相国(しょうこく)さまの褥(しとね)
あの頃、母さまは、すでに相国様と通じておられた。
ふたりの兄上様の父君であらされる御曹司から離れられたのは、親兄弟まで手にかけるあまりのご無体な殺伐さに嫌気がさしてのことでございましょうか。あるいは、そのような血生臭ささに禁裏の方々の冷え冷えするお顔から、いずれかの凋落をかぎとられての変わり身でしょうか。
相国さまは、きっと、母さまを初めて己れの褥に侍らしたとき、ほくそ笑まれたのでしょうね。双璧の敵と世間で呼ばれる御曹司の寵愛をいままさに己れのものにしているのですから、男と女のことを構える前の禁裏の方々と同じ青びょうたんした瓜実顔がきっとわなわないていたことでしょう。まだご出家なされる前でしょうから、おつむは髷を結った烏帽子で隠されているおいでだったのでしょうか。入道になられたあとの市井のものまで揶揄するゆでダコのような真っ赤なおつむは、ひくひく引きつっておいでだったのでしょうか。
その褥の中に、あなた様はいた。
何度もそのゆでダコの引きつり笑いを聞きながら、わたしを身籠もられた。わたしは女房たちの裾から零れでる噂話よりも先に、相国さまのあの引きつり笑いから己れの出処に気づいてしまったのです。
ところが、あなた様は、わたしを翻えてしまわれた。
わたしを産み落とされる前から、装束の外からも腹の中が目立つようになった時分から、あなた様はへその緒の切れる前からとうにそのことに気づいておられるのに、お二方に先に告げられていた女子を翻して、真実とは異なる男子と告げられた。
種が宿ったのをしったとき、はじめに告げられたのは御曹司でした。
相国さまとの内通を、隠し身の潔白を、周囲に知らしめるためとはいえ、その臆面のなさに、腹の中のかたちにもなっていないわたしでさえ、種を宿した女性とは怖ろしいものよと肝を冷やす思いで潜んでおりました。
戦支度ばかりでそのことから縁遠くされておいでの御曹司は、少しもそれに不可思議な顔を見せず、緋縅のまま「それでは名前を考えねばいかぬな」とただただ愉快そうに、あなた様からの口よりほかわたしの痕跡などひとかけらも生じていないまっ平らなお腹をさすり、お味方の待つ陣中にさっさと帰られてしまわれた。
あなさ様はすぐにその足で相国さまの褥に向かわれた。
「あなた様よりお子を授かりました。成長したあかつきには、きっとほかの平家一門の公達のようにお役にたてるお子を産んでみせます」
それを聞いた相国さまのお顔の不思議さを覚えていますでしょうか。
「女子とは、不可思議なものを申すものよ、そのようなかたちもなにも見えぬうちから、きらびやか緋縅をまとった若武者の姿まで見通せるものなのか。・・・男子はもう、よいよい。欲しいお子は禁裏の方々と縁をむずぶ女子ばかりじゃ」
相国さまは褥の戯言で申されたのです。艶福家の相国さまにとって想い人に己れの種が宿ったことなど節句の膳立てを聞かされているようなもの。
それなのに、それを聞いたあなた様は身震いするほど勇ましく、おっしゃられました。
「女子ですね、わかりました。きっと女子を産んでみせます」
そのように勇んだあなた様を相国さまは大そう褒められました。10万の兵を率いる大将のような勇ましさ。きっと、腹の子にも聞こえ、たとえ性は男子であっても女子に変わるであろうと、かっかと大笑いされた。あなた様も笑われた。わたしも笑ったのかもしれません。
それなのに・・・・
お腹が目立つに従いあなた様はただならぬ覚悟をお決めになった。
その時分には、すでに御曹司はお身内の裏切りによって首を奉るお姿に相成り果てられ、あなた様は御曹司の血をひくふたりの幼子を抱え、これよりを案じる身の上となられていた。
そして、わたしを男子にお決めになった。
わたしをふたりの兄上さまを守る盾に使い、一世一代の博打を打つ覚悟をお決めになられた。
「相国さまのお役に立てるよう、かぐわしい姫様を産むはずが、・・・・・・申し訳ございません。この腹のお子は男子にございます。それでもきっと凛々しい若武者となって他の平家の公達をお助けすることでしょう」と、偽りまで申され、丸く膨らんだ腹に直の掌を入れさせてなんどもなんども触れさせた。相国寺のお掌は温かい。お掌の温かな御仁の心は冷たい。その冷たさに付け入るためには、周到なたくらみが必要だった。
そして、あなた様は、一世一代の猿芝居を相国さまにお願いした。相国さまもあなた様も幼い兄上さまたちも傷つかずに逃れる手立てに、相国さまはいたく満足され、シテを演じられるあなた様のワキを喜んでお引け受けなされた。あなた様は安堵の涙を浮かべながら、相国さまよりも冷たい吐息を二つあたたかな袂の暗がりから零されたのです。
そして、その半年後。
例年にない大雪となった年の瀬の相国さまのお庭先に、大和より連れ戻された親子4人が引き立てられたのです。
居並ぶ平家の公達の前で、片掌で乳飲み子のわたしを抱き、もう一方の掌で涙で重くなった振袖いっぱいにふたりの幼子を抱え「御曹司の血を分けた3人の子が男子である以上、生き延びれないのは承知しております・・・・で、あれば、せめてそのような姿に見える前に、どうぞこのわが身を先にご処分ください」と切々と訴えるあなた様がいた。