あなた様を超えた誉だけを生涯としたわたしが、ただ一つ愛しいとしたもの
あー、こうしてこの言葉をあなたさまに直にお伝え出来たなら、これより先の断末魔にどれほどの紅蓮の炎が待ち受けていようと、恐ろしくはございません。
雪の墨絵より始まった絵巻物の鮮やかな彩りの最後が紅蓮の炎とは・・・・締めくくりがよいではありませんか。
これをしたためるまで踏ん張ると言ってくれた武蔵坊は、敵の刀槍からわたしの身をいまだ立ち往生のまま守ってくれています。
お堂に二人籠もり、追っ手の足音が近づいてからは、お互いに話す言葉はもはやありませんでいた。
最後のお守りと、武蔵坊は扉に向かうとき、「御曹司、それでは一足早くお先に」といつもどおり軽やかに言った。それでも、それが本当に最後の言葉と、別れと知っていたから、少し武蔵坊は待っていました。
わたしは何を待っていたのかを知っていたから、「ありがとう」と本当の女子の声で後ろから抱きしめた。そして、わたしが己れに付けた女子の名前を最後に伝えた。
「それでは本当の最期のお別れです、ときわさま」
武蔵坊は、わたしの唯一の女子を抱いて矢衾を一身に浴びながらも、今生に一度の交合の悦びの中で死んでいきました。
絵巻物の「弁慶の立ち往生」は凛々しさと忠義で描かれていようと、わたしは、わたしたちだけは身体など交えずともお互いの今生のただ一度だけの男と女の悦びだったとしっていれば、それで良いと思っています。
それが、あなた様を超えた誉だけを生涯としたわたしが、ただ一つ愛しいとしたものなのです。
夜中、箱から取り出し、再び読み返した。
代替わりした際の蔵掃除の中でこうした文書が現れるのは、わたしも二十年前よりこの業に足を突っ込んでいるうちに三度あった。
が、それをそのまま隠し、家に持ち帰ったのは初めてである。
あきらかに手が後ろに廻る所業であるし、表に出なくとも内々に知れれば、この世界でわたしが居残る場所はもうどこにもないだろう。
それでも、これを、ありのまま広く知られるように世間に差し出すことは憚れると、そのとき確信できたのである。
わたしは、先人たちが代々写し取った手紙を再び読み返す。
母御にあてた判官様の最後の手紙は紅蓮の炎で焼かれずこうして残った。
それは、伝説として残ったように、その後も何処ぞで生きてゆかれたからであろうか。
或いは、お最期を確かめに入った敵の将の義侠心が、母御には渡さず世にも出さず、お美しい判官様の純白の想いをそっと己れの胸の内へと隠されたためであろうか。
そのようなわからぬ事実や真実をあれこれ詮索する不毛はやめにしよう。
ただ一つの誠は、それを目にした判官びいきの方々のひとの手により数珠つなぎのように繋がれていったことのみである。
わたしも、家人が起きだす前の夜明け前に一文字一文字を写しとることとしよう。
燭台の灯りのもとの墨をする間に、先人たちと同様に新たな逸話が蘇るやもしれない。