名前とは契約なのですよ(前編)
救護班のもとへ顔を出すと子どもの処置は終わっていた。
担当医師によると、全身の打撲と擦り傷、切り傷はあったが、骨や内蔵に異常はないようだった。
「子どもは身体が柔らかいですからね。大事がなくてなによりです。まだ体重が軽い時期だったということも幸いしたのでしょう」
担当医師はにっこりと笑った。
巨大なアザラシのような生き物の背中に、あつらえられた救護室は、揺れがなく快適だった。アザラシのような生き物はセルキーというらしい。海に住む魔物の一種だ。
セルキーは地面を泳ぐように進むことができるため、荷馬車等と違い振動が起こらない。
セルキーの背中に鞍をかけ、その上に天幕を固定して救護室を作っていた。
天幕の中は白を基調としたシンプルな部屋で、小さな診療所といった風情だった。
入り口から一番はなれた場所にベッドとカプセルがならび、棚で仕切りをつくられている。入り口の見えるところにはソファーと机が置いてあった。
子どもは現在、痛み止を打ち、治癒力を高めるカプセルに入っている。
魔法の力で人間の自然治癒力を極限まで高めることのできる、このカプセルは、重傷でない限りはケガや病気を治すことができる。
あと1~2時間もすればカプセルから出られるだろう。
子どもの無事を確認したあと、商人は男に1人で持ち帰れるだけの荷を渡した。荷車に積まれていたのは主に保存食と種もみだ。
「こちらを引いてゆっくりと、お帰りなさい。荷は腐るものではないのです。荷車が通れるようになるまで置いておいても問題はないでしょう。貴方に持てる大きさの荷車くらいなら、すぐに通れるようになりますよ。」
隊列の先頭で牛に引かせていた荷車は渡せなくなってしまったので、男が引けるサイズの比較的小さなものを用意した。
街道の分かれ道まで来ると商人は男に告げた。
「しばらくは備蓄で凌いでください。それから、彼の住んでいた木こり小屋の奥。少し行くと洞窟があるでしょう?
どうやら今は安全なようですから、行ってみるといいでしょう。あなた方の助けとなるかもしれませんよ。」
商人は子どもへ視線を向けてから、男に「ね。」と首をかしげて見せた。
子どもはすっかり元気になり、商人を真似て「ね。」と首をかしげている。
商人のほうは、おそらくウィンクのつもりなのだろう。
開いているのか閉じているのかわからないような目をしているが、不思議と伝わった。
「助かる。」
男は短く頭を下げると1人、荷車を引いて歩き始めた。
ゆるりと続く上り坂が男たちの村へとつながる街道だ。
「貴方は真面目過ぎますからね。心配なんですよ。……本当にそれでいいんですか?
今なら、まだ引き返せるんですよ。……なんて……ね。」
商人は荷車を引いて山道を登っていく男をしばらく見送っていたが、やがて隊に向けて拡声の魔法を飛ばした。
「皆さん、ルート変更のお知らせです。グリンディローの川が氾濫したようです。山道は使えません。少し危険度はあがりますが、山には入らず平原を進むこととします。各部門、班長以上の者は至急集合されたし」
さて、と商人は子どもを見やる
「キミのことも紹介しなくてはいけませんね。行きましょう。彼の手前あんなことを言いましたが、キミは何も心配することはないのですよ。」