女騎士は今日も聖女の正体に気づけない
メリー=バーンレンスにとって女でありながら騎士になることは疑問を挟む余地もない『当たり前』のことだった。
代々有力な騎士を輩出してきたことを評価されて貴族の地位を貰い受けたバーンレンス家に生まれた彼女にとっては文字通り『当たり前』のことだったからだ。
掌の肉が擦り切れるまで剣を振り、凶悪な犯罪者を討伐し、高位の傭兵や騎士と手合わせをして、汗と血に塗れる毎日。年頃の女の子のようにおしゃれを楽しんだり、友人と買い物をしたり、恋をするようなことはなく、ただただ騎士となるためだけに生きてきたのだ。
錆びたようにくすんだ銀髪の、戦闘にのみ特化した筋肉質な身体。それは騎士としては優れているのだろうが、およそ女らしさというものが介在する余地はなかった。
それでこそバーンレンス家の人間だと、周囲は手放しで褒め称えていたが。
代々有力な騎士を輩出してきたバーンレンス家。逆に言えば有力な騎士を輩出できなくなればその価値は一気に暴落する。それこそ貴族の位を剥奪されることだってあり得るだろう。
だからメリーは努力を続ける……などという話ではない。他ならぬメリー自身は騎士として武勲を獲得して貴族の位を強固なものとするだとかそんなことは一切考えていなかった。
たった一つの『当たり前』のためにただただ愚直に剣を振るう。それがメリー=バーンレンスという少女である。
ーーー☆ーーー
勇者の死後、千年が経過したある日のこと。
十四歳ながらに王城仕えの騎士となれたのはバーンレンス家の評判だけでなく、メリー自身に並の戦士であればダース単位であろうとも難なく蹴散らすことができるだけの実力があったからだろう。
騎士団において血筋なんてものは何の価値もない。貴族だろうが平民だろうが実力さえあれば上に上り詰めることができる環境であるがためにかつてのバーンレンス家の者たちはその腕っぷしでもって貴族の位を貰い受けるまでに至ったのだ。
そんな実力主義の騎士団においてメリーの名は有名であった。その才覚は歴代のバーンレンス家の者たちを凌駕するとまで噂されている、と言われるほどに。
とはいえ、メリーは周囲の評価など気にしてはいなかった。騎士となること。騎士であり続けること。それがメリーの人生であり、『当たり前』に果たすべきことだからだ。
「……?」
その日もメリー=バーンレンスは騎士であるがために与えられた役目を淡々とこなしていた。いつも通りの王城内の警邏の最中に複数の騎士、それも国王直属のはずの上級騎士を引き連れて彼女は現れたのだ。
見覚えのない女であった。服装こそ平服であったが、どことなく背筋に甘い痺れが走るほどに妖艶な女だった。
その金髪は見惚れるほどにキラキラと輝いていて。
その碧眼は宝箱に敷き詰められた宝石のようで。
その肢体は眩暈がするほどに美しくて。
およそ女らしさとは無縁なメリーとは真逆の、背筋に甘い震えが走るほどの美女だったのだ。それこそ女らしさなんてものを切り捨てて剣を振るってきたメリーであっても視線が釘付けになってしまうほどに。
「っ」
どれだけ硬直していたのか。甘く痺れる何かを振り払うように首を横に振り、慌てて道の端に避ける。わざわざ上級騎士が侍るような人間だ。高位の身分の者だろうと進行の邪魔にならないように移動したのだが──
「あら、騎士さんの中には女性もいらっしゃるのですね」
「え……?」
「貴女様、お名前を伺ってもよろしいですか?」
赤く、艶やかな唇から鈴が鳴るような清らかな声が漏れていた。それが自分に向けられていると気づくのにしばらく時間がかかった。
ぞくりと背筋に不気味なほどに甘い震えが走る。
上級騎士の咳払いでハッとしたメリーは思わず敬礼しながらこう答えた。
「あっあたしはメリー、メリー=バーンレンスです、はい!!」
「メリー様、ですか。お顔立ちにぴったりな、可愛らしいお名前ですね」
可愛らしい、なんて言われたのは初めてだったからだろうか。それともそう言ってくれたのが彼女だったからだろうか。
ロクに返事もできず、熱くなった顔を隠すように俯くしかなかった。
ーーー☆ーーー
件の金髪碧眼の妖艶な美女が聖女として城に招かれたのだと知ったのは翌日のことだった。
聖女。
魔物の脅威から大陸でも唯一の人間の国を守護する選ばれし存在であり、その祈りでもって魔物『だけ』の侵入を阻止する守護結界を維持する神聖なる存在である。
曰く、王城内の儀式場で聖女が祈りを捧げることによって神々の力の一端が国境線を守護する結界を構築する。
曰く、人間が聖女となるには特殊な才能が必須であり、その才能は必ずや世界中の人間からたった一人に宿る。つまり聖女が死んだ時点で世界中の誰かに才能は譲渡されるということだ。
曰く、魔王の時代を終わらせた勇者と並ぶ伝説たる聖女はこれまでも人々を魔物の脅威より守護する存在として王国によって管理されている。
鍛錬のためにわざわざ国の外に出て魔物とやり合ったこともあるメリーは、だからこそ聖女の重要性を身をもって理解していた。
バーンレンス家の中でも天才と持て囃されているメリーであってもマトモに相手できるのは下級の魔物くらいだ。それでも命懸けであったことを加味すれば、普通にやり合えば確実に殺されるだけの力の差が人類と魔物には広がっていると言える。
そんな魔物の脅威を、聖女は退けることができる。
守護結界。この国が平和を享受できているのはひとえに初代聖女から続く守護結界を絶やさずにきたからだ。
──あの金髪碧眼の美女は老衰で亡くなった先代の聖女が残した『遺言』によって発見されたらしい。
『あのお方を聖女として迎えて、手厚く扱い、望みの全てを叶えること。そうすることが安寧を維持する唯一絶対の道です』という少々大仰な『遺言』だったのだとか。脅しのような『遺言』は聖女として一生を祈りを捧げるためだけに費やさないといけない金髪碧眼の美女がそれなりの対価をもらえるようにという先代なりの優しさなのだろう。
さて、それほどに重要な人物である金髪碧眼の美女だが、彼女は現在王城の離れに住んでいる。それについては王家からの公的な声明として色々と建前は並べられているが、なんてことはない。聖女という最重要人物を王家が手元に置いておきたいだけだ(昔の国王が儀式場を囲うように王城を建てたのもその辺りが理由だろう)。
今回に限っては王族間の諍いによって聖女の扱いに関して色々と一悶着あったようだが、まだ一騎士でしかないメリーでは詳しいことまではわからなかった。
半ば監禁に近い扱いとなるのだが、金髪碧眼の美女は特に不満を漏らすことはなかった。それどころか食にも衣服にも財産にも権力にも興味を示すことなく、聖女としての役目を果たす代わりにと王家に要求を出すことはほとんどなかった。
ただ一つ。
身の回りの警護には同性の騎士がいいとして、名指しでメリーを指名したことくらいか。
「あ、あの、聖女様……」
「あら、わたくしは聖女様などと呼ばれるような存在ではありませんわ。ジュリアという名の単なる平民ですので、ええ、身分でいえば騎士であり貴族でもあるメリー様のほうが上でしょうね」
「そっそそっそんな、滅相もない! あたしなんて剣を振るしか取り柄のない女ですから!! 単なる護衛なので、その、ボロ雑巾のように扱ってくれて構いません!!」
「うーむ、堅苦しいですね」
聖女に与えられた離れで対面した金髪碧眼の美女を前にメリーは目を合わせることもできなかった。
剣を振るってばかりでおよそ女らしさとは無縁なメリーとは対極に位置する、理想の女の子とはかくやと言わんばかりに妖艶な美女。そんな彼女を前にしたらドキドキして仕方ないのだ。
だから。
いきなり顎に手を添えられ、持ち上げられて、無理矢理視線を合わせられた時には心臓が破裂するのではないかというほどに胸が高鳴った。
「そうですわ、これからわたくしのことは聖女様ではなく親しみを込めてジュリアと呼び捨てにすること。それと、そのらしくもない敬語もやめにしましょうか」
「えっええっ!?」
「何なら聖女からの命令ということにしてもいいですよ? それでメリー様との距離が縮まるなら安い屈辱ですわ」
くすくすと、金髪碧眼の美女が見惚れるほどに妖艶でありながらどこか底冷えするような笑みを薄く、薄く広げていく。
「これからよろしくお願いしますね、メリー様?」
「あたしの意見は聞く気もなさそうですね。……はぁ、わかったわよ、ジュリア」
「はい、お上手ですわ」
「何だかすっごく馬鹿にされた気がする!」
人には聖女様と呼ぶことも敬語もやめるように言っておきながら自分はしっかりと様付けに敬語ということにも、メリーの意見も聞かずに強引に話を進めることにも、普通ならば何かしら憤りがあっても良かったはずだ。
だけど、だけどだ。
顎に添えられた柔らかくも温かい手、至近まで近づいている可憐な顔、頬を撫でる甘い吐息と、こんな状況でマトモに思考なんてできるわけがなかった。
「まったく、もう」
ーーー☆ーーー
特別なことなんて何もなかった。
ただジュリアと共にいる時間は騎士として肉体を虐め抜く毎日と比べものにならないほどに心躍るものだった。
とはいえ毎日のように紡いだ会話も、こっそり離れを抜け出して城下町を散策したことも、流行りのスイーツを食べ比べしたことも、一緒にお風呂に入ったことも、他にも色々なことがあったが、劇的な何かがあったわけではなかった。
大きな事件もなく、物語として語って聞かせるだけの盛り上がりもなく、だけど確かに積み上がるものはあったのだ。
他の誰にとっても何気ないことでも、メリーにとっては宝物のように輝く思い出が。
おそらくはこの胸の奥から湧き上がる気持ちこそ──
ーーー☆ーーー
王城近くにある騎士団の訓練場に人の山が出来上がっていた。
いずれもが国家の中枢たる王城配属の騎士であり、まさしく精鋭と呼ぶべき屈強な男たちなのだが、そんな彼らが齢十四の少女一人を相手に打ちのめされていたのだ。
「こんなものかな」
軽く、淡々とした声だった。
かろうじて意識を保っている騎士の男が口の端から血をこぼしながらも視線を上げる。見上げるは錆びたようにくすんだ銀髪の少女。王城に配属されている騎士の男を筆頭とした精鋭たちを打ちのめした後とは思えないほどに銀髪の少女の表情は動かない。
剣を打ち合わせている時だって彼女は何の感慨も見て取れない無表情であった。精鋭の騎士が相手だろうがこうして圧倒することが当たり前だと言わんばかりに。
舐めているわけではないのだろう。
当たり前だと思えるほどに彼我の差が広がっており、少女はその力の差を正確に見据えているだけだ。
騎士となるために生まれたような少女。
年頃の女の子らしさなど皆無の、戦闘人形のごとき感情の読み取れないバーンレンス家の長女。
気がつけばぞわりと騎士の男の背筋に震えが走っていた。一回りも二回りも年下の少女に歴戦の騎士である彼が恐怖を抱いているのか。
それほどまでのものを十四歳の少女が積み上げるにはどれほどの鍛錬が必要だったのか。才能、なんて言葉で片付けるには少女が纏う空気はあまりにも重く、冷たい。
と、その時だった。
メリー様、と銀髪の少女の名を呼ぶ声が訓練場に響き渡った。
たったそれだけで戦闘人形のごとき冷たい仮面がぶっ壊れて、驚きの中にも歓喜を混ぜた年相応の少女のような初々しい感情が噴き出したのだ。
「……ッ!? ジュリア、どうしてここに!?」
「メリー様のお顔を見たかったので」
「いや、だからって、確か離れから出ないようにと言われてなかったっけ!?」
「身の安全を確保するため云々とくだらない建前を並べた監禁に従う理由はありませんわ」
「一応王様直々の命令なんだけど……」
「ふっふ、忌々しくも聖女と呼ばれているわたくしの多少の我儘くらい王も許してくれますわよ」
「普段は自分は聖女なんかじゃないと言っておきながら、こんな時ばっかり聖女の称号持ち出すんだ」
「そんな小さいことはどうでもいいではありませんか。それよりも、ふっふ。メリー様はお強いのですね。格好いいですわ」
「かっ、格好っ、何を言って……っ!?」
「まあ、照れて可愛いお姿まで見せてくれるだなんて随分と大盤振る舞いですね」
「からかわないでよ、もうっ」
冷徹な戦闘人形のようだった無表情はどこへやら、顔から首まで真っ赤にして拗ねたようにそっぽを向くメリー。
そこにはもう重たく冷たい圧はどこにもなかった。騎士として働いている時は何の感情も見せずに淡々と動く人形のようだったメリーが年頃の少女のように感情を露わにしているのだ。
聖女ジュリア。
通常であれば聖女の死後、国中の女を集めて儀式場で祈りを捧げさせて守護結界を構築する才能を受け継いでいるか確かめることで次の聖女を見つけるところを珍しく先代の推薦という形で聖女となった美女である。……最も強い力をもっていたとされる初代聖女が次代の聖女を名指ししてから死んだので、力の強い聖女であれば次に誰に才能が引き継がれるかわかるのだろう。
魔物の被害はこれまでと変化はないので聖女ジュリアによって守護結界は問題なく維持されているはずだ。生憎と守護結界は聖女以外はどんな方法でも感知できないので魔物の動きを観測することで判断するしかないのだが。
そんなジュリアだが、周囲の人間の評判は良かった。他者に横暴に振る舞うことなく、誰にでも分け隔てなく優しく、何より絵本の中の姫君のように美しいとくれば大体の人間は悪くは思わないものだ。
だが、周囲の人間とジュリアの間とでは薄く、しかし確かに壁のようなものがあるのも事実だった。
まるで人々の頭の中にある『聖女という理想像』という壁越しに話しかけているように。ある意味において完璧すぎて人形のようでさえあったのだ。
そんなジュリアもまた今現在メリーを前にしている時は人間らしさが顔を出していた。少なくとも普段の聖女ジュリアは誰かを揶揄うような真似はしないのだから。
と、そこで唯一意識がある騎士の男へと聖女の目が向けられた。
慈悲深く、しかしどこかつくりものめいた均一な色の言葉が投げかけられる。
「この訓練はあとどれくらいで終わるのでしょうか?」
「え、あ……皆がこの有様ですし、これ以上は続けようがないですが」
「そうですか。ではメリー様をお連れしても構いませんね?」
「それはもちろんです!」
彼の返事に満足したのか、ジュリアはメリーへと視線を向ける。その瞳には先程までは浮かんでいなかった人間らしい感情が走っていた。
そのままの勢いでメリーの手をとって口元まで引き寄せる。
「それでは、メリー様。早く帰りましょうか。わたくし、寂しかったのでございますからね?」
「寂しいって朝に顔を合わせていたのに大袈裟な……んっひい!?」
そのまま手の甲に唇を落としたものだから、メリーが全身を大きく跳ね上げていた。
「ばっ、ちょっ、ジュリア!? なっななっ何をしてっなになに!?」
「可愛らしい手を見ているとつい我慢できなくて」
「何を言って、んっ、ちょっダメだって、汚いよ!」
「メリー様に汚いところなどありませんよ」
「さっきまで散々暴れ回っていたんだよ!? 汗だくで汚いに決まっているじゃん!!」
「そんなことは絶対にありませんけど……あ、もしかして嫌だったですか? であれば今すぐにやめますよ」
「い、嫌ってことはないというか、嬉しいくらいなんだけど……って、そういうことじゃなくて!」
「嫌でないのならば遠慮することはありませんね」
「ああっしまった嘘でも嫌って言っておけばよかったあーっ!! ちょおっ待って違う好き放題していいって許可したわけじゃなっ、ひぅあああ!?」
やはりジュリアにとってメリーはその他大勢とは『違う』のだろう。もちろんメリーにとってジュリアがその他大勢とは比べようもないくらい特別なのだろうことは見るからに明らかだった。
ーーー☆ーーー
ジュリアはどこに行くにも極力メリーを連れ回していたが、たった一箇所だけ例外があった。
儀式場。
王城内の最奥、祈りを捧げるその部屋にだけはメリーであっても立ち入らせなかったのだ。
「それでは少々待っていてくださいね?」
「うん」
ジュリアが儀礼場に入り、扉を閉じる。
その扉をじっと見つめて、メリーはがしがしと頭を掻く。
祈りという名の儀式は神々の力の一端を借り受けるものだ。城よりも大きな怪物さえも退ける守護結界を国を覆うように展開するだけの『何か』なのだ。もちろんそれには相応の集中が必要なのだろう。他者の目があっては邪魔になるのだろう。
わかっている。
わかっていて、それでもどこかもやもやしているのはメリーの勝手な我儘に過ぎない。
そこまでは心を許していないのではないか、などふざけた考えだ。それとこれとは違うと少し考えればわかるだろうに。
「ああもう!! ばっかじゃないの、あたし!?」
メリーだって理屈ではわかっていても、納得できるかどうかはまた別であった。
ーーー☆ーーー
勇者の伝説はこの国に住む人間であれば誰もが知っている英雄譚だ。
魔王という全能とでも呼ぶべき存在が率いる魔物の軍勢と人類とが争った『覇権大戦』。そこで滅亡寸前の人類を束ねて、先頭に立って戦った太古の英雄。初代聖女と共に幾千もの戦場を生き抜き、ついには『人類に千年の安寧を!!』と叫んで命と引き換えに魔王を封印した彼女の伝説が記された書物はそれこそ本屋にでもいけば棚を埋め尽くすほどに存在する。
一説にはバーンレンス家は勇者の末裔であるなんて説もあるが、メリーは単なる捏造だと思っている。人類の半数以上が魔物に殺された『覇権大戦』の混乱によって正しい情報が失われ、現代にまで残っていないからとバーンレンス家の貴族としての箔をつけるために勇者という威光を利用したに過ぎない。
そんなガワになどメリーは価値を見出していない。伝説の勇者の血を継いでいるかどうかよりも、貴族であるかどうかよりも、彼女にとっては騎士であることが重要なのだから。
……メリーにとっては物心ついた頃からの『当たり前』ではあったが、今ではそこに新たな価値を見出してもいた。
騎士であるからこそ、聖女の護衛としてジュリアのおそばに侍ることができている。そのことにあるいは『当たり前』よりも大きな価値を見出しているのだから人生とはどうなるかわからないものである。
だから。
「……国が……………………すれ…いい………。止……………から。です…………………ください。…二……が…………ので……………」
ふと、(どんな綺麗な言葉で言い繕おうとも本質は)監禁状態にあるジュリアは離れの窓の外に視線を向けて何かを言っていた。メリーの聴力でも全ては聞き取れず、意味はわからなかったが。というかいつものようにジュリアに見惚れていてそんな小さな声など右から左に突き抜けていた。
だから。
「どちらに…………何………ない…………どうせ………わたくしの……とって………もの……わ。それが…………………願………しても………しまった…………………では…………んか』
だから。
『………逃……………………、…………。わたくし………………に……………こと…運の尽き……………………な』
「ジュリア? どうかした???」
「いいえ」
振り返って。
いつも通りのようでいて、どこか怯えを滲ませた声音でジュリアはこう言った。
「何でもありませんわ」
ーーー☆ーーー
それは突然のことだった。
いいや、王族の間の諍いという形の予兆はあったのかもしれないが、単なる騎士でしかないメリーが雲の上の存在たる国家上層部の動きまで把握できるわけがなかった。
だからそれはメリーにとっては突然だった。
いつものように儀式場に入っていったジュリアを待っていた時にズカズカと彼らは踏み込んできたのだ。
数十もの上級騎士を引き連れているのは二人の王子であった。雰囲気からして第二王子が第一王子をここまで連れてきたような形だろうか。
付け加えるならば宰相や複数の大臣などのお歴々まで混ざっていた。国王と王妃を除けば国家上層部の大半は揃っているだろう。
……その中でただ一人、顔も名前も不明などこにでもいそうな平民の少女が混ざっているのは場違い感があったが、彼女は何者なのだろうか? よりにもよって第二王子の隣に立っているのでただの平民ではないのだろうが。
儀式場に続く扉の前に立つメリーを睨みつけるように見据えて、第二王子が言う。
「そこをどけ」
「第二王子様。儀式場では聖女様が守護結界を構築するための祈りを捧げている最中です。何用かは存じ上げませんが、せめて──」
「ただの騎士ごときが王子たる俺様に楯突く気か?」
「……、自分は聖女様の護衛として果たすべき義務を果たさせていただいているだけであり、決して王子たる貴方様に──」
「戯言は結構だ! 今すぐにそこをどけなければ叩き潰すだけだぞ!!」
「…………、」
果たして第二王子は気づくことができたか。
微かに、だが確かに目を細めたメリーが第二王子が侍らせた数十もの上級騎士を値踏みするように──まるで彼我の戦力差を見極めようとしていることに。
「おい、やめないか。真偽を確かめるだけなら祈りが終わるまで待っていてもよかろう」
「……チッ!」
もしも第一王子が止めなければ、とそこまで考えてメリーはハッとしたように首を横に振る。ジュリアの邪魔になるから、それだけの理由で自分が何をしようとしていたのか思い至って諌めるように息を吐く。
メリー=バーンレンスは騎士である。
『当たり前』のことを忘れてはいけないと。
そこでメリーの背後で扉が開き、甘く溶けるような声が一つ。
「随分と騒々しいですね。何かありましたか?」
聖女ジュリアの登場に、第二王子は獰猛な笑みを広げた。そのまま高笑いでもするような勢いでこう言ったのだ。
「よくも抜け抜けと顔を出せたな、偽物!! ジュリアよ、貴様が聖女などではないことはすでにバレているんだよ!!」
何を言っているのか、そばで聞いてきたメリーはすぐには理解できなかった。
だから。
なのに。
あくまで当事者ではないメリーでさえも唖然としている中、いつの間にか隣に移動していたジュリアは怒りも憤りもなく淡々とこう答えた。
「そうですか」
ーーー☆ーーー
その流れはただの騎士でしかないメリーでは止めようもなかった。何せ第二王子たる男が国家上層部のほとんどを引き連れてまで行動に出ているのだ。そう容易く付け入る隙があるような状態で第二王子はここまで大胆には動かないだろう。
「祈ってみろよ、偽物」
第二王子は言う。
普段は聖女しか立ち入ることのない儀式場に踏み込み、ジュリアを糾弾する様子を国家上層部の面々に見せびらかすように。
「貴様が本当に聖女としての才能を先代より受け継いでいるのならば祈りを捧げることで床の魔法陣が輝くはずだ! それこそが守護結界を観測できない人類が聖女を識別する唯一の方法だからな!!」
「…………、」
「どうした? できないか? だよなっ、何せ貴様は聖女でも何でもないんだからなあ!!」
「…………、」
「先代の聖女の勘違いで名指しで聖女だと指名されたことをチャンスだと思ったか? 黙っていれば聖女として地位も権力も手に入ると欲が出たか? 貴様のその身勝手な行いが守護結界の弱体化を招き、いずれは魔物による多大な犠牲を招くと少し考えればわかったものだろうに!!」
「…………、」
ジュリアは何も答えなかった。
否定も肯定もせずに、ただただメリーの隣に立っていた。
その間にも腹違いの第一王子が何事か口を挟み、それに第二王子が答えていたが、メリーはそんなものに構っている余裕はなかった。
どうしてジュリアは何も答えないのか。
たった一度祈りを捧げればそれで全ては丸く収まるのに、どうして無言を貫いているのか。
それが、それだけが、一つの証明であった。
わざわざ答えを聞かずとも全ては明らかだった。
「──ならば紛うことなき証拠を見せてやろう!! わざわざ偽物に白状させずとも本物を見せつけてやればそれで済むのだから! さあアンナっ、貴様の祈りを見せてやれ!!」
「はい」
聖女は祈りによって魔物だけを退ける守護結界を構築する。
守護結界は普通の人々では感知できないので効果に関しては魔物の被害を集計することでしか導き出すことはできない。
ただしこれまで聖女が死んだ場合に次代の聖女を探すには国中の女を集めて儀式場で祈りを捧げさせていた。つまり儀式場で祈りを捧げれば(床の魔法陣が輝くかどうかで)聖女の才能を受け継いでいるかは判別できる。
聖女の才能はあくまで受け継がれるもの。つまり世界中に聖女の才能を持つ者はたった一人しか存在しない。
つまり。
第二王子が連れていた平凡な見た目の少女の祈りによって儀式場の床の魔法陣が輝いた時点で全ての決着はついた。どんな言い訳をしようともこの光景がジュリアが聖女ではない絶対的な証明であるのだから。
「はっはっ、はーっはっはあ!! どうだ、兄上っ。俺様が真なる聖女を見つけ出したぞ!? ロクに確認もせずに先代の言いなりとなってあの女を聖女として迎え入れた父上の愚行を帳消しとしてやったのだ!! そうだ、俺様なんだ。この俺様が一人の女のエゴに満ちた嘘を暴き、魔物による人類への多大な犠牲を未然に防いだのだ!! この『功績』は王位継承に対しても大きく響くとは思わないか? なあ!?」
「くっ」
「言葉もないかっ。そうだよな! 薄汚れた血が流れた兄上には何もできないんだっ。父上の方針に盲目的に従うだけの兄上では何もなあ!!」
第二王子は笑う。
正義を楯に己の欲望を満たすように。
そう、真意はどうであれ、正義は第二王子にこそあるのだから。
「そうだ、お前ら! 何をぼーっと突っ立っている? そこの偽物を捕まれておけ!! 聖女を騙った悪女として発表し、大々的に処刑して! 俺様の『功績』を国中に広めないとだからなあ!!」
「ッ!?」
第二王子の指示に上級騎士たちが動く。
その手が聖女ではないと証明されたジュリアへと伸びる。
先代の聖女はジュリアを名指しで次代の聖女であると示した。そもそもその間違いがなければジュリアも魔がさすこともなかっただろうが、それにしても最初の時点で白状するべきだっただろう。聖女の才能などないと最初から言っていればこんなことにはならなかった。聖女が不在であるがために守護結界が維持されず、国中に魔物の被害が広がっていたかもしれない、なんていう罪を背負うことはなかったはずだ。
理由なんてわからない。
聖女としての地位や名誉にはあまり固執していなかったように見えたのにどうして聖女を騙っていたのかなんて何も言ってくれないからわかりようがない。
ただ一つわかっていることは。
隣に立つ女は国中に魔物の被害が広がり、多大なる命が失われていたかもしれないほどの罪を犯した──騎士が打ち破るべき罪人なのだ。
そう、処刑されても誰も文句をつけないばかりか、拍手喝采で喜ぶほどの、正義が殺すべき悪であることは明白だ。
だから。
だから。
だから。
ゴッッッバァァァンッッッ!!!! と。
ジュリアへと迫る上級騎士をメリーは殴り飛ばしていた。
「きっ、貴様! 何をやっている!?」
メリー=バーンレンスは騎士である。
物心ついた頃には『当たり前』に騎士であることを望んでいた。
そして騎士とは主君に仕えて、その命令を果たすというのが一般的なものである。
だから命令を下す側である第二王子に従ってジュリアを捕らえて、処刑台まで送るべきなのか?
「何を?」
ジュリアは擁護のしようもないほどの大罪人かもしれない。客観的に見れば百人が百人今すぐ首を切り落としたって文句はつけないだろう。
正義は第二王子にある。
だから大人しく従うべきなのか?
「そんなの決まっているじゃん」
いいや。
そもそも大前提が間違っている。
メリー=バーンレンスにとって騎士として生きることは『当たり前』である。掌の肉が擦り切れるまで剣を振り、凶悪な犯罪者を討伐し、高位の傭兵や騎士と手合わせをして、汗と血に塗れて、女としての一生を切り捨ててでも掴むべき生き様だ。
だが、彼女が言う騎士とは決して王族の命令であれば何でも聞く駒の一種などではない。
「騎士として『当たり前』のことをやっている、それだけよ!!」
喚く第二王子へとメリーは堂々と言い放つ。
たった一つの『当たり前』を。
──メリーは物心つく前から歴代のバーンレンス家の者たちの『騎士としての生き様』を聞かされて育った。そのほとんどが貴族としての箔をつけるために後から手を加えて絵本の中の英傑のごとき美しいものに仕上げていたが、嘘とわかっていても惹きつけられるものがあった。
政治がどうした、法律がなんだ、力の差などくだらない、大勢にとっての正義なんて知ったことか。守りたい、たったそれだけの想いされあればどんな敵にだって立ち向かう絵本の中の英傑のごときご先祖様たちの偉業に対する憧れ。
そんな憧れの騎士になると誓った。
そんな憧れの騎士になることが『当たり前』だと刻み込まれるまで。
だったら引き下がれるものか。
第二王子がつくりだした流れに乗っかるわけがない。
正義が向こうにあろうとも、ジュリアが言い訳もできないほどの悪であっても、誰もが偽物の聖女を裁くべきだと訴えたとしても、そんなものは関係ない。
メリーは騎士である。
だからといって主君の意志に左右される駒になるつもりも、大衆が望む正義の味方になるつもりもない。
その心のままに、いっそ我儘に世界を自分の都合で振り回す。その果てに美談という結果を強引にでも紡ぎ出す。それが本来なら忌避されるはずの暴力でもって誰もが憧れる偉業を成し遂げる騎士という生き物なのだ。
「メリー様、本当によろしいのですか? わたくしは聖女と呼ばれるような存在ではありませんよ?」
「そんなのわかっているよ。っていうか、よく考えたらジュリアは最初っからそう言っていたしね」
だけど、と。
メリーは繋げる。繋げることができる。
「それでも私がジュリアを助けたいんだよ。だから、だからね、ジュリアが嫌だって言ったって助けてやるんだから!!」
「……メリー様はおバカさんですね」
「むっ」
「ですけど、ふっふ。そんなメリー様のことをわたくしは好きになったのですけれどね」
「すっ好きって、ああもうっ。こんなとんでもない状況でよくもまあそんな余裕あるものだよっ」
「あら、嫌でした?」
「い、嫌なわけないじゃん。その、あれだよ……嫌いな奴のために戦うほどあたしはお人好しじゃないし」
と、そこが我慢の限界だった。
だんだんっと地団駄を踏んで、第二王子の怒声が響く。
「俺様を馬鹿にするのもいい加減にしろよっ。おい、お前ら! あのクソ生意気な裏切り者をぶっ殺し、俺様の『功績』をさっさと捕らえろお!!」
「やれるものならやってみろっての!! 言っておくけど誰かを守る時の騎士は最強なんだからね!!」
言下に数十もの上級騎士とメリーとが激突した。
実戦、それもジュリアを守りながらであればいかにメリーが並の騎士よりも強くとも不利ではあっただろう。勝率で言えば半分は軽く切っていたはずだ。
だがその瞳には怯えも迷いも諦めもなかった。
純粋で力強い意志だけが輝いていたのだ。
守る戦いであれば騎士が負けるわけがない。それがメリーにとっての『当たり前』であるのだから。
ーーー☆ーーー
第二王子の計画は完璧だったはずだ。
なぜか先代の遺言に盲目的に従うばかりか、ロクに確認することも許さなかった国王によって聖女に認定されたジュリア。彼女が儀式場で祈りを捧げている様子を諜報専門の部下に探らせ、偽物であることを確認。その事実を隠したまま秘密裏に片っ端から国中の女を儀式場へと連れ込み、真なる聖女を見つけ出した。
その『功績』をまず初めに先代に盲目的に従って偽物を招いた国王を除く国家上層部に見せつける。そうして国王がいない間に己の都合の良いように場を整えておくことで王位継承を有利に進めていく下地を作り出す。
そう、全ては完璧だったはずだ。
なぜかジュリアが聖女であることを証明することさえ断固として拒否していた国王を出し抜き、彼がいない間に国家上層部や国民感情を味方につけることでいずれは王位継承順位さえもひっくり返し、新たな国王に君臨する道筋は見えていた。
「ふざ、けるなよ」
それが。
それが!!
「あの野郎、俺様の『功績』を持ち逃げしやがって!! 騎士なら俺様の言うことには黙って従えよな!!」
最後の最後、国家上層部の面々の前でジュリアを偽物と断定する場面で聖女の護衛の女騎士が命令に反して暴れ回り、数十もの上級騎士を振り切って逃げたのだ。
そう、第二王子の『功績』である偽聖女ジュリアを連れて。
だから。
これまで苦渋の表情を浮かべていた第一王子は途端に不自然なほど明るく声をかけてきた。
「なあ。ジュリア嬢は本当に聖女ではないのか?」
「あ? 何を言っているんだ、兄上??? ここにアンナという真なる聖女がいる以上、あのジュリアとかいう奴は偽物に決まっているだろう!?」
「いや、いいや。確かにアンナ嬢は聖女としての才能をもっているんだろうけど、それがジュリア嬢が偽物である証明とは限らないだろう」
「はぁ!?」
「聖女は同時に二人存在する。そんな前例はないが、決してあり得ないとも限らないだろう。何せジュリア嬢が聖女として活動していた間にも魔物による被害が増加することはなかったんだから。それはジュリア嬢が聖女であり、守護結界の維持がなされていたかもしれないということだろう?」
「それはっ、先代の守護結界が残っていただけだ!! 放っておけば守護結界は霧散し、国中に魔物が蔓延る暗黒時代が待っていたんだよ!!」
「かもな。だけど、証拠がない。アンナ嬢が聖女であることは実物を見れば明らかだが、ジュリア嬢が聖女ではない証拠は実物がないから確認しようがないだろう?」
「……ッッッ!? こ、の、薄汚れた血が!! そんな方便が押し通ると思うなよ!?」
「通すさ。お前の台頭を阻止するためならどんな詭弁を使ってでも」
そんな二人の王子の争いを国家上層部の面々は真実がどうかではなく、どちらにつけばより利益となるかを考えながら見守っていた。
だから、一人を除いてこの場の誰も気づけなかった。
「どう、して」
アンナ。
平民ながらに聖女の才能を受け継いだ彼女だけが祈りによって守護結界を構築したからこそ気づくことができたのだ。
「わたしが祈りを捧げる前にとっくに守護結界は霧散していた。 だったら今まで魔物による被害が増加しなかったのはどうして?」
遅かった。
もう手遅れだった。
その直後、聖女アンナが構築した守護結界をぶち破り、魔物の軍勢が王国へと侵攻を開始したのだから。
ーーー☆ーーー
『あのお方を聖女として迎えて、手厚く扱い、望みの全てを叶えること。そうすることが安寧を維持する唯一絶対の道です』という先代の聖女の遺言があった。
それを聞いた国王はこう返したものだ。
『どうした? この国のために一生を捧げさせてしまう聖女には貴女と同じようにできるだけ尽くすつもりだぞ。それとも何か不満でもあったか?』
『いいえ、そんなことはありません。これはそう言った意味ではないのです』
『では、どんな意味がある?』
『…………、』
『言えない、か。参ったな、そろそろ若い世代に託して安らかに余生を過ごすつもりだったというのに、面倒ごとの予感がするぞ』
『国王様』
先代の聖女はどこか祈るような心地で、これが限界だと言わんばかりにこう告げた。
『どうか何の疑問も挟まずに受け入れてください。千年のその先に人類が進むためにも』
『……そうか』
彼女とは長きに渡っての付き合いだ。
だからわかる。
口封じされているからこそ、直接的な言葉は発することはできず、しかしそれでも十分伝わった。
老いた聖女は『それ』を最善だと判断したのだ。
ここで選択を間違えば千年のその先には人類は進めない。魔法体系が今よりも遥かに優れていた勇者の時代、魔物との戦争によって磨かれた暴力さえも討伐ではなく封印を選ぶほどの魔の金字塔に今の人類では敵わないと老いた聖女が判断したとわかったならばなおさら下手なことはできない。
『わかった。国王などと名ばかりの私の代わりにこの国を守ってきた貴女の判断を信じよう』
それは勇者が『人類に千年の安寧を!!』と叫んで命と引き換えに魔王を封印してから千年が経過した時代のこと。
都合のいい勇者なんて存在しない、どうしようもなく追い詰められた世界において残されているのは祈ることだけだと老いた聖女は悟っていたのだろう。
ーーー☆ーーー
全ては千年前から始まった。
己よりも遥かに強い全能なる魔王さえもその命を賭けて封じた勇者。その猶予は千年。それ以上は魔王を封じることは不可能であった。
そして、もしも千年後に奇跡的に勇者と同じ封印能力を持つ存在が生まれたとしても同じ手が二度も魔王に通じるわけがないと勇者は悟っていた。
安寧は千年しか保たない。
その千年はすでに過ぎ去った。
ここから先は魔王による暗黒時代が幕を開ける。
『ふっふ』
封印より解放された魔王は聖女の守護結界を破ることなく転移する形で王国内に踏み込んでいた。憎き勇者やその最愛の相手であった聖女の末裔だけは己の手で気が済むまで嬲り殺すために。
だから。
だから。
だから。
勇者の末裔であるメリー=バーンレンスを見つけた瞬間、まさかその姿に見惚れるだなんて全能たる魔王であっても予測できなかった。
キラキラと輝く金髪に宝箱に敷き詰められたような碧眼、眩暈がするほどに美しい肢体を晒す妖艶な美女、すなわち魔王ジュリアは己の感情が理解できなかった。
『……あ、ら? いいえ、あれはわたくしを千年もの間封じ込めてくれたクソッタレな勇者の末裔ですわよ。それなのに、なんで、こんなにも胸がドキドキして……っ!?』
こんなのはありえないと己に言い聞かせて、欠点の一つでも見つければ憎悪のほうが勝るはずだと全能の力をフルに使って四六時中観察して、だけどダメだった。
貴族のくせに泥に塗れて平民の少女の落とし物を探したり迷子のために街中を声を張り上げて汗だくになって走り回るようなお人好しな一面も、勤務時間外だろうが悪党に苦しられている誰かを見つければ剣を握り締めて突撃する正義感も、何も怖くないと言いたげな顔をしながら子供騙しの怪談を聞いただけで夜も眠れなくなる怖がりなところも、女であることなど捨てたつもりでも綺麗なものにはよく目を奪われているところも、甘いものを食べると両足をばたばたさせて幸せそうにしているところも、他にも全てが好ましく思えてしまうのだ。
いいや、違う。
正確にはメリーだからこそ、だ。
もしも他の者が同じことをやっていたって魔王はムシケラでも相手にするように軽く踏み潰していたはずだ。それがメリー相手だとダメだった。勇者の末裔だからなんだ。これまでは他人なんてどうでもいいと考えていたとしてもどうした。
初めてその姿を見た瞬間にはもう決着はついていた。
後はもっとずっと溺れていくだけだった。
そう、魔王ジュリアは勇者の末裔メリーに惚れていた。完膚なきまでに、千年の憎悪が吹き飛ぶほどに。
『あら、あらあら、そうですか。これが恋だの愛だのというものですか。勇者がわたくしを封じるために死んだ時に喚き散らしていた聖女の気持ちも今ならばわかりますわね。これは、他のどんなものよりも甘美で尊く優先したくなりますもの』
ならば、これからどうすればいいか。
騎士として日々忙しくしているメリーと共に過ごすのは並大抵の『理由』では足りないだろう。仮にも騎士であり貴族でもあるメリーのそばにいるにはそれこそ有無を言わせぬ『理由』が必要だ。
そこまで考えて、魔王は思い当たる。
そう言えばかつて勇者と呼ばれていた彼女も元を正せば聖女を守護する護衛だったはずだと。
護衛、つまり騎士としての職務という『理由』を用意してやればメリーを縛り付けることも可能だと。
『ふっふ、ふっふふふふ!! なぁんだ、簡単なことではありませんか』
だからまず初めに魔王は守護結界をぶち破り、己の力を誇示した上で秘密裏に聖女に接触した。事前に力の差を見せつけてからじっくりと語り合い、己の要望を押し通すために。
ジュリアを次代の聖女として名指しすること。それさえ叶えてくれたならば自分が聖女である間は魔物が国内に踏み込まないよう言い聞かせておいてやるが、自分の正体を言いふらしたり裏でコソコソ何かをしようものなら相応の犠牲を払ってもらうことを。
──そもそもにおいて王国が今まで存続してきたのは守護結界のお陰ではなかったりする。そう、初代聖女ならともかく、歴代の聖女の結界であれば魔王でなくとも破ることはできたのだが、他ならぬ魔物側が怯えていたからこそ人類は今日まで存続できてきたのだ。
そう、魔物は怯えていた。
下手に人類を壊滅させてしまえば、いずれ復活する魔王がその憎悪をぶつける対象がいなくなると。そうなれば八つ当たりで自分達が皆殺しにされてしまうかもしれないと。
たったそれだけで千年もの間魔物たちは目の前の餌を我慢できた。欲望よりもなお強烈な恐怖に縛られて。
だから、魔王が復活した時点でもう聖女なんて用意しても人類に安寧は訪れないのだ。それこそ魔王本人が動かずとも、たった一言好きにすればいいとでも言うだけで守護結界を食い破って魔物の軍勢は王国に攻め込むのだから。
もしも人類が千年のその先の安寧を得られるとしたら、それは魔王を利用して魔物の軍勢を押さえつけることだけだ。それを先代の聖女は悟っていたのだろう。魔王の要求をすんなりと受け入れていた。
あるいは魔王の瞳の奥に浮かぶ殺意以外の何かを見抜き、そこに賭けたのかもしれないが、すでに死んでいる者の真意はもうわからない。
そうして魔王は聖女として王城へと招かれた。
そこでメリー=バーンレンスに初めて出会った風に装い、護衛としてそばに置いて、そしてより強く思ったのだ。
メリーが欲しいと。
護衛だからではなく、メリーの意思でそばにいてほしいと。気がつけば聖女扱いで守られるだけではもう満足できなくなっていたのだ。
だから第二王子の企みも放っておいた。いずれ聖女であるという嘘を見破られ、糾弾される流れも許容した。
それでもメリーが自分のことを選んでくれたならばそれでよし、選んでくれないのならば全能の力でもって頭の中を弄ってやればいいだけだ。
どちらに転んでも大差はない。だけど、どうせならば己の意志でジュリアのことを選んで欲しかった。選んでくれなかったことを考えるだけで怯えが滲むほどに。
だから。
餌をぶら下げられてそれでも我慢している魔物の軍勢へと魔王は離れより声を届ける。
『この国が欲しいなら勝手にすればいいですよ。止めないですから。ですけど少々待ってください。第二王子がやらかすのでそれまでは』
だから。
魔王が許可を出すことで王国が魔物の欲望のままに食い尽くされることになろうともどうでもよかった。
『どちらに転んでも何も困らないとはいえどうせならばわたくしの手をとって欲しいものですわ。それが怪物の身勝手な願望だとしても惚れてしまったものは仕方ないではありませんか』
だから。
魔王は恋を知った。愛を知った。だからといってその想いはその他大勢にまで向けられるものでもなく、その先に鮮血と死が満ちることになろうとも己の願望にしか興味はなかった。
『絶対に逃がしませんからね、メリー様。わたくしのような怪物に惚れられたことが運の尽きと諦めてくださいな』
その果てにメリーが正義に背を向けて、それでも我儘にもジュリアの手をとってくれた時、心臓が破裂しそうなほどに高鳴ったものだ。
老いた聖女を脅迫してでも聖女という地位を得て、魔王だということを隠し、都合のいいところだけを晒してでも、それでも自分のことを選んで欲しかったから。
身勝手だろうが何だろうが、惚れた相手には自分のことを選んで欲しいに決まっているから。
ーーー☆ーーー
ジュリアにとってこの国がどうなろうともどうでもいいことだった。だから用事が済んだ後に魔物たちがどう暴れ回ろうとも勝手にさせていた。
メリーはジュリアを選んだ。
ならば後は二人っきりで幸せな逃避行を満喫するだけであり、国の存亡とか何とかそんな些事に構っている暇はない。
そう、そのはずだったのだが、
「よし、いくか」
「メリー様、どこに行くというのですか?」
例の第二王子が巻き起こした騒動より数日後。
魔物の軍勢が国内を我が物顔で闊歩する中、メリーは何ともなしにこう言ったのだ。
「そんなの決まっているじゃん。魔物に襲われている誰かを助けにだよ」
「え……?」
「あっ、もちろんジュリアは隠れていてねっ。危ないしっ」
「いえ、それを言うのならばメリー様のほうが危ないのでは? いかにメリー様が人間の中では強いほうだとしても、あの勇者には遠く及びません。魔物の軍勢に立ち向かえばどうなるかは明らかではありませんかっ」
「まあ、うん。それはそうなんだけどね」
でも、と。
迷うことなく、何でもなさそうに、メリー=バーンレンスはこう答えた。
そう、『当たり前』のように。
「あたしは騎士だもん。目の前の悲劇を放置なんてできないよ。例えあたしの実力じゃ最後には殺されるんだとしてもね」
言いたいことは山ほどあった。
ジュリアのことを選んでくれたくせに顔も名前も知らない誰かにうつつを抜かすなんてとかジュリアを守るためだけに戦って欲しいとか殺されるとわかっていて突っ込むということはジュリアのことは置いて死んでも構わないのかとかこのまま死ぬというならば頭の中を弄くり回してジュリアの好きに尽くしてくれる肉人形にでもしてしまったほうがマシではないかとか、とにかくドロドロとしたものが溢れそうだった。
だから。
だけど。
「ふっふ、初めてのことですね。まさかこのわたくしが妥協することがあろうとは」
「ジュリア?」
「わたくしもついていきます」
「ジュリア!? えっ、ちょっ、なんで!?」
愚問だった。
そんなの、
「好きだから、それ以上の理由が必要ですか?」
「うっぐ!? ま、またそうやってっ。あたしだって、その、ジュリアのことは嫌いじゃないけど、だからこそついて来ちゃダメだって!! 死んでほしくないし!!」
「あら、誰かを守る時の騎士は最強だったのではないですか? であればわたくしが死ぬようなことはないはずですが」
「そ、それは……」
「それとももうわたくしのことは守ってくれないのですか???」
「そんなわけないじゃん! ジュリアのためなら世界だって敵に回してやるっての!!」
「ならば何の問題もないと思いますが」
「だけど、だって、あたしはジュリアに危ない目にあってほしくなくて、だから」
「メリー様」
そっと。
メリーの頬に手をやって、額が触れ合うほどに近づいて、じぃっとその瞳を見つめて、ジュリアは深く深く噛みついて甘い毒でも流し込むように唇を開く。
「わたくし、どんなに頼まれたとしてもメリー様から離れるつもりはありませんわ」
「ぃや、あの、顔、ちか……!!」
「ですから、諦めてわたくしをつれていってください。ねえ、いいでしょう?」
それこそ唇と唇が触れ合いそうに──
「わっわかった、ついてきていいから!! だから、ああもうっ顔が近いってえ!!」
「…………、」
「なんで了承したのに不満そうなの!? あたしの我儘にジュリアを巻き込むとか断腸の思いなんだからね!?」
「ならばわたくしと共にこのまま逃げればいいのでは?」
「そんなのは騎士として論外だから」
「そうですか。……本当はわたくしだけを見て欲しいのですが、まあ、そんなメリー様も好きですからよしとしましょう」
「まっまた好きとかそんなこと言って!」
あまり他人にばかり構っているとそのうち目障りな全てをぐちゃっとしてしまいそうだったが、そんなドロドロとしたものは今のところは呑み込むジュリア。
それはそうとして、
「それよりどうしてわたくしのこと押し退けようとするんですか?」
「逆にどうしてそんなにぐいぐいくるの!? これもうきっききっキスする距離だからね!?」
「嫌ですか?」
「は? なんっはぁ!? そっそそっそれは、その、ええっと、あの、そんな、だって、あたしは騎士でジュリアは聖女……ではなかったようだけど、だからって、そんなっ!!」
「わたくしはメリー様が好きです。メリー様はわたくしのこと嫌いですか?」
「嫌いなわけないじゃん! あたしは、その、だから、ああもう!! すっすすっ好きだってえーの!!」
「ならば何の問題もありませんわね。……せっかく二人っきりになれると思ったらメリー様の我儘で有象無象に時間を費やすというのです。このくらいのご褒美はないとやってられませんわ」
「いや、あの、待って、本気で? 待って待って待ってよ心の準備が全然なんだけど!?」
「したくないのならば、突き飛ばしてくれていいですから」
「う、うう……し、したくないとは言ってないじゃん、ばかぁ」
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
後の世に語られる『第二次覇権大戦』において人類が勝利することができたのはひとえに聖女ジュリアと騎士メリー=バーンレンスのお陰とされている。……本物の聖女がアンナという平民であることは第一や第二の王子、そして国家上層部のほとんどを魔物が一掃したこと、そして当のアンナが誰も守れなかったことに責任を感じて黙っていたので国民に知られることはなかった。
そう、騎士団が手も足も出なかった魔物の軍勢を聖女と騎士が討伐することで世界は救われたのだ。……騎士団を壊滅させた魔物の軍勢がどうにもメリーを相手にする時は何らかの力を受けて弱体化していたような気がしないでもないし、一部の魔物はジュリアを見て『なぜ』や『どうして』と言いかけて言葉を封じられたように口をパクパクさせていたが、小さな違和感は世界が救われたという大きな事実に隠れて誰も気にしていなかった。
そうして魔物の軍勢より人類を守り抜いたことで勇者の再来とまで呼ばれることになったメリー=バーンレンスはというと……、
「なぁーんで単なる騎士でしかないあたしが国民に向けて演説とかしないといけないんだか。こーゆーのはプリンセスとか何とかお偉いさんの役目じゃない?」
「仕方ありませんよ。魔物との戦いで後遺症が残るほどに負傷した国王に代わって即位したプリンセスとしては世界を救った英傑の威光を利用してでも国を纏めたいでしょうしね」
「だからってさあ。勇者の再来とか何とかべっつにそんな御大層なものじゃないってのに持ち上げられてキャーキャー言われるのは勘弁なんだけどなぁー。あたしは単に騎士として『当たり前』のことをしただけなのに」
「そうですね。確かに勇者と比べるだなんて愚かなことです。メリー様はあんなものよりずっとずっと可愛らしいですもの」
「ぶっふふ!? ジュリアはそうやってすぐに可愛いとか何とか言って……!!」
「まあ、メリー様の魅力に有象無象が抗えないのも仕方ないことです。ここは寛大にも崇め奉ることを許してあげます。さあ、さっさと塵芥でしかない国民どもにメリー様のありがたいお言葉を恵んでやりましょう」
「全体的に大袈裟すぎる!!」
こうして世界は魔物の脅威より救われた。だからといってあらゆる悪意が一掃されたわけではない。ここから先も真なる聖女アンナの存在を利用して国をひっくり返そうと企む犯罪組織をメリーが粉砕したり(その過程で聖女としての力がありながら誰も救えなかったと悩むアンナを慰めたメリーがベタ惚れされてジュリアがめらっときたり)、新たな女王となったプリンセスと勇者の再来とまで呼ばれているメリーが婚約すれば国をうまく纏められるなどという話を持ち出そうとした国家上層部の一部が謎の死を遂げたり(それとは別にプリンセスがメリーに尊敬以上の感情を向けていることに気づいたジュリアがめらめらっときたり)、色んなことがあったが、それはまた別のお話。
ーーー☆ーーー
ジュリアは歴代で最も偉大な聖女と呼ばれているが、当の本人は決まってこう否定していた。
「いいえ、わたくしは聖女ではありませんわ。メリー様のお嫁さん以外の何者でもありませんもの」
そして、隣で顔を真っ赤にして恥ずかしがるメリーに我慢できずに唇を奪うまでがお約束だったりする。