理やり歩かされる。
心配なのは、シュリネのことだ。
クロードの一撃を、シュリネは受けていた。ルーテシアを庇ったために。
こみ上げてくる感情が混ざり合って、思わず吐き気を催してしまう。
ハインのこともそうだ。彼女は間違いなく、ルーテシアのことを助けようとしてくれていた。怪我を負ってまで戦ってくれたハインが、動けなくなるには事情があるはず。
それを聞くことすらできずに、ルーテシアは騎士達が用意していた格子のある馬車に乗せられた。手足にも枷を着けられ、言葉を発しようとすれば黙らされる。
やっと王都にまで辿り着いたというのに――結局、ルーテシアはアーヴァントの考え通りに動いていただけに過ぎなかったのだ。
悔しさはあっても、もはやどうすることもできない。
同じ馬車に、アーヴァントも乗り込んできた。
「分かったか。俺に逆らったからこうなったんだ」
「……」
「発言は許可してやる。言いたいことがあれば言えよ」
「貴方と話すことなんて、何もないわ」
「くくっ、そうか。反抗的だが……こうなってしまえば可愛いものだな」
「……っ、最低ね。私のことも、奴隷にするつもり?」
「何のことだか分からないが、お前は行きつく先はどちらかしかないな。奴隷か、死か――安心しろ、数日程度は猶予はある」
裁判さえ受けさせるつもりはない、ということだろう。
今のアーヴァントは強権を発動させている。
フレアのところにさえ辿り着ければ、まだ可能性はあるが――ハインとシュリネがいない現状、もはや仲間は一人もいない。
「安心しろよ。従いさえすれば、お前は死なずに済むんだからな」
アーヴァントの言葉の通りだ。
ここで従えば、命だけは助けてやる――本当のことなのだろう。
けれど、ルーテシアはもう心に決めている。
どんなことがあろうと、アーヴァントに従うなんてことは、絶対にしない。
***
――それから、ルーテシアは監獄へと入れられた。
しかも、王宮内にある特別室であり、入ることができるのは一部の者だけだ。
拘束衣を無理やり着せられて、ルーテシアには一切の自由が与えられなかった。
当然、誰かが面会にやってくることなどなく、彼女がここにいることを知っている者すら、いるか怪しい。
唯一、尋問のために訪れるのが――アーヴァントだけだ。
「どうだ、逃げ回るよりはよっぽど快適じゃないか?」
「……」
「おいおい、無視をするなよ」
「っ」
アーヴァントはそう言うなり、ルーテシアの前髪を掴んで、無理やり顔を上げさせる。
視線すら合わせるつもりはなかったが、こうなったらできることは睨むくらいだ。
「なあ、ルーテシア。俺達は婚約者だったよな?」
「罪もない子を罪人に仕立て上げて、奴隷にして連れ回すような奴と婚約者だったなんて、反吐が出るわ」
――ルーテシアにやった手法と同じ。アーヴァントはそういうクズなのだ。
それに気付いたルーテシアは婚約を破棄して彼の悪事を暴こうとしたが、結果的には全てもみ消される事態となった。
今でもなお、ルーテシアはアーヴァントのやったことを許していないし、その事実をどうにか公にできないか、と動いてはいた。
「権力っていうのはな、そういうことを可能にするんだ。お前が気付かないふりをしていれば、今頃はいい関係になれていたと思うぞ」
「できるわけないでしょう。貴方なんかと」
「くははっ、やはりいいな。俺はお前のような女を屈服させるのが……好きだ。何度刺客を送って殺してやろうかと思っていたが、折れないその心は美しい」
そう言って、アーヴァントはルーテシアに迫る。――不意に手の力が抜けた隙を突いて、ルーテシアはアーヴァントの顔面に頭突きを食らわせた。
「ぐっ!?」
「いつまでも格好つけないでよ、馬鹿じゃないの」
「……馬鹿はお前だ、クソ女が! 人が優しくしてやれば、すぐつけ上がりやがる」
「……うっ、ぐ」
身動きのできないルーテシアに対して、アーヴァントは思い切り腹部の辺りを踏みつける。
何度も、執拗に暴力を振るうが、それでもルーテシアはアーヴァントを強く睨んだ。
激しい痛みに意識は朦朧としてくるが――ルーテシアはただ耐え続ける。
「はっ、は……っ、ルーテシア。お前の家族は……全員愚かものだな」
「……? 何を、言って」
「薄々、勘づいてはいるだろう? お前の父親は事故で死んだわけじゃない」
「――」
ルーテシアは目を見開いた。
――聞いていた話では、ルーテシアの父は魔物に襲われて亡くなったという。
実際、それを疑うような証拠もないと、騎士からは報告を受けた。
けれど、今のルーテシアの現状を考えれば、あり得る話だとは思っていた。
その事実に、目を向けたくなかったのだ。
「じゃあ、貴方が、お父様、を……?」
「ああ、俺が指示して殺したんだよ」
「……アーヴァント、お前だけは、絶対に殺してやる……っ」
ルーテシアはただ、アーヴァントに向かって静かに言い放つ。
それができないことが分かっているからこそ、心底楽しそうにアーヴァントは笑っていた。
「くは、はははっ! いい顔になったな、ルーテシア! 常に冷静でいようとするなよ。今の方が、よっぽどお前らしい」
「黙りなさい。この、クズ野郎――がはっ」
再び、ルーテシアの腹部を思い切り踏みつけてから、アーヴァントは言う。
「期限はあと三日だ。それまでに、俺に従わないのであれば――お前は処刑する」
この状況でも、まだアーヴァントはルーテシアが従うと思っているらしい。
だとすれば、この世界で一番愚かなのは、間違いなくこの男だ。
血に混じった唾を吐き捨て、拒絶の意思を示すが、アーヴァントは余裕そうな態度でその場を後にする。
ズキズキと痛む身体で、ルーテシアは脱力したまま、どうしたらいいか分からない感情のままに叫ぶ。
「あああああああああああっ!」
怒りと悲しみ。泣いたところで、何も解決はしない。
叫んだところで、助かるわけでもない。
ルーテシアにできることは、ただあのクズができる限り望まない方向へと、今の状況を進めることだけだ。――残り三日という、短い期間の中で、だ。