第一話
だだっ広い草原を、ある男が一人で歩いていた。
鈍い光沢を放つ鎧に身を包み、背中には剣を背負っている。この格好が示すように、この男は―
「おいおい、そこに居んのはひょっとして、勇者サマじゃあねえかあ?そうだよなあ!」
「いかにもそうだが、そう言う君は誰だい?生憎、君のような品のない知り合いは居ないのだがね」
突如として現れたこのオークは、勇者の問いかけに対し下卑た笑みを浮かべて答える。
「なあに、俺のことは知らなくてもいいさ。今からオメェを殺すだけの男だからなぁ!」
手に持った棍棒を振り上げ、勇者の脳天目掛けて振り下ろす―その前に、オークの右腕はボトリと音を立てて地に落ちた。
「……はぁ?」
「遅いね」
勇者はいつの間にか抜いた剣をオークの首筋に突き立てる。その刃は、先程腕を刎ね飛ばした際に付いた血液でてらてらと光っていた。
「わ、悪かったよ……つい手柄に目が眩んじまったっていうか……そうだ、俺、魔王軍辞めるよ。もう二度とアンタを……いや、人間を襲ったりしねぇ。だ、だから命だけは……」
「見逃す訳がないだろう」
勇者は冷やかにそう告げると、オークの首を刎ね飛ばした。
現在、世界は闇に包まれていた。遥か昔から続く人間と魔族との戦いは、その激しさを増す一方だ。この男―勇者ネルは、かつての魔王を討った勇者の息子として、人々の期待を一身に背負って現在大活躍中の冒険者である――
「やっっっと……見つけたァ!このクソ勇者ァァァア!」
「人類の希望」と呼ばれるこの男は、突如として怒号と共に飛来した鉄拳によって、マリオネットのように吹き飛んだ。
「………!?」
状況が理解出来ず、地面に転がったまま動けないネル。そんな彼に対しマウントポジションを取った鉄拳の主は、バキバキと拳を鳴らして今にも追撃をお見舞いしようとしている。意外なことにそれは女だった。行動に全く似つかわしくない修道服を身に纏っていた。
「オマエよォ……勇者だか何だか知らねえがバカスカバカスカ殺しまくりやがってよォ……気に入らねェんだよなァそういうの!」
「ま……待て!待ってくれ!色々言いたいことはあるんだが、そもそも誰だ君!?」
「あ?アタシはユナっつうモンだよ。それじゃあ二発目いくぞ」
「だから待てったら……ん?その格好でユナって、まさかあの聖女ユナか?」
聖女ユナ―数々の戦場を渡り歩き、ヒトも魔物も分け隔てなく救ってきたという伝説の聖女だ。彼女の力によって平和を取り戻した地域は数知れず、その余りに現実離れした逸話から空想上の人物であるとさえ言う者もいるが……
「聞いてた話と違い過ぎるだろ……」
ともかく、この状況は何とかしなければならない。仮にも女性相手に手荒な真似は出来ないし……
「ウオオオッ!?兄弟ィ!」
「一体何なんだよ次から次へと……」
大声がした方を見やると、先程より一回り大きなオークがこちらに猛進してきていた。ついさっき殺したオークの兄貴分のようだ。
「おい、何やってる!?さっさと逃げろ!」
「ああ?指図してんじゃあねェよ、クソ勇者」
ユナはネルの警告を無視し、ゆっくりと立ち直るとオークの方へ向かっていった。
「兄弟の仇ィ!!!」
「やかましいッ!」
まさに瞬殺だった。おそらく先程ネルを吹き飛ばしたのと同じように、自らより遥かに大きなオークを、拳一発で沈黙させていた。
「事情もよく分からねェのに闇雲に攻撃すんじゃあねェよ!人違いだったらどう責任取んだァこのド低能が!」
「無茶苦茶だ……」
やっていることのせいで言葉に全く説得力がないし、そもそも相手は気絶しているので何も聞こえちゃいない。
横暴を擬人化したかのようなその存在を前に、ネルは力なくそう呟いた。