名前とは契約なのですよ(後編)
隊は朝早くから歩き始め、夕方には夜営地を決め、夜はゆっくりと休む。彼等は太陽と一緒に生活をしていた。
お昼時には1度立ち止まり、皆で焚き火を囲んだ。
この隊は500人ほどで構成されている。隊のメンバーにはそれぞれ仕事が割り振られており、皆忙しそうに、しかし楽しそうに働いていた。
太陽が1番高く昇る頃、隊の歩みが止まった。ここらで休憩をするらしい。広い草地の真ん中で、気持ちのいい風が吹いていた。
ポツリポツリと背の高い細身の木が生えている以外は、他には何もない。
見渡す限りの水色と黄緑。振り返ると、遠くには子どもの村がある山が見えた。
「なぁ、おい、あんた、なぁってば、お前だよ。荷車の、ほら、川の坊や、なぁってば」
「え?オレ?」
肩を叩かれようやく気付く。まさか自分が呼ばれているなんて思いもしなかった。
商隊はいつも賑やかだ。常に誰かが誰かを呼んでいる。名前のない自分には無縁の世界だと心のどこかで思っていたのかもしれない。
「なぁ、やっぱ、不便だろ?お前村ではなんて呼ばれてたんだよ?何かしらあるだろ?せめて、ほら、あだ名とか」
真っ黒い髪にピッタリとした黒い服。
二の腕まである長いグローブを着けた少年が服装からは想像できないようなフランクさで話しかけてきた。
トパーズのような瞳が彼の明るさをよく表している。
「お前とか……、あんたとか?あとは……ぼうず!とか!」
「いや、それ、あだ名じゃねぇな。もう、適当に名前決めようぜ~。俺がなんか考えてやるよ!」
「いけませんよ。リンクス。隊長に言われたでしょう。その子は荷として預かったと。荷として預かった以上、持ち主の意思を尊重しなくてはなりません。」
スッと現れた長髪の男が落ち着いた声でリンクスを嗜めた。
きっちり上までボタンの留められたシャツにベストを着用し、染み1つない白いズボンを膝丈までのブーツに入れている。
手には羊皮紙を乗せた板と美しい万年筆を持っていた。
「へいへい。わかってるよ~だ。積載長様はお堅いなぁ。」
「それよりも、何か伝えるべきことがあったのでは?」
ちぇ~と口を尖らせるリンクスをいなし、本来の目的を思い出させた。
リンクスは、子どもを頭のてっぺんから足の先までざっと見ると口を開いた。
「あぁ、そうそう。あんた、その服じゃ動きにくいだろ?ってか、そんな格好で連れ回したら奴隷取り扱ってると思われる……。
それじゃぁさ、困るんだよ。だからさ、服、着替えてくんない?
うちの制服……は、隊員じゃないからダメだ……。
積み荷扱いの人間なんて初めてだからなぁ……。この場合どうなるんだ?」
子どもはぼろ布を身体に巻き付けただけという格好だった。
本人的には物心ついたときからずっとこうだったし別に不便はしていない。
村でも女や小さな子どもたちは似たような格好をしているので誰も気にしない。
だが、特別この格好にこだわりがあるわけではないので、着替えろといわれれば、着替えることはやぶさかではなかった。
「まぁ、本人に買っていただくしかないでしょうね。」
「うぇぇ。鬼かよ。」
穏やかな口調と、チェロのような豊かな響きのある、少し低めの声。
色素の薄い長髪を緩く束ねた姿。そのどれもが彼の持つ厳しさを緩和していた。
「ルール上仕方ないでしょう。町を巡ってるならともかく、我々の担当地域では衣服は積み荷から出すしかないですし……積み荷は王家からの預かりものです。
こちらの都合で出すわけにもいきません。代金は後払いということにして、商隊内で働いてもらっては?」
垂れた瞳でにっこりと笑う姿は甘やかされているのではないかと、錯覚するほどの柔らかさだった。
「だ、そうだ。どうする?」
「手伝えることがあるなら喜んで!オレ暇だったんだ!なんでもするよ!」
「お!頼もしいねぇ。俺はリンクス。よろしくな。」
「……なぁ、その、リンクスってのが、名前ってやつ?」
子どもがおずおずと尋ねる。
「おう。そうだけど?なんか変か?」
子どもの言わんとしていることがわからずリンクスは、首を捻った。
「いや、名前って何なのかなって思ってさ」
リンクスの猫みたいな目が一瞬大きく見開かれた。だが、すぐに、子どもが、名無しの村から来たことを思い出し、どう説明しようか考え始める。
「あ~、そっか……。ん~……。オレあんま難しいこと、わっかんないんだよなぁ。
隊長とかなら、そういうの説明すんの上手いんだけどなぁ……。
まぁ、あれだ。お前が、オレに用があるとするだろ?そんで、名前を呼ぶ。そうすると、俺になんか用があるんだなぁってわかる!
そんで、他の奴らもお前が俺に用があることがわかる。
そうすると、お前が俺を見つけられなくても、他のやつが、オレの居場所を教えくれたりするんだよ。便利だろ?」
「ん~。別に用があったらそいつの所に行って話せばいいこと……だろ?オレには良くわからないな……。」
子どもは目をぎゅっと瞑り眉間にシワを寄せた。これは、彼が考え事をする時の仕草だ。
「名前とは自分と相手との契約なのですよ。」
「うわっ!ビックリした!!!」
「何ですか?リンクス、人を魔物でも見るような目で見て。失礼ですよ。」
「隊長がいきなり現れるからでしょうが。気配ないから心臓に悪いんだよな……。つか、魔物でも見るようなってあながち間違いでも……」
「貴方、また仕事をサボりましたね?さっき貴方のところの上司が鬼のような形相で探してましたよ。今度は何をやらかしたんです?」
「えぇ……。俺今日は真面目に働いてるのにぃ~。
天気がいいからちょ~っとお昼寝しようと荷車動かしたけど、別にそれくらい……。
…………。まさか……。」
そういえば……と、積載長のメルキュールがリンクスに告げる。
「あぁ、たしか、陰干ししていた干し肉がいつの間にか日向に移動していたって嘆いてましたね。まぁ、移動したのは影の方で肉自体は移動していなかったようですが。」
「俺、ちょっと獲物探してくるわ!!!」
ひょいっと身軽な動きでリンクスが手近な木に飛び乗り辺りを見回す。
「狩るならヤマネコがオススメですよ。ハーンさん、ヤマネコ仕留めて干してやるって弓片手に出ていかれたので。」
商隊長のカパーが肩を震わせながら伝えるとリンクスは「それ、俺のことな!!!!」といいながらものすごい速さで消えていった。
「先程の話ですが」
リンクスを見送っていたカパーが不意に話し始める。
「名前とは自分と相手との契約なのですよ。」
「契約?」
「リンクスも言っていたでしょう?用件があることを伝えるために呼ぶのだと。あれは半分正しいですが、あのままでは不正解です。」
着々と昼食の準備が進んでいく。荷車をそれぞれで纏めて駐め、動物たちの背から鞍や荷物が下ろされていく。
カパーは幻獣の背から下ろされた、近くのテントに入り手招きをする。
子どもは呼ばれるままについていく。メルキュールはテントには入らず一礼して去っていった。
「呼び名とは、自分が相手をどのような存在として捉えているのかを表すものです。
例えばワタクシ。商隊の皆さんはほとんどの方がワタクシを『隊長』と呼びます。それは、ワタクシを『隊を束ねる者』と認識している証です。
親しい者は『カパー』とファーストネームで呼ぶこともありますがこれは、ワタクシ個人を1人の人間として認識している証です。
自分と相手との決めごとですから呼び名は何でもよいのですよ。大切なのはそこに込められた意味なのですから。」
カパーはにっこりと笑って外套を取った。
「っ!?」
外套の下はまるでモンスターのような姿をしていた。
鋭く伸びた爪。首もとや腕は所々鱗のようなもので覆われていた。服で隠れて見えないが恐らく足や背中なんかもそうだろう。大きな口は蛇やトカゲを連想させた。
「『名前』は個人を特定します。つまり、『名前』を呼ぶというのは、貴方でなくてはダメなのだという意思表示です。
他の誰でもなく、貴方に気付いて欲しい。振り向いて欲しい。貴方に伝えたいというメッセージです。」
故にとても強い呪になることもあるのですよ。とカパーは優しく言った。
にっこりと笑うと赤い耳飾りと、長く伸ばした深紅の前髪が揺れる。
髪は後ろで緩く一本の三つ編みにまとめていた。
「そして強い言葉であるからこそ、遠くまで届きます。どれだけ遠くまで届くのかは貴方と相手との間で結ばれた契約の強さによりますが……」
「契約?」
「私は、貴方を、こう呼びますよ。こういう存在だととらえますよという約束事です。
片方だけが呼び名を決めていても、もう片方が認識できなければ機能しません。
お互いの同意をもって初めて成立するもの。それが契約です。
契約の強さは認識の強さ……分かりやすく言うならば……そうですね、絆の強さといったところでしょうか。」
カパーは何かごそごそとカゴを漁ると1枚の紙を取り出した。
「さて、貴方ならワタクシになんと名前をつけてくださるのでしょうね。いっそ化け物とでも呼んでみますか?」
にっこりと満面の笑顔でカパーは問うた。顔は笑っているが声からは何の感情も読み取れなかった。
「呼ばないよ。カパーさん。」
「そうですか。貴方は、この姿を見ても……隊長ではなく、カパーさんと呼ぶのですね」
カパーは微かに目を伏せる。纏う空気が少しだけ、ほんの少しだけ……柔らかくなったような気がした。
今がチャンスとばかりに子どもは気になっていたことを口に出した。
「カパーさんは……その……化け物……なの?」
明らかに人間のものとは違う鱗や爪、何より子どもを驚かせたのは、ドラゴンのようなしっぽがついていることだった。
「ふ、ふふっふ……あはははははは!こと……言葉を……選びに選んで……ふっふふっ……そのまま……化け物とは……あはははははは」
子どもの質問にひとしきり笑ったあと、はー、と息をついてから話し始めた
「いいえ。人間です。但し、魔物に育てられた……ね。
この国で魔法を使える人間は皆、多かれ少なかれ魔物と縁があるのですよ。
ワタクシの姿はあまり好ましいものではないでしょう。
ですから、外ではあのように外套を纏っているのです。これは、ワタクシの秘密です」
カパーは、また、いつものようにニヤリと笑った。
「秘密……。それってオレに話してもいいもの……だったの?」
「よくありませんね。」
「え?」
「ですから、貴方の秘密も教えてください。」
「え?オレ秘密なんて……」
「知っていますよ。軽くとはいえ、貴方の記憶も覗かせていただきましたからね。秘密なんてないくらい明けっ広げに生きていますね。眩しいくらいです。」
カパーは本当に眩しそうに目を細めた。
「じゃあ!」
何かを言おうとした子どもを制し、つづけた。
「ですが、ないのなら作ってください。例えばですが、入り口の所で兎を片手に聞き耳を立てている不届き者に相談してみるのも手でしょう。とびっきりの秘密をお待ちしていますよ。」
そう言ってカパーは外套を被るとテントから出ていった。
「見つかっちゃってた……。」
「リンクス!お帰り!オレ秘密なんて……」
「大丈夫。たぶん、名前を決めろってことだと思うよ。ほら、お前、名前つけたらダメなんだろ?」
トパーズの瞳がいたずらっぽく弧を描く
「え?」
「だからさ、内緒でつけちゃおうぜって事なんだよ、たぶん。不便だもんな~。
あ、ほら、隊長ってばメンバーリスト置いていってる。これって班長クラスじゃないとみらんないもんなんだぜ~。他の人と被らない名前にしような~。」
リンクスは、紙を見ながらあ~でもないこ~でもないとぶつぶつ呟き始めた。
「ありがとう。リンクス。」
「お礼なら隊長に言いな。あの人見た目はあんなんだけど優しいんだ。」