37.旅の終焉
長いようで短い旅は、間もなく終わろうとしていた。
ロレンツ山脈近郊では、ハインの怪我もあって停滞を余儀なくされたが、あれから刺客が送られてくることもなく、多少の遠回りをしながらも、ついに王都――『グレリス』だ。
王都に入るために御者を雇い、今は馬車に揺られながら、石造りの橋を渡っている。
「随分とでかい橋だね」
「こっちの入り口は水が豊富なのよ。だから橋を架けているのだけれど」
「元々は敵に攻め込まれにくいように橋を作ったようです。今でこそ、王国は平和を保っていますが、戦はいつ起こるか分かりませんから」
「なるほどねぇ……」
ハインの言葉に、シュリネは感心するように頷く。
すっかり傷もよくなったハインとは、シュリネもよく話すようになっていた。
結局、山脈で怪我を負った彼女から聞いた話は『敵』と戦った、ということだけであったが、死にかけてでもルーテシアを守ろうとしていたのは事実だ。お互いに、守るべき者は同じ、というわけで。
特に、仕事で守っているだけのシュリネより、ハインの方がよっぽどルーテシアのことを考えているだろう。
こうして、王都に入る際もルーテシアのことがバレないように、念入りに準備をしてきたのだ。
御者の素性も調べており、王都に入ったあとは第一王女のフレアのいる屋敷まで一直線だ。
曰く、フレアも身の安全のために王宮からは一時的に離れているところにいるらしいが、その周囲の守りは強固であり、辿り着きさえできれば、ルーテシアの安全も保障できるらしい。
「……というかさ、ルーテシアは王都で暮らしてたんじゃないの?」
「いつも王都にいるわけじゃないわ。私の家は、ここから南の方にあるもの」
「王都にいるよりは辺境地に身を隠した方が安全だと考え、お連れする予定でしたが、やはり一刻も早くフレア様と合流すべきでした」
「結果論を言っても仕方ないわよ。今はシュリネがいるからここまで来られたわけで、下手をすれば王都でもっと多くの刺客に襲われてたわけだし」
ルーテシアの言う通り、シュリネという護衛の存在があるからこそ、王都までこうして足を運んだ、と言っても過言ではない。
ルーテシアとハインの信頼が、それだけ寄せられていると言えるだろう。
「わたしの仕事ももうすぐ終わりってことだね」
シュリネは横になり、不意にそう呟いた。
あくまで、ルーテシアの安全を確保するまでの護衛だ。
フレアのところまで辿り着いて、ルーテシアの安全が保障されることになれば、シュリネもお役御免というわけだ。
「……そうね。しっかり報酬も払わせてもらうわよ」
「期待してるよ」
「それで、仕事が終わったらどうするの?」
「んー、別に決めてないよ。せっかくなら王都の観光でもして、しばらくしたらまた旅にでも出ようかな」
シュリネは基本的に一か所に留まることはなく、仕事が終わればまた旅に出る――そういう生活には慣れているのだ。
「……たとえばの話だけど、私のところでこのまま護衛の仕事とか、するつもりはない?」
「!」
不意に、ルーテシアがそんなことを切り出した。
「なんで? 安全確保できたら、護衛なんていらないんじゃない?」
「正直、今回のことで分かったもの。いつ狙われるか分からないなら、自分の安全は、これからも確保しておきたいって」
「ふぅん……でも、雇用契約するなら――わたしは高いよ?」
シュリネがそう言うと、ルーテシアはくすりと笑う。
「貴女、強いからむしろ安いと思うわ。一人雇うだけで、十分なんだもの」
「……確かに。お嬢様の傍には、あなたのような強い人は必要でしょう」
意外だったのは、ハインも同意したことであった。
「あなたは反対するかと思った」
「しませんよ。お嬢様を何度も守ってくださったのは事実ですから」
「そっか。そういう選択肢もあるか……」
ルーテシアの提案に、シュリネは少し悩んでいた。
正直、このまま彼女の護衛をするのは悪くない――そう思っているからだ。
だが、シュリネはすぐに返事をしなかった。
「仕事が終わってからでもいいわ。考えておいてくれたら」
「そうだね。急ぐ話でもないだろうし――!」
シュリネはそこで、身体を素早く起こす。
ほとんど同時に反応したのは、ハインだ。
「ど、どうしたのよ?」
ルーテシアだけは、二人の反応に困惑した様子を見せる。
もうすぐ、橋を抜けて王都へ入る門の前だ――馬車が近づくと、ギギギと大きな音を立てながら開いていく。
王都だから、人の気配が多いのは当然だった。
しかし、その気配が全て――ルーテシアを狙った者だとしたら、話は別だ。
停止した馬車を降りると、待ち構えていたのは騎士の軍勢で、先頭に立つのは金色の髪をした青年と、全身を鎧で包んだ巨躯の騎士だ。
「待ちくたびれたぞ、ルーテシア」
「アーヴァント……!? どうしてここに――」
「アーヴァント様、だろ? 次期王に向かってその口の利き方はなんだ」
傲慢で、不遜。わずかな会話だけで、この男は間違いなく王に相応しくないと、シュリネでも分かってしまう。
だが、シュリネが気にするのはアーヴァントではなく、その隣に立つ騎士――圧倒的なまでの威圧感と共に、剣を交えなくとも分かる事実。間違いなく、王国で一番強い騎士だ。
「……待っていたって、随分と仰々しいじゃない。こんなに大勢の騎士を連れて……」
「当たり前じゃないか。俺の親衛隊を殺した騎士殺しの主犯――大罪人を捕らえるために、万全を期しただけのこと」
「っ!」
アーヴァントの言葉に、ルーテシアは驚きに目を見開いた。
過程はどうあれ、確かにアーヴァントの親衛隊を殺したのは事実だからだ。
「それは……貴方が先に仕掛けたことでしょう」
「証拠はあるのか? 俺は持っているぞ、お前を保護するために向かった親衛隊が無惨に殺される映像がな」
「……!?」
そう言って、アーヴァントは懐から一つの道具を取り出す。
小さな球体のそれは、魔力を込めることで記録していた出来事を映し出すことができる魔道具のようだ。
そこには、保護を提案するユレスの提案を切り、戦いの末に殺したシュリネの姿まで映し出されていた。
当然、一部を加工されているのだが、それを証明できるのはルーテシアとシュリネだけであり、その二人が犯人として扱われている以上は、否定できる要素はない。
「……騎士を送ってきたのは、これが狙いだったのね……!」
「何のことだか分からないが、保護に向かった俺の親衛隊をお前がけしかけた護衛が殺したのは事実――故に、ルーテシア・ハイレンヴェルク。お前を騎士殺しの罪で捕らえることにしたんだ。さあ、話はゆっくり聞かせてもらおうとしようか」
そう言うと、後ろに控えていた騎士達が動き出そうとする。
圧倒的な数の違い――すぐに動いたのはハインで、ルーテシアの傍に寄って彼女を守ろうとするが、
「ハイン、そこまで」
「……!」
不意に姿を現した女性が、ハインに何か耳打ちをする。
アーヴァントのすぐ近くに控えていた女性が、素早い動きで距離を詰めてきたのだ。
間違いなく彼女も手練れだが、こちらに仕掛けることはなく、ハインの動きを止め、
「……申し訳ありません、お嬢様。私は――ここまでのようです」
「ハイン……!?」
吹き込まれたことは分からないが、この時点でハインはルーテシアに協力できなくなった――こうなると、シュリネは一人でルーテシアを守り抜かなければならない。
これだけの数の中で、彼女を守りながら戦うのは、いかにシュリネと言えど難しい。
仕方なくシュリネは、ルーテシアを連れて逃げる選択をするが、立ちふさがったのは、大柄の騎士だ。
「はははっ、よく頑張った方だな、ルーテシア?」
アーヴァントの高笑いと共に――絶望的な状況がそこにはあった。