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ネームレス

商隊と合流したのはそれから3日後のことだった。


鬱蒼と繁る森の中。木漏れ日すらここ数日見ていない。毎日がひんやりと薄暗かった。


ククリ刀で枝や蔓を叩き斬り道を作る。踏み均されていない斜面は、土が柔らかく、気を抜くと滑り落ちてしまいそうだ。


サワサワと木の葉が不気味に揺れる。こんなところでモンスターに出くわしたら、ひとたまりもない。どうか……どうか……何もいませんように。


太い木の幹にロープをくくりつけ、滑るようにして少しずつ下って行く。時には大木に背中を預けて休んだ。食事は固形の糧食を水で流し込むだけ。せめて、暖かいものが食べたかった。


敵はなにも、モンスターだけではない。熊やオオカミ、蛇やハチなんかにもいつ出会うかわからない。そんな中でも集中力を保ち続けるのは難しいことだった。


ふと。この斜面のずっと先に、1ヶ所明かりが見えた。もしかして、もう少しかもしれない。


そんな期待を込めて目の前の枝を叩き斬った時、反動で子どもの手からククリ刀がすっ飛んだ。


「あっ!!!!」


ククリ刀が飛んでいった先では、ガタイのいい男が先導して道を作っている。


危ない!!!あたる!!!


そう思い、とっさに飛んでいった刀へ手を伸ばした。手を伸ばしたことで子どもはロープから両手を離してしまった。


ぐるぐると回転する世界。土の匂い。必死に身体を丸めたが、時折固いものにぶつかり激痛が走る。衝撃の度に息が詰まる。肋骨への激痛を最後に子どもは気を失った。


「おい!おい!生きているか!おい!」


全身がギシギシと痛い。ゆすらないで。


「おい!返事をしろ!おい!」


声が響いて身体が痛い。

聞こえてるからもう少し小さい声で話して……


「おい!おい!頼む!返事をしてくれ!」


「おじさん……痛い……」


やっとの思いで返事をする。


重いまぶたを開けると広い青空が見えた。太陽が優しく差し込み、ほんのり暖かい。


子どもが久々の眩しさに思わず目を瞑ると、ゆったりとした知らない男の声が聞こえた。


「おや?こんなところで会うなんて。少し見ないうちに村は、ずいぶんと広がっていたのですね」


声の主は外套で顔をほとんど覆ってしまっているのに、その声だけでニヤリと笑ったのがわかる。


2頭の牛に大きな荷馬車を引かせ、御者台で立て膝をつく彼を先頭に、多くの人が列をなし、馬のような生き物や見たことのない生き物を従え荷を引かせていた。


大木が立ち並ぶ山の中、しっかりと切り開かれ整備された街道は、主に彼らのための道だ。街道を埋め尽くすほどの、人・動物・荷車。


村には荷馬車1台と数名しかいつも訪れない。


子どもは、これだけ多くの人間を見るのは始めてだった。


外套の男は荷馬車を止めると、御者台から降りてきた。


白いマントのような外套を纒い、口元まで覆っている。


口の広いフードを目深に被っており顔はほとんど見えなかったが、時折彼の動きに合わせて赤い耳飾りがゆれているのが見えた。


「まさか。そんなことになっていたら貴方が知らないはずがない。」


ガタイのいい男は子どもを抱き上げながら答えた。


「ふふっ、ワタクシをなんだと思ってるんです?」


また赤い耳飾りがゆれる。前回の記憶が駆け巡り男は唾を飲んだ。


「そりゃあ、商人様々だ。この国で商人様の知らないことなんざないってな。」


ガタイのいい男はガハハハと豪快に笑った。

豪快に笑ってはいるのに、何故か子どもには、男が楽しんでいるようには感じられなかった。


「買いかぶりすぎですよ。我々が知っているのは我々が見聞きしたことだけ。

そりゃあ、国中を回ってますからね、一っ所に留まってる方々に比べたら、多少知ってることは多いかもしれませんが、それだけですよ。」


商人は今度はフードを少しずらし、ゆっくりとにっこりと笑った。狐のような目が現れる。


ガタイのいい男は後ずさりたい衝動を必死でこらえる。


それで?と、商人は狐のような細い目をスッと開き男を見た。


その視線は何度受けてもなれることはなかった。小さな赤い2つの点。この点に見つめられただけで、このまま喰われてしまうのではないかと錯覚するほどの恐怖が襲う。


脳ミソの中まで見透かされるというのはあまり気持ちのいいものではない。


少しでも早く逃れたいが少しでも動けばたちまち喰いちぎられるのではないかという恐怖で指一本動かせない。 


商談をしたければ、まず全てを見せねばならなかった。


「なるほど。だいたいわかりました。そろそろあの川も限界ですか。氾濫の周期が短くなっているのですね。


故に援助を要請したいと。承りました。伝令はそちらの少年ということでよろしいですね?」


男としばらく見つめあった後、商人は目を伏せフードを深く被りなおした。


先程までのひりついた空気は消え失せ、暖かな空気が戻る。どこかで鳥が鳴いているのが聞こえた。


男は胸一杯に息を吸い込みゆっくりと吐いた。


冷や汗は止まらないがいつまでも待たせるわけにはいかない。


「あぁ、毎日人手の足りない所を手伝っていたからな。こいつが一番村のことを知っている。」


「そうですか。それはそれは」


商隊は国からの要請で世界各地を回り、生活必需品や武器などを必要に応じて売り渡す役目を担っている。


その際に、各地の状況確認や異変がないか等の情報収集も行っていた。


商品の販売価格はその土地における適正価格と定められており、財政状況やその集落に何が必要かを見極めるために、商隊長には相手の記憶を覗く魔法を使えるものが選出されている。


商人はゆっくりと男から子どもへ視線を移すと片手を子どもに差し出した。


「はじめまして。ワタクシはキミの村を含む、主に森林・山岳地帯を担当している商隊の商隊長をしています。ラッセル・カパーと申します。貴方のお名前は?」


子どもは何を言われているのかわからなかった。おそらく自分の何かを聞かれているのだろうということは予想できた。


しかし……オナマエ……?オナマエ……とは……?


「……?……?」


良くわからないが差し出された手は握るものだということは知っている。ひとまず商人の手を握った。


カパーはしばらく黙っていたが


「どうやらまずは治療をしないといけないようですね。そのままでは辛いでしょう。どこが痛いかわかりますか?」


と聞いた。子どもが小さく首をふると、少し迷いつつも、自らのフードを僅かにずらし、失礼……と、目を開いた。


「はいよ~。参上しましたよっと。お呼びでしょ~か。隊長様~。」


カパーがフードを被り直すのとほぼ同時に、シュタッっと、どこか気の抜けたような声と共に細身の少年が現れた。


短い黒い髪と引き締まった身体はどこか猫を思わせる。


ピッタリとした黒い衣装や、二の腕まであるグローブ、足音1つない身のこなしは先程の声とイメージが一致しなかった。


「怪我人です。救護班のもとへお願いします。痛みが強いようなのであまり揺らさないように」


カパーの指示で黒い少年がガタイのいい男に手を伸ばした。


「りょ~かいです。ほら、貸して。そいつの名前は?」


「名前は……ない。」


「は?」


男の答えに真っ黒な少年はトパーズの瞳をまんまるにしている。


「うちの村には川がある。あなた方なら知ってるとは思うが、御多分に漏れずうちの村にも『名前』は存在しないんだ。」


ガタイのいい男は、黒い少年に子どもを預けながら答えた。


「おや?川があると言ってもあそこにはもう、魔物の類いは住んでいないでしょう?いなくなっても尚、呼ばれるのですか?」


これは興味深いと商人の声が微かに高くなる。


「いや、『名前』がないからな。本当のところは誰にもわからん。呼んでいるのかも知れないし、もう、呼び声はないのかもしれない。


今じゃ『名前』なんてもんを知ってるのは村のじじばばくらいだ。俺も貴方に出会うまでは知らなかったくらいだからな。


だからこそ、間違っても『名前』を与えようなんて考えてくれるなよ」


男は凄味のある声で釘をさす。


商人は、ほう。と1つうなずくと、外套の袖から扇を出し顔の前に広げた。


口元を隠しながらこちらに一歩ニ歩と近づく。


「それは、またどうして?『名前』を失くしたのは対策でしょう?魔物なき今、そんな風習に意味などないのでは?


それに、あなた方の村では必要なかったかもしれませんが、我々と共に来るのであれば名前は必要です。村に帰った時、また捨てたらよろしい。」


カパーは、呆れたような声でわざとらしく肩をすくめて見せている。表情は見えないが注意深くこちらを観察しているのはわかった。


「しかし……まっすぐ王都へむかうわけではないだろう?貴方の担当地域なら川や湖が多いはずだ。濃霧の中を進むこともあるだろう。ならば……。」


男も負けじと食い下がる。

赤い目で見つめられているわけでもないのに、なんだか、とても居心地が悪かった。


「だからこそ、ですよ。しかし貴方がそこまで食い下がるなんて珍しいですね……。

魔物無き今、何をそんなに……。」


カパーは、思案顔で黙り込むと、はっ、としたように声をあげた。


「まさか……貴方……名付けたのですか?『名前』を知って?あっははははははは。それはそれは。」


商人は男に口を挟む隙を与えず滔々と話し始めた。


「それで?どうでした?何か変化はありましたか?あったからこそ、今日ここにきたのですよね?よりにもよって、ワタクシの目を厭う貴方が来るなんておかしいと思ったのです。


なるほど。なるほど。通りで。『名前』がないことに気が付かないはずだ。人間の記憶とは、なんとまぁ曖昧なものなのでしょうね。


貴方は村人を勝手に名付け、心中でのみ、その名を呼んでいた。


誰の『名前』も口にしてはいなかったのですね。故に契約は成立していない。


そして、そんな貴方の記憶を覗いたワタクシは村人に名前があるものと勘違いをしていた。」


顔をぐいっと近づけてまじまじと見られる。相手の顔は扇で隠されており狐のような目しか見えない。 


赤い目ではないということは、記憶を覗かれているわけではないのだろう。


商人は純粋に男の表情をみていた。


川の魔物は対象の名前を呼び、川に引きずり込む。呼ばれた者は近しい者や会いたいと焦がれていた者の声を聞いたといわれている。


「そもそも名前が存在しなのであれば呼ぶことができない。誰も呼べないのであれば川の民はいてもいないのと同じこと。


であれば、ワタクシが彼に旅の間だけ仮の名を与えても何も問題ないのでは?村人が知らなければ良いだけの話でしょう?」


男はカッと目を見開き大きく息を吸った。


この子は!と大きな声がでる。

自分の声に驚いたように言葉を飲むと、ハァーと、息を吐き出してから話し始めた。


「この子は貴方の声で呼ばれたらフラフラと誘われてしまうでしょう。

それに……問題はモンスターだけではありません。我々は……平等でなければならない。


名前を付け、個として区別してしまうと等しくはなくなるのです。個としての感情が、嫉妬や妬み、情や愛着がわく。 


それらの感情はモンスター共のエサとなるのでしょう?我々は個ではなく群だからこそ生き残ってきたのです。


そこに個の意思は必要なく、皆、村として動かなくてはならない。そのために名前は……あってはならないのです。」


「それが、『名前』を知った貴方の答えですか?」


パチンと片手で扇をたたみ、そのまま男を胸をトンと押す。


「いいえ、『村』の答えです」


男は真っ直ぐに見返した


「そうですか。わかりました。

我々はあくまでも余所者です。これ以上村の方針にとやかく言える立場ではないでしょう。


但し、あなた方が村人を人として扱わないのであれば、我々も彼を仲間ではなく、荷として預かりましょう。


なぁに、曲がりなりにもプロです。何でも運んで差し上げますよ。」


そういうと商人は男にくるりと背を向け商隊の方へ歩き出す。


「待ってくれ。あの子を、どうするつもりだ?」


男は慌てて後を追う。


「ですから、荷として預かるんです。荷物は荷車に乗っているものでしょう?


あぁ、荷とはいっても食事は摂らせないと行けませんね。


扱いとしては家畜……といったところでしょうか?羊と牛どちらと一緒に乗せたいですか?今なら鶏もいますね。」


こちらを見もせず、話は終わりだとばかりに手をヒラヒラとふられた。


男は呆然として商人を見つめた。村人を人間として扱っていない?何を言ってるんだ。


人として生きていくために選んだことだ。名前がないだけでどうして家畜とまで言われなくてはならない?


「あんたは、村人全員を運んでくれと言われたら、俺達を荷物として扱うのか?」


うつむきがちに震える声で尋ねられる。拳を握り微かに震える姿を見てカパーの口角が僅かにあがった。


「嫌な質問ですね。ですが……そうですね。『名前』を嫌がるのであれば、荷物として管理するしかないでしょう。


我々は荷物だろうが命だろうが預かったものの安全を保証し、送り届けなければなりません。そのためにはなんだってしますよ。なんだってね。」




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