22.限界のはず
――なんだ、こいつは。
エルバートは内心、焦っていた。
最初に与えた傷は、決して浅いものではない。
刃で左肩を貫かれた彼女は、間違いなく痛みで戦いに集中できる状態にないはずだ。
武器はまともになく、足には先ほど深手を負わせた。
もはや、決着はついている――にもかかわらず、エルバートはまだシュリネと戦っている。
刃を振るえば、確かに彼女には当たっている。
だが、ギリギリのところでかわし、鮮血を散らしながらも、エルバートの命を奪うために踏み込んでくるのだ。
(これほどとは……予想外ですね)
エルバートからしてみれば、この戦いはすでに勝ったも同然――さっさとシュリネを斬り殺して、本命であるルーテシアを斬り殺したいと思っている。
このままシュリネに時間を稼がれては、逃げられる可能性だって高くなってしまう。
そうなれば、別の刺客にルーテシアを殺されてしまう――それが一番、我慢のならないことであった。
「いい加減、諦めてほしいものですね……! もはや限界でしょう……!?」
「あなたを斬ったらね」
シュリネが鉈を振り上げ、エルバートもそれに呼応するように振るう。
わずかに鉈の先端を捉え、鉈の刀身が短くなる。
だが、シュリネは動きを止めることなく、そのまま振り切った。
「……ちっ」
エルバートが初めて、後方へと下がる。
シュリネは追撃をしてくることはなく、その場で動きを止めた。
「……ふっ、ふぅ」
肩で呼吸をしている――出血も、激しい動きのためか、シュリネの服は赤く染まり始めていた。足取りも少し、ふらついているように見える。
このまま、まともに戦うより、少しでも時間を稼いで血を失わさせる方がいいと、エルバートは考えた。
「……手負いの獣とは恐ろしいものですね。ここまでやるとは」
「人を獣扱いしないでくれる?」
「獣そのものでしょう。動きといい、まともに防ぐ手立てはないはずなのに、向かってくるのは……実に恐ろしい」
「――今のは、本当っぽいね」
「……なに?」
シュリネが息を大きく吐き出すと、ゆっくりと構える。
「恐ろしいって、本気で思ってるってこと」
「――」
シュリネに指摘されて、エルバートは目を細めた。これは挑発だ――怒りに任せては、間違いなく彼女の思う壺になる。
確かにエルバートは今、シュリネに恐れを抱いている。
圧倒的に優勢のはずなのに、どうしてか追い詰められているような状況に苛立ちすら覚えている。
だからこそ、エルバートは努めて平静を装った。
人を殺し、偽りと共に生きてきた人生――まだまだ、エルバートは楽しみ足りないのだ。
こんなところで、躓いている場合ではない。
「ふふっ、なんとでも言えばいいでしょう。どう足掻いたって、僕に勝つことはできませんよ」
「……そうだね。このままだと、血が足りなくてやばいかもしれない。あなたの狙い通りだ」
シュリネの煽るような口調に、思わずエルバートは目を丸くした。
「――僕がどうして、それを狙っていると?」
「さっきまではわたしを追いかけてたのに、今は少し逃げるような動きをしてるからだよ。あなたはやっぱり、わたしとは違うね」
「何が違うと言うんです」
「強敵との戦いが好きなんじゃない――あなたは、ただ人を斬るのが好きなだけの異常者だよ。わたしも、あなたと戦うのはもう飽きた」
「……っ、調子に乗るなよ。死にかけの小娘が」
痛いところを突かれ、エルバートの言葉遣いが荒くなる。
それでも、頭の中はまだ冷静だ――踏み込みそうになるのをこらえた。
ふらり、とシュリネの身体がバランスを崩す。
やはり限界なのだ――エルバートは勝利を確信し、笑みを浮かべた。
「――シュリネっ!」
瞬間、視界に入ったのは、彼女の後方からやってくるルーテシアの姿。手に持っているのは刀で、それがシュリネの得物であることは明白だった。
シュリネがちらりと、ルーテシアの方に視線を送る。
(――今!)
エルバートはその場で剣を振るった。
シュリネごと、ルーテシアに対して魔力の刃を届かせるために、だ。
「――魔刀術、《爆砕》」
だが、シュリネが腕を振るうと同時に、地面をえぐるような大きな爆発が発生し、周囲に土煙が巻き起こった。
魔刀術――シュリネの魔法の威力は低いとエルバートは判断していたが、それは誤りだった。威力の高い魔法も扱えるのだ。
視界が遮られ、エルバートは再び距離を取る。
「しまった……!」
パラパラと舞う小石の中で――シュリネが刀を握る姿が見えた。
「――待たせたね。これでようやく、あなたを斬れるよ」
鞘から刀を抜き放ったシュリネが、刃先を向けて言い放った。