36.望む通りに
――どれくらい時間が経っただろうか。
「はっ、はぁっ、はっ」
荒い呼吸のままに、ハインは短剣を強く握った。
全身に傷を負って、出血が止まることはない。致命傷には至っていないが、死が迫っているのは身体でよく分かる。
それは、目の前に立つ青年もまた同じだろう。
「ベッ」
ガーロが口から血を吐き捨てる。
息は乱れ、視界も定まらない様子だが、それでも彼はハインに対して刃を向けた。
「……行くぜ」
――最後の斬り合いが始まった。
ハインの刃は、ガーロの首を狙う。
一方、ガーロが狙うのはハインの心臓――互いの得物は短いが故に、超至近距離での攻防が繰り広げられる。
「っ!」
不意に、ハインは胸倉を掴まれると、勢いのままに投げ飛ばされた。
瞬間、ガーロの肩に一撃。怯まずに、刃を真っすぐハインに向けたままに向かってくる。
ハインは空中で、自身の握る短剣をガーロへと投擲した。
だが、それはガーロによって防がれる。
にやりと笑みを浮かべ、素早い動きで距離を詰め――ギリギリのところで、動きを止めた。
「が……!?」
ガーロの首に巻き付いたのは、細い糸。ハインが投げ飛ばした短剣に括りつけてあったもので、その糸をハインが操り、彼の首に回したのだ。
そして、飛んで行った短剣は少し離れた大木の枝へと巻き付く。
すぐにガーロは、糸を切り離そうとした。
だが、その一瞬が明暗を分けた――魔力を込めた渾身の手刀で、ガーロの首を斬り裂く。
ブシュッと大量の出血をして、返り血を浴びながら、ハインはその場に蹲る。身体がここで限界を迎えたのだ。
「はっ、はっ、ふっ、ふぅ……」
呼吸を整えるように、ハインは何度か肩で息をする。
目の前で脱力するガーロを見上げた。
「ごふっ、つよく、なったな……ハイン。俺は、嬉しい、ぜ」
「紙一重……でしたが」
「だが、その紙一枚の差が、これだ……。俺の、負けだ――受け取れ」
「……っ!」
ガーロがそう言って見せたのは、魔力を流し込むことで起爆する爆弾だった。
散り際にこれくらいのことはする――分かっていても、ハインの身体は満足に動かないのだ。それでも、
「ああああああああああああ!」
感情を表に出さない彼女が、大声を上げて走り出した。
瞬間――大きな爆発によって、ハインの身体は地面を転がっていく。
耳が痛い、衝撃を受けた全身はバラバラになりそうだが、見れば手足は無事だった。
地面に転がったまま、身体が上手く動かないのは――血を失いすぎたのだろう。
力なく空を見上げると、一羽の鳥が空を飛んでいるのが見えた。
「……いいですね、あなたは」
自由にどこまでも飛べるのだから――ハインはそんなどうでもいいことを考えながら、静かに目を瞑る。
「――インッ」
「……?」
「ハインッ、しっかりしなさい!」
「……お嬢、様?」
音が聞こえるようになって、目を開くと、そこには涙を流すルーテシアの姿があった。
だが、すぐに安堵の表情を浮かべる。
「よかった……貴女が無事で」
「私は……」
見れば、ルーテシアがハインを治療している。
すぐ近くには、シュリネの姿があった。
「あれだけ大きな爆発があれば、誰でも気付くでしょ」
「そう、ですね」
「大丈夫、怪我は多いけど……致命傷はないみたいだから」
放っておけば、確実にハインは死んでいた――けれど、ルーテシアが来てくれた。
同時に、ハインは大きな罪悪感に包まれる。
本当は、ここで死ぬべきだったのではないか、と。
「お嬢様、私は――」
「いいわよ、何も言わなくて」
ハインの告白を、ルーテシアが遮った。
「私は、貴女のことを信じるって決めていたから」
「雇い主が決めたことだから、わたしもそれに準ずることしたよ。だから、今は黙って休んでなよ。もしも敵が来たら、わたしが始末しておくから」
「……ありがとう、ございます」
ハインは――ルーテシアの言葉に甘えてしまった。
ガーロを始末したことで、ルーテシアの傍にはまだいられる。王都に到着するまでの短い期間だ。
それでも、ここから先は誰にも情報が渡ることはないだろう。
ルーテシアを無事に届けることができれば、それだけでハインは満足なのだ。
だから、ハインはルーテシアが望む通りに、自らの罪を胸の中へとしまっておく。
ちらりと、ハインはシュリネの方を見た。
「お嬢様を守ってくださり、ありがとうございます」
「礼はいらないよ。仕事だからね」
「ふっ、そうですか」
彼女にも感謝の言葉を伝えて、ハインは静かに目を瞑った。