川の民
「痛い!痛いって~!引っ張るなよな~」
太陽が本日の仕事を終え、帰り支度を始める頃、商隊は街道上で歩みを止めた。
オレンジの空が辺りを優しく照らしている間に、着々と荷が下ろされ、天幕が立ち上げられていく。
「もう、いいだろ!離せよ!天幕広げるのに不便だろ!」
「そうもいかないんだって~。ここいらはまだ、川の民の縄張りなんだからさ~。」
「迷子紐なんてなくてもオレは迷子にならない!」
「はいはい。迷子はみんなそういうんだって~。そっち持って。」
リンクスに、天幕の組み立てかたを教わっている以上大人しく従うしかない。
しかも、彼の天幕に居候させてもらっている身だ。仕事はきちんとこなさなくては。
だけど、迷子紐ってなんだよ!?
人をバカにしやがって。
「おや、珍しい。ケンカですか?楽しそうですね」
くすくすと笑い声がしたので振り返ると深紅の髪を三つ編みにした狐目の男がいた。彼は一瞬だけ目を開き赤い瞳を露にする。
「え?カパーさん?」
口元は相変わらず外套で隠れているが、フードは外している。
所々鱗のある顔がそこにあった。
「ふふふ、どうしました?鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。」
「いや、だって、顔……。」
「ワタクシだっていつでもフードを被っているわけではないのですよ。」
口元に拳を当て、くくくと、彼は笑う。
この人、絶対驚くと思ってフード取った姿を見せにきたな。と、ウッドは思った。
「あの村に出る魔物がトカゲ型でしたからね、特に気を付けておりましたが、この辺りに人はいません。終業後に風に当たるくらいは構わないでしょう。」
よほどウッドのビックリした顔が面白かったのか、彼は満足そうに去っていった。
「何だったんだ……?」
「隊長も心配してんだよ~。今日は川の民の縄張りで夜明かしだからさ。」
「さっきから川の民って何なんだよ。」
「川に住む魔物だよ~。人を呼んで川に引きずり込むの。絶対に誰に呼ばれてもフラフラ出歩くなよ~?」
「出歩かないって!」
「どうだか。ほら、天幕立ったら、次は飯の支度だぞ~。急げ急げ~」
リンクスは、慣れた様子でチャキチャキと歩いていった。
もちろん、迷子紐で繋がれているウッドもついていくしかない。
「ウッドさん!貴方はそっちではありませんよ。」
遠くから声をかけられ、振り返ると、外套を深く被った男が手招きしていた。
顔は見えないが赤い耳飾りがチラチラと揺れている。
「どうしました?こちらですよ。ウッドさん!」
あれ?カパーさん、さっきはフード取ってたのに……?もう、被っちゃったの?
手招きに引かれるままに一歩踏み出すとぐんっと右手が引っ張られた。
「痛ってぇ!!!!だから、引っ張んなって……」
リンクスの叫び声で我にかえると、カパーはどこにもいなかった。
「お前……まさか、」
「…………。」
ウッドがバツが悪そうに目を逸らすと、リンクスは、そらみたことかとニマニマと口を歪めている。
「ど~したよ?ウッド?迷子紐はいらないんじゃなかったか~?」
ニマニマ顔のままリンクスがウッドの顔を覗き込む。
こいつムカツク!!!!
ぐんっと思いっきりリンクスのしっぽを引っ張ると、彼は「痛ってぇ!!!」と、そのままひっくり返った。
「こんにゃろ!!!」
リンクスは地面に仰向けに倒れた体勢から勢いをつけて飛び上がり、そのままクルっとウッドの頬を蹴り落としながら着地した。
いきなりの衝撃に今度はウッドが地面に転がる番だ。
「俺だって、しっぽ出したかねぇんだよ!しょうがねぇだろ!ギャーギャー騒ぐな!」
リンクスがついにキレた。いつも飄々としている彼が声を荒げている所なんて初めてみた。
一瞬、驚きと戸惑いが同時にきたが、それを凌駕する勢いでぐわっと怒りが湧き上がった。
「お前、いっつも、オレのことガキ扱いしやがって!オレはお前のパシリじゃないんだぞ!」
「お前……そんなこと思ってたのかよ!!!」
リンクスに怒鳴られて我に返る。いや、そこまでは思ってねぇな?
周りでは、皆が仕事の手を止めやんややんやと観戦の体勢に入っている。
「ケンカか?いいぞ!もっとやれ!」
「若いねぇ~。いいねぇ~。酒がすすむねぇ~。」
「なんだ?なんだ?キャットファイトか?オレはリンクスに100賭ける。」
「いいねぇ。じゃあ、オレはあの黄色い坊やに100だ。」
「何事ですか?皆さん。」
落ち着いた、よく響く声に振り返ると、フードを被っていないカパーが赤い目を開いて立っていた。
彼の赤い目を見たとたん、昂っていた気持ちが嘘のようにスンと落ち着いていく。
周りで騒いでいた隊員達の熱気もすん、と落ち着き、皆何事もなかったかのように仕事に戻っていった。
「惑わされていますね。気をつけてください。リンクス、きちんと話さないと、伝わらないこともありますよ。」
「俺かよ~。」
リンクスはウッドの頬に触れると、「蹴って悪かった。」と、早口に呟いた。
しっぽは相変わらずウッドの手首にしっかりと巻き付いたままだった。




